キュレーターズノート

「表現の森 協働としてのアート」/「丸尾三兄弟 〇O(マルオ)の食卓」

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2016年10月15日号

 最近、地方都市に行く機会があると、その土地の美術館を皮切りに、人口や繁華街の賑わい、そして首長の文化に関する姿勢に至るまで、くまなくチェックしてしまうことが、もはや“趣味”と化している。そんななか、今回訪れたのは、群馬県前橋市。群馬県の県庁所在地の、人口約34万人の中核市、2013年にはアーツ前橋が開館した。

 訪問の目的は「表現の森 協働としてのアート」展であった。展覧会の内容は、住友文彦館長の解説に詳しいが、「アートが、福祉・教育・医療に出会うとき」というサブタイトルをはじめ、展覧会チラシの表面にちりばめられた、無数のキーワード★1に惹かれて、初めて前橋まで足を延ばした。その約30のキーワードには、例えば、「コミュニケーション」や「子ども」「障害」「ワークショップ」など、美術館や地域社会において、もはや定番の言葉がある一方、「生きづらさ」や「外国籍」「難民」「ひきこもり」など、一見、可視化することが難しいテーマを、展覧会としてどう扱うのか。そこに興味を感じたのだった。

 展覧会は、8つのテーマにより構成されていた。そのうち、近年、各地の芸術祭等でも紹介される機会の多い釜ヶ崎芸術大学の「依存芸術宣言」や、奈良のたんぽぽの家の伊藤樹里や中川雅仁の作品、群馬出身の瀬谷ルミ子が事務局長を務める、ケニアの紛争地域に生きる子ども達にアートセラピーを行なう東京のArt for Peaceなど、3つの先進的な事業と同時に、注目したいのが、“前橋”という場所からはじまり、会期の前後を通じて行なわれてきた5つのプロジェクトである★2

釜ヶ崎芸術大学(NPO法人こえとことばとこころの部屋)

中島佑太×南橘団地《LDK Tourist》カウンター

 企画者の今井朋学芸員は「3年程前から手探りでスタートし、結果こう落ち着いた」と語っていたが、いずれも前橋市内にある、市営団地、デイサービス、精神障害を抱えた難民受け入れに端を発した社会福祉法人、母子生活支援施設、不登校のためのフリースペースという、5つの場が選ばれている。それにしても「よく見つけてきたな」と感心してしまう。それぞれの場には、東京の周縁としての前橋という都市の性格が表われているということもできるだろうし、既存の制度からこぼれかけた“雛”をそっと受け止める、巣のような役割を果たしているとも言える。

 また、その場と関わっていく作家たちも、前橋ゆかりのアーティストから、元特別支援学校教師のアーティスト、東京ベースの演劇ユニット、イタリア在住のアーティストまで、じつに多様だ。場に縛られすぎることなく、前橋という土地の内と外を、土地の者とよそ者、アーティストや、何かの当事者や、そうでない人や美術館の人間が、緩やかに交差しながら、風通しの良い場をつくりだすキュレーションに感心した。

 なかでも、個人的に最も響いたのは、不登校やひきこもりの若者が家から一歩外へ踏みだすことを目的としたフリースペース「アリスの広場」の展示である。ここは、元ひきこもり経験のある施設長・佐藤真人が、2014年に立ち上げたスペース。そこに、東京都の特別支援学校で美術教育に携わっていたアーティスト・滝沢達史が、4カ月間そこで過ごすことになったと言う。

滝沢達史×アリスの部屋

「展示が間に合わない」
 美術館関係者としては、冷や汗が出そうな言葉が、インスタレーションの中央に書かれている。

 「一緒に作りたいものが見つからなかった」「でも最近は美術館まで足を運んでくれるようになった」「時間は足らず完成しなかったが、彼らはもっとやりたいと言ってくれた」。これはけっして、間に合わなかった“言い訳”ではない。「間に合わせること」「最初から完璧であること」という見方を少しだけ変えれば、その歩みはとてもスローだが“ここまで進むことができた”と考えることができるかもしれない。

 その横には、元ひきこもりで自殺願望のあったYさんという女性が、自分の部屋の風景を再現し、「死にたい」と思った歩道橋にもう一度立ってみた体験を振り返った、シンプルなインスタレーションがある。文字にすると非常にセンセーショナルだが、彼女がその体験について記したテキストは、最後に、以下の言葉で結ばれている。

「過去を振り返ることで、強く思ったのは、生きていて良かった。Y」

 私たちは、目に見えない「生きづらさ」を抱えた人たちの存在を、ときに忘れてしまいがちだ。「みんなとの協働はすぐにはできないが、ゆっくりがいいのではないかと思う」。ステートメントに記された、滝沢の言葉が染みた。

 同コーナーには、ほかに卓球台があり、マンガも置いてある。“ゆるい”雰囲気のアリスを再現したそうだが、ふと、私の勤める美術館のフリースペースを思い浮かべた。ソファがあり、自由に読めるマンガが置いてあって、時々コンサートなどがあり、閉館までいようとも特に何も言われない。そこには、時々顔ぶれが入れ替わりながらも、やってきてくれる“常連さん”がいる。毎日きて下さる方も多い。お互い長い付き合いだが、天気の話や、新しい展示の話を二言三言するぐらいで、プライベートは知らない。美術館だけれども、作品を見るという行為はひとつの口実にすぎず、すれ違うスタッフとのほんのちょっとした会釈や会話、簡単なコミュニケーションが、彼らが「生きている」ということの存在の証明に、なっているのかもしれないと感じている。

 冒頭の話に戻れば、本展覧会のテーマにあげられた無数のキーワードは、どれもこれはこれ、あれはあれ、とすっぱりと単純に線引きできるものばかりではけっしてない。互いが、曖昧で関係がはっきりしないまま、つながりあっている。それは、前橋という場所におけるアーツ前橋の存在にも重なっているような気がした。

 というのも、アーツ前橋を訪れた前後に、近くの広瀬川美術館では、アーツ前橋と「表現の森」展をはじめとして連携をとる群馬大学の 「まえばしアートスクール計画 わたしのアートエデュケーション展」(2016年7月26日〜8月7日)、「とがび展@まえばし未来アトリエ」(同9月13日〜9月25日)が開催されていた。また、訪問した、会期最終日近くには、「前橋を〇〇で盛り上げたい」という市民の自発的な仕掛けで行なわれるイベント「Maebashi 45DAYS」がスタートし、「表現の森」出品作家の山賀ざくろの独自企画「えんげきやダンスであそぼう」が近くのアーケードでスタートし、オープンスタジオ中のアーティストが通りかかり、また別のアートイベントも、街中で始まろうとしていた。

 地方都市の駅に降り立つと、この街の10年後、20年度は一体どうなっているのだろう、とそこはかとない不安を感じる時がある。しかし、その街にほんの少しでも滞在し、歩きまわって、地域の人たちと交わって、人々の営みやゆるやかなつながりの一端にふれると、ささやかな未来への希望を感じる。その時から、そこはまた訪れるべき“私の街”のひとつになるのだ。

★1──キーワードを順不同に列挙すると、「福祉」「美術館」「教育」「医療」「地域」というタイトルと連関する核となるワードのまわりに、「社会参加」「社会包摂」「コミュニケーション」「多様性」「子ども」「子育て」「障害」「ケア」「母子家庭」「紛争」「セラピー」「ワークショップ」「高齢化社会」「創造力」「音」「コミュニティー」「生きづらさ」「日雇い労働者」「詩」「多文化共生」「外国籍」「難民」「演劇」「ひきこもり」「緩やかな社会」の文字が配されている。
★2──展覧会終了後も、5つのプロジェクトは継続され、その内容は以下のサイトに随時アップされるという。https://www.artsmaebashi.jp/FoE/

表現の森 協働としてのアート(終了)

会期:2016年07月22日〜2016年09月25日
会場:アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16/Tel. 027-230-1144

まえばしアートスクール計画 わたしのアートエデュケーション展(終了)

会期:2016年07月26日〜2016年08月07日
会場:広瀬川美術館
群馬県前橋市千代田町3-3-10/Tel. 027-231-7825

とがび展@まえばし未来アトリエ(終了)

期:2016年09月13日〜2016年09月25日
会場:広瀬川美術館
群馬県前橋市千代田町3-3-10/Tel. 027-231-7825

Maebashi 45DAYS〜45のわたしたちの前橋〜

会期:2016年9月22日〜2016年11月5日
45DAYS 実行委員会事務局(前橋市にぎわい商業課 まちなか再生室)
前橋市千代田町二丁目8番12号/Tel. 027-230-8866(平日9:30〜18:15)
*会場や時間などの詳細はウェブサイトをご覧ください。

学芸員レポート

 10月14日で、熊本地震から半年を迎える。街中の復興は随分進んだような気もするが、自宅の屋根を見れば、いまだにブルーシートがかかったままだし、避難所暮らしを余儀なくされている方もまだ多数おられる。

 しかしそのあいだにも、熊本地震をきっかけとして実施した「丸尾三兄弟 〇O(マルオ)の食卓」展を、盛況のうちに幕を閉じることができた。本展は、熊本地震で多くの家庭で食器類が割れ、避難所で紙皿を使って食事をする人々の姿を見た、天草の窯元・丸尾焼の「丸尾三兄弟」こと、金澤佑哉、宏紀、尚宜が、参加者に1人1枚器を提供し、それと交換に、その器を使った食卓の写真を返送しギャラリー内に展示するという、アートプロジェクト型の展覧会であった★3

 結果として、50日間の会期中に、約500枚の器を配布し、約300枚の「食卓の写真」が美術館に返送され、36,883人の方に見て頂くことができた。本展について、三兄弟の長男の金澤佑哉は、「普段陶芸家は自分たちの作品が使われているところを見ることが少なく、純粋に見てみたいと思った」と語っているが、その動機と熊本地震という要素がうまく重なり合い、この時期にしかできないプロジェクトになったと言える。

 参加者から送られてきた写真は多様だ。家にある食器が全部割れたという方、いまも避難所暮らしの方、自宅が全壊した方。その一方で、大きな被害のなかった方もいれば、九州ふっこう割を使った国内外からの旅行者や、実家の様子を見に熊本にやってきた方などもある。地震は、その日その時、熊本にいた人に等しく訪れたが、地盤の強さや、地域のネットワーク、そして、例えば誰かの助けがなくては生きられない“弱者”と呼ばれる方々の暮らしにおける危機など、さまざまなものをあぶりだした。

 また、季節柄、トマトやゴーヤや茄子などの夏野菜を使った食卓が多いのが特徴的だが、添えられたコメントにはあまり大きな声では語られない、小さな心の動きが記されている。「自宅が全壊した方に比べたら…」「まだ避難所にいる方と比べて、美術館に足を運べる私は…」などといった、他者を思いやる、きわめて道徳的な感情の影にかくれて、「余震がこわくて、食器をまだ棚に戻せずにいる」といった小さな心の傷は、見逃され、ぐっと心の中に留めてしまいがちだ。本プロジェクトで良かった点は、数に限りはあるが、被災の有無にかかわらず、誰でも参加することができたということだろう。

 食卓の写真は、いつもよりも一品多めに並べられていたり、箸置きやマット、花を飾って盛り付けを工夫したり、そんな“ちょっと張りきった”様子が伝わってくる。

 「子ども達が元気よくご飯を食べています」「食卓を楽しむ余裕が、少しだけ出てきました」「前向きな気持ちになれました」「今度は、天草の窯元を訪ねてみたい」「焼き物に興味が出てきた」「スーパーマルオブラザーズ、ありがとう!」

 アートでこんなに感謝された経験は、そう多いものではない。見ず知らずの誰かの食卓を、少しだけ元気づけるアートプロジェクトの一端に関与できたことを、とても誇りに思う。

★3──本展に応募していただいた「食卓の写真」はすべて下記のブログで公開している。「丸尾三兄弟 〇O(マルオ)の食卓」http://maruonosyokutaku.hatenablog.com/

展示の様子。会場をはみ出すほどの食卓の写真を送っていただいた。


7月17日「熊本市在住、子供3人の5人家族です。震災後から母も加わり6人で暮らしています。中学生の息子の気に入ったお茶碗を1つ頂きました。メニューはご飯、あさりの味噌汁、卵焼き、カボチャと油揚げの煮物、きゅうりとソーセージのサラダ、納豆とオクラのしらす和え。丸尾焼のお茶碗を眺めて、触って、あったかい気持ちを感じています。人生色々ありますが、食べて、力をつけて、前に進んでいきたいと思っています」


7月18日「多くの方と同じように、ほとんどの食器を失くしました。自宅ではなく一時避難先で生活しています。食器だけでなく台所用品もほとんど失くしたので、思うように料理できませんが、なんとか凌いでいます。今回のイベントで頂いた器に、キュウリのビール漬けを、奇跡的に残った丸尾焼の楕円系のお皿に、暑い日でしたのでゴーヤチャンプルを盛り付けてみました。質素な食卓で恥ずかしいけれど器にこもった気持ちがとてもありがたく、なんてことないおかずも喜んでくれていると思います」


7月22日「実家から離れて独り暮らしをしています。もともとは料理が好きなほうではなく、使ってみたい器のためにご飯をつくるようになりました。食事に目を向けることは、自分が暮らしている土地に目を向けることだと知りました。熊本が好きです。」(熊本市北区在住)


8月17日「夏休み遊びに来た孫達が、朝食に初めて卵焼きを作りました。おにぎりや、味噌汁と一緒に美味しそうに食べています。初めてにしては、なかなかの出来映えです。孫達は地震で自宅が全壊しましたが、元気に楽しい夏休みを過ごせたようです。」(天草市在住)

丸尾三兄弟 〇O(マルオ)の食卓(終了)

会期:2016年7月16日〜2016年09月11日
会場:熊本市現代美術館
熊本県熊本市中央区上通町2番3号/Tel. 096-278-7500

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