キュレーターズノート

「拝啓、うつり住みまして 中之条移住アーティストの展覧会」/この半年間のアーツ前橋を振り返って

住友文彦(アーツ前橋)

2018年06月15日号

群馬県中之条町周辺に住まいを移したアーティストたちによる展覧会「拝啓、うつり住みまして」を通して考える、若手アーティストの創作活動と生活のつながりとは。アーツ前橋館長の住友文彦が、同館でこの半年間に行なわれた試みの模様と併せてお伝えする。(編集部)

「拝啓、うつり住みまして 中之条移住アーティストの展覧会」

若手アーティストとその生活

中之条ビエンナーレは2007年に群馬県中之条町で始まり、昨年第6回が開催された。建設の是非を問う問題で揺れた八ッ場ダムの設置予定地にも近い、人口1万6,000人ほどの小さな町で、四万温泉や沢渡温泉を開催エリアに持つ。深い山間部にある過疎の町ゆえに大きな予算はないが、山林、農地、廃校といった環境を魅力に感じるアーティストたちが多く参加し継続されてきた。ひとつの町とはいえ、合併によってその区域はかなり広域に及ぶ。前回は51か所が展示会場となり、イベントなどの参加者も含めると160組の参加があったとされている。自然や空きスペースにアーティストが自分たちの活動の場所をつくり、作品を一定期間発表する。そして農家をはじめ地域住民と交わり、温泉街や自然のなか、学校やお店だった場所で来場者に作品を見せる。

地域芸術祭は、作品発表の機会を増やす大きな役割を果たしてきた公募団体展と同じような位置を占めると言っていいほど、若手アーティストたちの間に深く浸透している。

公募団体展での作品発表を経たアーティストの場合は、画廊や百貨店での作品販売で収入を得る段階を経てアーティスト業に専任できるようになる。こうした多くの芸術系大学の出身者がたどる道筋は、モノとしての商品を売買するのとほぼ同じ形式によって成立するものである。一方で地域や社会に関与する活動を行なってきたアーティストの場合は、高い評価を得ても作品そのものは売買できないため、ドローイングや模型を販売するのが一般的である。

「アーティストであれば生活のための収入を得るための労働は芸術の制作であるべき」という理念は非常に根強い気がする。しかし実態は、私が言うまでもなく、作品制作とは異なるさまざまな方法で収入を得ていくことで芸術活動を続けている人が多い。その二つを器用に使い分け、両立させている例がないわけではない。しかし、創造的な感性はスイッチを入れたときだけ使うものではなく、モノをつくり、人と関わる行為のなかでいつでも動き出す瞬間があるはずだ。しかも芸術を社会的な実践としてみる立場であれば、二つを分けるのではなく結びつけていく可能性を模索するアーティストも少なくないはずである。

移住アーティスト6名による自主展覧会

この「拝啓、うつり住みまして」展は、中之条町に移住してきたアーティスト6名によって自主的に企画された。それぞれ事情はまったく異なるだろうが、生活の場所を中之条町に移した者たちばかりである。作品の特徴をテーマにするのではなく、移住者であるという点を共通項に、2年に1回のビエンナーレだけではない作品の発表機会をつくり出す試みだ。前述の作品発表と収入の糧を切り離す考え方のほかに、作品制作と日常生活をあえて切り離すべきという考えもある。その是非はともかく、都市部の生活と異なり、小さな町に住むアーティストの共同体であれば、こうした作品制作をめぐる経済と労働、そして日常生活との関係について深く考えることは多いはずである。その作品制作と生きることをつなぐための思考が6人の表現者の身体をつくり出し、この展覧会を成立させていた。

展示されていたのは元酒造会社を改装して展示空間にしたスペースであり、入り口近くには大きな貯蔵タンクがそのまま残されている。高い天井を持つ部屋だが、空間が持つ特殊性との共存に取り組まないといけない難しさがある。山口貴子はやや暗がりになる一角を活かして、タンクの曲面にそのまま映像を投影していた。抽象度の高い風景の映像によって、機能を失ったまま残されている設備に表情を与えるような作品である。山口は「地域おこし協力隊」として中之条町にやってきて、ビエンナーレではキュレーターとして運営側の仕事も行なっている。

経年変化によって深い皺を刻んだような壁面のフロッタージュを展示したのは人見将である。彼は廃校になった小学校を制作スタジオにしてアーティストに貸し出している「イサマムラ」という場所で「イサマムラ写真室」を昨年設置した。もちろん自分で作品を制作する環境を確保しているのだが、ほかの人が写真制作をするときにも使えるようにしている。空間を写し取る仕事をするアーティストが、移動しながらではなく地域と密接に結びつく拠点を持つことでどんな作品をつくっていくのか興味深い。

その奥では、広い展示室に人の丈ほどの大きな紙の上に鉛筆で描かれたポートレートのシリーズを飯沢康輔が展示していた。飯沢は彼がよく知っている人が見せるくだけた表情を大きく拡大して、丹念に顔の皺や輪郭を線で描き出す作品をここ最近続けて制作している。樹木と家屋を大胆に使った彫刻的な作品とは違い、このシリーズは日々の生活と同期したリズムによってかたちづくられている作品のように見える。

飯沢康輔《お・せ・わ・に・な・り・ま・す・。》[撮影:糸井潤]

上の階では、星野博美が中之条町を紹介するために頼まれて描いたイラストが展示されていた。農業をして生活している星野が描き出す町の人々や自然の表情は、じつに柔らかく、対象への共感に満ちている。八木節の踊りを風に舞う吊るし飾りのようにした展示も効果的で面白かった。

星野博美《あんじゃぁねぇ吊るし飾り》[撮影:糸井潤]

かつて麹を保存していたと思われる重厚な部屋では、糸井潤が信仰の場所をめぐり撮影してきた写真作品が展示されていた。それぞれ場所は異なるが、信仰を象徴的に表わすものではなく、神社を取り囲む自然に堆積した時間を捉えるようなシリーズである。写真作家としての長い活動実績もある糸井は最近中之条に移り、フリーランスの木こりをやっているという。

糸井潤《仮称トポロジー》[撮影:糸井潤]

別棟にある展示室で見たのは、古川葉子が祭壇のように植物を組み合わせた大きなインスタレーションで、植物の持つ華やかさと荒々しさが共存し、生と死が混在して見る者に降りかかるような濃密さが印象的だった。彼女もまた「地域おこし協力隊」のメンバーで、草木を使った作品を多く作ってきただけに自然が身近な場所に拠点を移した影響は大きいだろう。

生活と芸術活動の連続性

こういった作品の制作と生活の基盤をどのように結びつけるかについて自立した意識を持つアーティストたちにとって、おそらく大人数の祝祭的な場で作品を展示するだけでは飽き足らないはずだ。実際、私もこの展示によって各自が試みていることがよく理解できた。また、それぞれは芸術家としての自負を孤高に保つのではなく、かと言って地域住民として一体化するのでもなく、その中間的な位置を保っているように見える。それは出自によるアイデンティティとは異なり、消費者ではなく生産者が数多くいる地域において、芸術家という生産者として対等な立場で向き合っているようでもある。そして非常に興味深いのは、日々の生活のなかでモノを触り、人や自然と関わることを繰り返すなかで堆積している経験や記憶が、限られた材料と作業によって担われる作品の制作にも滲み出しているように見えることだ。それはすでにどこかで価値を見出されたものではなく、その人によってしか見出されていない独自の創造であるという現実感を作品に与えているのではないだろうか。

およそ100年近く前に宮沢賢治が語ったこのような言葉が頭をよぎる。

「農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通じる具体的なる表現である/そは直観と情緒との内経験を素材としたる無意識或は有意の創造である/そは常に実生活を肯定しこれを一層深化し高くせんとする/そは人生と自然とを不断の芸術写真とし尽くることなき詩歌とし/巨大な演劇舞踊として観照享受することを教える/そは人々の精神を交通せしめ その感情を社会化し遂に一切を究竟地にまで導かんとする/かくてわれらの芸術は新興文化の基礎である」
(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」1926、青空文庫2003年修正版:底本『新校本宮澤賢治全集第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇』筑摩書房、1997)

賢治の言う「農民芸術」の主体は決して農民だけではなく、日々の生活と芸術の創造が連続している生産者のことを指しているはずである。もはや現代において、そのまま生活が芸術を規定すると考えることはもちろんありえない。飯沢の絵や糸井の写真に備わる技術を見ればわかる通り、6名はすでに芸術固有の歴史を抱えこんでいたはずだが、中之条町でそれを解きほぐし、個人の生と強く結びつく方法を見つけ出しているように思える。芸術の制作をめぐって、現代の経済や労働を考えるときに今後の活動を大いに期待したくなるアーティストたちによる展覧会だった。

拝啓、うつり住みまして 中之条移住アーティストの展覧会

会期:2018年4月13日(金)~30日(月・祝)
会場:旧廣盛酒造(群馬県吾妻郡中之条町大字中之条町909-16)
参加アーティスト:飯沢康輔、糸井潤、人見将、古川葉子、星野博美、山口貴子

学芸員レポート

アーツ前橋のような中規模の美術館では、展覧会と教育普及、それ以外の各種事業もスタッフ同士が連携し合いながら実施するため、個別の事業同士が横のつながりを持って展開される。例えば、先日終了した横堀角次郎の個展、それから学校や福祉施設などとアーティストが協働する事業、そしてアーティストの滞在制作事業などが、表向きには個別の事業としても調査や企画の体制の組み方を持っているが、作品の解釈や見せ方などを考えるうえで有機的に結びつくような場合が多い。いろいろな事業が関連性を持ってくるなかで、つねに共通項として「地域」との関わりがいつの間にか厚みを持つようになっていた。それが当館の活動の特徴であるというふうに言われることが多いが、これは館の運営規模や立地条件などをもとに、自然発生的に生まれてきたものである。

今回はその特徴をもとに二つのキーワードによって約半年の活動を振り返ってみたい。ひとつ目はプロセスや「持続性」と言われるもの。二つ目は、アイデンティティの強化よりも、それを流動的なものとして捉えることである。

「身体拡張2018 公園デビュー」

まずひとつ目については、持続的な関わりから生まれた企画が挙げられる。2月の3週末を連続して、地元で身体表現の分野で活動する人たちからなる実行委員会にイベントの企画や運営を委託した。その委員会は「美術館を公園にする」というコンセプトを提案した。何か特別な舞台が設定されているのではなく、公園のようにあちこちでいろいろな出来事が起きていて、本番とリハーサルの区分けもなく、ただそこに遊びに来る人、ダンスの練習をする人、それを眺める人たちが一緒にいるような、そういう空間をつくるということを目指して、「公園デビュー」という事業を行なった。この委員会のメンバーのほとんどはこれまでアーツ前橋の事業に何らかの形で関わった人たちで、その意味では美術館の空間や活動のことをよく知っている人たちであり、同時に県内外で個人の活動も行ない、演劇、音楽、ダンスなど異なる分野で活動する人たちでもある。彼らがこれを機会に共同で企画を行なったのがこの「公園デビュー」だった。

前橋という都市の特徴は、都心とは適度に距離がある関東の周縁部にあり、かと言って過疎地でもない、中間的な立地にある。そこで芸術文化の活動をする人たちは決して多いわけではないが少ないわけでもなく、お互いが顔の見えるような関係であり、それが身体芸術に関わる人たちがグループをつくり、美術館と継続的な活動が可能になった理由ではないだろうか。美術館側はどんなメンバーに参加してもらうかという重要な選択をすることになるわけだが、必ずしも先駆的な活動をすることが重要なわけでもないし、新しいことにも伝統的なことにも考え方が開かれていて、それぞれの人が継続的に熱心な活動を行なっていることが重要であると考えた。そして、その人たちの自発性や特徴を尊重するためには長い時間の話し合いが必要になる。ただ企画を任せてしまうのではなく、お互いの基礎となる考え方を共有できることが大切で、そのうえで私たち美術を専門とする学芸員よりも身体芸術への深い関心を持って活動してきた人たちが一番やるべきと思える企画が実施されるまで話し合いを繰り返した。その末に難しいと思われた設定コンセプトを委員たちは見事に実現し、今後もこの活動は継続されることとなった。

「公園デビュー」セッション風景[撮影:木暮伸也]

研究紀要と活動報告のかたち

それから開館後の活動を振り返り、論考を発表する研究紀要も発行された。そこには、例えば地元作家が戦時中に書き記したノートの調査、学校や福祉施設との協働作業やボランティアの活動をまとめた論考、過去の展覧会図録に収録できなかったデータなどが記載された。研究紀要の発行は、ほかの美術館でも持続的に調査し研究した成果を発表する機会として重要なもので、当館ではむしろ始まったばかりの活動である。今回の発行を通じて、こうした表になかなか見えない活動を、いかにして共有できるものにするかという点で、紙メディアだけではないいろいろな展開を考えていくべきではないかと感じた。

「横堀角次郎と仲間たち」

それから「持続性」という点では、横堀角次郎の個展は、34年前に群馬県立近代美術館で小規模個展が行なわれて以来だったが、当時の担当だった染谷滋さんに今回はゲストキュレーターをお願いした。それは当時の調査をさらに更新させ、ずっと地元の作家の調査を行なってきた染谷氏の知識や経験を引き継ぐ良い機会になると考えたからでもある。モノや資料といった一次資料と関わり続けるなかで見えてくるのは、そこにずっとあり続ける静的なものだからこそ、それを取り囲む環境はどんどん変化していくという事実である。身近に変わらずあり続けるものを見ることで、その背景にある歴史や社会の変化が見えてくるという点も地方美術館の特徴かもしれない。

このことは二つ目の特徴として挙げた「アイデンティティの流動化」とも関係する。美術館や博物館が必要とされる大きな理由には、「その地域のアイデンティティ形成に寄与する」という点がある。実際にその地域の歴史を掘り下げることで美術館や博物館がその役割を果たすというのは間違いない。ただおそらくそれを掘り下げることの先に、ほかの地域との共通性や交流であったり、あるいは昔からあったものがどのように変わってきたかも同時に見えてくる。例えば横堀角次郎は、草土社で活動していたときに描いた作品は暗い色使いで細密な写実を試みていた。つまりそれは岸田劉生が目指したような絵画だったが、そのあと春陽会時代には自由で明るい色使いの作風に大きく変わる。そこに一貫したものを歴史叙述は求めたがるが、作品が変化し続けることはむしろ当然のことでもある。

アーティストインレジデンス(イルワン・アーメット、ティタ・サリーナ/ときかたち)

海外のアーティストを招聘して作品制作を行なうアーティストインレジデンスもこの点で重要な役割を果たしている。高崎駅から出ている両毛線の朝夕のラッシュアワーは会社員や学生が多く、ほぼ都心部と変わらない。しかし、その時間帯を外れる昼間近くなると外国人の乗車率が一気に高くなり、私自身が海外を行き来しているときに乗り合わせると一瞬ここはどこの国か、と思うほどだ。イルワン・アーメットとティタ・サリーナは11月から1月まで前橋に滞在して、この地域に住むインドネシア人コミュニティと積極的に関わった。その実態は技能実習生、語学学校の留学生、永住者などに分かれ、しかも出身地や階級差などもあり、お互いを知り合える場所が多くあるわけではない。イスラム教のモスクがその重要な役割を果たしているが、宗教とは別の文脈で特に若い世代が集える場所を彼らの滞在スペースの中につくった。そこに異なる目的で滞在している人たちが集まって、自分たちのこれまでとこれからを話し合うようなワークショップを行なったが、彼ら、彼女らが高齢化していく日本の社会を心配して考えている意見などはかなり心を動かされるものだった。日本の社会のなかで声を聴くことが少ない外国人滞在者の存在を伝えるようなプロジェクトができたのは大きな意味があったのではないか。この2人組は、「社会や自然が固定的な状態にあるのではなく流動的な状態にある」という考えをもとに活動している。難民や移住者たち、あるいは火山活動のような自然環境も同じである。本来変わり続けているものを固定化して見がちな社会に対して、「物事は変化して一定ではない」という視点からメッセージを彼らは送る。前橋滞在中には浅間山の取材もしていた。

イルワン・アーメットとティタ・サリーナによるオープンスタジオ[撮影:木暮伸也]

もう一組、「ときかたち」はダンスのグループで、美術館から近い古い酒蔵を改装したスペースを使ってワークショップや公演を行なった。まだ若いメンバーだったこともあり、これまでと違う新しい試みをあれこれ行なうような機会になった。レジデンスは作品発表を前提にするものではないので、そうした実験をするのに適している。地元の身体表現関係者がそれを手伝うことによって互いに影響を与え合うことにも大きな意味がある。彼女たちはその可能性を十分活かすような滞在制作を行なっていた。同じことを繰り返すのではなく、新しいことへ移行するプロセスとしてこの事業が活用されていくのを見るのはとても嬉しい。

「Art Meets 05 菊池敏正/馬場恵」

春の時期には中堅作家の二人展を継続的に行なっているが、今回は数理模型を制作している菊池敏正と蘭の花びらの形をもとに作品をつくっている馬場恵の展示を行なった。

かつてコンピュータグラフィックがない時代に数式を立体模型によって表現したことを、造形的なかたちと色や肌理がつくりだす視覚体験として菊池は再発見する。連続する数値が生み出す線は本来固定できない。抽象から生まれるかたちには、目に見えていない別のかたちや線も想像させる喚起力がある。

馬場も多種多様なかたちを持つ蘭の花びらの深い奥行きがある世界を堪能させてくれるのだが、じつはその中には実際には存在しない架空のかたちが混じりこんでいる。こちらも自然界の法則のなかに介入する空想の力を楽しむことができる。

「彼女たちのまなざし:アーツ前橋所蔵作品から」

もうひとつ、2月には収蔵作品を紹介する展示として、女性の描かれた絵画作品や女性作家による作品を展示する「彼女たちのまなざし」展も行なわれた。絵画のモデルとして描かれた裸婦像などつねにまなざしの対象であり続けた女性にとどまらず、日本画の素材によってコラージュなどの新しい表現を試みた塩原友子、絞り染めの手法を作った寺村サチコなどを紹介する展覧会だ。昨今のフェミニズムの流れは、かつての自らのアイデンティティをもとに権利を主張するものから、それを固定的に捉えることの問題をもとにジェンダーの多様性を認める方向にシフトしている。その変化はかなり大きいものだ。民族や宗教におけるアイデンティティもそれと同じで、自分の問題を考えるだけでは済まないため、他人の問題を受け止めることですべての人が当事者になる。こうした昨今の動向を、作品によって未来へ伝えていくようなコレクションを形成しないといけないと改めて感じるものだった。



身体拡張2018 公園デビュー

会期:2018年2月2日(金)、3日(土)、4日(日)、8日(木)、9日(金)、10日(土)、11日(日)、12日(月・祝)、15日(木)、16日(金)、17日(土)、18日(日)[計 12 日間]
出演者:秋福音、アビシェイカー、荒井正人、新井隆人、荒木聡志、石坂亥士、今貂子、大日向基子、桐生大学短期大学部学生・卒業生、國崎理嘉、郡司厚太、小出和彦、小暮香帆、酒井一有、坂川善樹、佐藤あつし、白川昌生、鈴木伸一、絶望グロテスク、創作ダンスひまわり会、月映、てあしくちびる、内藤奈美、中村ひろみ、西原尚、にれいとしゆき、灰野敬二、灰ホトラ、ぴったと仲間たち、ファインフィットインストラクター、福西みゆき、前橋ユーレー、ミュージカルユニット cabo、武藤大祐、村田桂吾、村田峰紀、山賀ざくろ、ラブリー恩田、和合亮一、Abe“M”ARIA 、carry 音、KPC、kuku、MJOG 踊る会、OKANIWA 、OMEGA POINT、Rinn ほか
実行委員: 新井隆人(詩人)、大日向基子(パフォーマー)、岡庭涼(DJ)、小出和彦(劇作家・演出家)、坂川善樹(演出家)、住友文彦(アーツ前橋館長)、中村ひろみ(演出家・役者)、武藤大祐(舞踊学者)、村田峰紀(パフォーマー)、山賀ざくろ(ダンサー)

横堀角次郎と仲間たち

会期:2018年3月17日(土)~5月29日(火)

Art Meets 05 菊池敏正/馬場恵

会期:2018年3月17日(土)~5月29日(火)

彼女たちのまなざし:アーツ前橋所蔵作品から

会期:2018年2月2日(金)〜2018年3月4日(日)



(上記展覧会いずれも)会場:アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16/Tel. 027-230-1144

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