キュレーターズノート

「アートしている」人たちが確かに地域にいること──万田坑芸術祭と「おぐに美術部と作る善三展『好きなものを好きって言う』with 森美術館」からの風景

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2023年12月15日号

万田坑とは、かつて熊本県荒尾市と福岡県大牟田市の県境にまたがるかたちで位置し、操業した三池炭鉱の代表的な坑口のひとつである。明治から昭和初期にかけて多数の石炭を産出し、日本の近代化を支えた。戦後、徐々に合理化が進められ、1997年に閉山したが、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭作業」の構成資産として世界文化遺産に登録された。
万田坑のシンボルは、18.9メートルの高さがあり巨大な滑車で人や資材を地下へと昇降させていた第二竪坑櫓である。そのほか、ケージを巻きあげる巻揚機室、坑内の安全を祈願する山ノ神祭祀施設などが国の重要文化財に指定されており、来場者はガイドスタッフの案内で、周辺や内部を見学することができる。また、採掘した石炭を直積するために三池港が築港され、専用鉄道が引かれるなど、日本最大の炭鉱跡地として、現在保存・整備活動が継続して行なわれている。

万田坑芸術祭」は、それらの万田坑跡地をフィールドとして、国内外で活躍する井上修志、長野櫻子、牛嶋均、森本凌司ら4人の現代美術作家をアーティスト・イン・レジデンス形式で招聘し、初めて行なわれている現代美術展である。ガイドスタッフによる歴史に基づいたわかりやすい説明とパラレルなかたちで、ふと立ち止まって、歴史や風景を想像し直してみるような作品が展開されている。



「そこに確かにあった」ものたち

旧正門脇の桜町トンネルに設えられたのは、井上修志による《トンネルの植物は今日も青い》だ。レンガなどの大量の瓦礫の中に設えられたコンクリートの道を下っていくと、万田坑の地下を通るトンネル入り口へとたどり着く。現在封鎖されているが、この長さ130メートルほどあるトンネルは、かつて熊本側には売店や商店街、福岡側には芝居小屋があり、生活道路として賑わったという。その暗闇の中に目をこらすと、高さ2.4メートルほどのトンネルの明かり採りの窓の光が植物を照らしきらめいている。もはや誰も通ることのない無人の空間の中にも、生命は息づいている。

長野櫻子(anno lab)は「職場」と呼ばれる平屋建ての機械類の整備を行なう建物内に、映像インスタレーション《万田坑 職場のための9つの視点》を展示している。「ご苦労さん」「火気禁止」の看板のなか、さまざまなパーツや加工機械類が無造作に置かれた空間の中に、視点をずらして描きながら微細に振動するアニメーションが設置される。そこに音はない。万田坑が賑わった時代の「職場」はどうだっただろう。さまざまな金属がぶつかり合う音が響いて窓ガラスを震わせ、働く男たちの声がそこに満ちていたのではないか。小刻みに揺れるアニメーションは主たちが不在となった、かつての「職場」の在りようを物語るようだ。

敷地内をさらに奥へと進んでいくと、ふとそれまで工事の架線だと思い込んでいたロープが作品だということに徐々に気づき始める。森本凌司の《環を通す》は、万田坑に隣接する縫製工場「アソニット」跡地で集めた糸を約1キロの長さに編み直し、敷地全体に張り巡らせている。現在は立ち入ることができない同工場は、1963年に起きた三井三池炭鉱三川坑炭じん爆発事故の遺族らの雇用先として建てられたという。458人が死亡し、800人を超す人が一酸化炭素中毒となったという戦後最大の炭鉱事故から今年で60年。糸の環はそれらの歴史と私たちの日常は途切れることなくどこかでつながっていることを明らかにする。


森本凌司《環を通す》[撮影:長野聡史]


そして、第二竪坑櫓と拮抗するように、牛嶋均は《ロケット(もしくはミサイルもしくはボート)》を設置した。素材として用いられる、本来の役目を終えた鉄製の滑り台は、いったいどれだけの数の子どもたちにかけがえのない遊びの時間をもたらしたことだろう。人間が生き、成長するために欠くことのできないエネルギーをもたらした竪坑櫓も滑り台のどちらからも、「そこに確かにあった」という存在の重み、そして誇りのようなものが感じられはしないだろうか。


牛嶋均《ロケット(もしくはミサイルもしくはボート)》


これらの「万田坑芸術祭」は、荒尾市が主催する初めての試みだが、この総合ディレクターを務めたのがアーティストの宮本華子である。同市出身の宮本は、併せてマイクロレジデンス・AIR motomotoを主宰し、国内外から積極的にアーティストを招聘しては、成果展示やイベントを開催するなど、驚くべき活躍を見せている。現在は、ドイツ出身のスぺクス・ヨハネスとドニカ・マリによる、荒尾市の特産品である梨とその贈答文化がもたらすコミュニケーションに着目した「OSEIBO NASHI NETWORK」が開催中(2023年12月24日まで)だが、ひとりのアーティストの熱意や行動力が、行政や街を徐々に動かし、小さいながらも芸術祭を実行するまでになっているのは、注目すべきことであり、北部九州のアートの台風の目になることは間違いない。


「好き」が自分の言葉としてアウトプットされるまで

もうひとつ、今回紹介しておきたいのが、2021年8月1日のキュレーターズノートでも紹介した熊本県阿蘇郡小国町にある坂本善三美術館のコレクション・リーディングシリーズの第7弾「おぐに美術部と作る善三展『好きなものを好きって言う』with 森美術館」である。



今回の展覧会は、以前のレポートでも紹介した地域の美術部「おぐに美術部」の子どもたちと美術館が協働しながらつくり上げたものである。みんなでひとつの展覧会をつくり上げるのではなく、中学生、高校生10名、一人ひとりが、坂本善三の作品と向き合い、なぜその作品が好きなのか、どこに魅力を感じるかを、自ら映像を撮ったり、絵を描いたり、言葉で語ったり、来場者に参加してもらったりしながら表現した10個の展覧会がひとつの会場に展開されている。

何より展示に至る行程がすばらしい。子どもたちはまず、坂本善三の作品のなかから気に入ったもの数点を選ぶ。その後、そのなかからさらに「好き」を絞り込んでいくのだが、その過程で、善三美術館の山下弘子学芸員や美術家の坂崎隆一らとひたすら会話を繰り返す。なぜその作品なのか、どこが好きなのか、どう思うのか。山下学芸員も坂崎氏も決して急がず、子どもたちから「好き」の理由が言葉として紡ぎ出されてくるのをじっと待つ。

それらの作品のどこに惹かれたかを子どもたちが自分の言葉としてアウトプットするまでの課程が、それぞれの展示とともに映像で紹介されているが、山下学芸員によると実はこれは最終段階だという。山下学芸員は一人ひとりと向き合い何度も何度も話を聞いている。当然簡単には言葉にならない、モヤモヤした時間が続く、日にちが経っていく、それでも付き合い続ける。そうしてようやく「なぜ」が自分のなかで整理され、言葉として出てきて初めて、「じゃあどんな展示にしようか」という話になっていくのだ。「自分が面白いことが人にも面白いとは限らないのが面白い」、「意外と自分がものの並び方などにこだわる性格だと気がついた」「自信が持てない自分が人に何かを伝えることができてうれしい」──子どもたちは、作品と向き合っているようで、実はいつの間にか自分と向き合っている。

家庭でも学校でもない、サードプレイスとしての美術館には、山下さんという学芸員がいることを、小国の子どもたちはみんな知っている。阿蘇の山奥にある小国町の子どもたちは、都会の子どもたちが決して体験できない貴重な体験をしている。この経験は子どもたちの思考力を養い、人生をきっと豊かなものにしてくれるはずだ。


コレクション・リーディングvol.7「おぐに美術部と作る善三展『好きなものを好きって言う』with 森美術館」展示風景



前述の荒尾市は人口約48,000人、小国町は約6,100人。いずれも決して大きくはない自治体である。しかしそこに地域に根差しながら「アートしている」人たちが確かにいることは、何ものにも代えがたい地域の宝であることは間違いないだろう。



万田坑芸術祭

会期:2023年11月3日(金・祝)〜12月24日(日)
会場:万田坑(職場、選炭場、汽灌場煙突、桜町トンネル/熊本県荒尾市)
公式サイト:https://www.city.arao.lg.jp/0/7538.html


コレクション・リーディングvol.7「おぐに美術部と作る善三展『好きなものを好きって言う』with 森美術館」

会期:2023年7月22日(土)〜11月26日(日)
会場:坂本善三美術館(熊本県阿蘇郡小国町黒渕2877)
公式サイト:https://sakamotozenzo.com/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/collectionreadingvol0-7/

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