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シンポジウム「来たるべきアート・アーカイブ 大学と美術館の役割」 レポート:どこへどのように向かうのか? 芸術作品の資料の行方
影山幸一
2014年12月15日号
2014年11月24日、東京・六本木の国立新美術館で、京都市立芸術大学芸術資源研究センター主催のシンポジウム「来たるべきアート・アーカイブ 大学と美術館の役割」が開催された。芸術家を目指す学生の多い芸術大学が、「創造のためのアーカイブ」を育む調査・研究機関として、今年4月に芸術資源研究センターを発足。東京でのお披露目を兼ね、アーカイブの芸術教育への活用や社会への還元方法の確立に向けて、アート・アーカイブの意義と役割について考察した。大学と美術館が果たす役割とは何か、組織の年史をアーカイブする大学アーカイブズとの違いはあるのか、アート・アーカイブとは何かなど、関心をもって参加した。
何を集めて保存するのか
アート・アーカイブとは何か、まだ一般的には定義されてはいないが、その母体ともいえる包括的な概念にデジタルアーカイブがある。京都市立芸術大学のWebサイトにはアート・アーカイブの定義として、「アーティストの手稿、写真、映像など、作家や作品ゆかりの資料・記録類」と書かれていた。ここには取り立ててデジタルとは書かれていない。アナログとデジタル両方の資料・記録類ということだろう。
シンポジウムでは、開催に先立ち京都市立芸術大学学長の建畠晢氏より挨拶があった。「近年、展覧会ではアーカイブ的な要素をもった作品と資料の展示が増えてきており、二次資料で芸術が生まれている。一次資料(作品)と二次資料を分ける必要があるのだろうか。学内外の作品や各種資料等を芸術資源とし、新たな創造へつなげるアーカイブを考えていきたい」と抱負を述べた。続けて、国立新美術館館長の青木保氏による基調講演へ。
総合司会の加治屋健司氏(芸術資源研究センター準教授)から紹介された青木氏は「グローバル時代におけるアーカイブと美術館」と題し、青木氏の読んだ本 を引き合いに、最近関心のあるという“記録と記憶”の事例を示した。テロリストが発信した一回のわずかな情報を捜査機関がキャッチする情報収集力、また人類の記録と記憶の集積場所である図書館は、知と創造の車輪であること、記憶の消去が加速している現状や、ほころびやすく価値のないと思われている記録や、ビッグデータの扱い方、文化的なモノに対して公平な態度でない収集行為などを、アートの面に置き換えて考えていると語った。一番の問題は何を集めて保存するのか。また図書館と資料アーカイブとはどのように違うのか、この関係はどうなるのかに関心がある、と青木氏の想いの詰まった15分間だった。
事例発表──活用を待っている芸術資料
事例発表は、大学から渡部葉子氏と石原友明氏、美術館から川口雅子氏と谷口英理氏の発表だった。多彩な芸術資料を保存・活用する現場からの声である。
「ファジーでフラジャイルであり続けること──慶應義塾大学アート・センターの取り組み」
渡部葉子(慶應義塾大学アート・センター教授)
慶應義塾大学アート・センターでは、土方巽資料、ノグチ・ルーム建築資産、瀧口修造資料、油井正一資料、西脇順三郎資料、草月アートセンター印刷物資料を所蔵し、アーカイブのファジーな点を積極的にとらえ、いつでも、なんでもの姿勢でアーカイブを公開するようにしている。アーカイブの欠点をユーザーに指摘してもらい、研究者にアーカイブを育ててもらうという考え方である。またアメーバー的でフラジャイルなアーカイブは、新しい価値、創造に開けた存在としてオープンネスなものだ。それは組織、資料、マインドもオープンであることを指し、ファジーを担保することにもなる。ポイントは、公開と利用は異なるということ。閲覧は可能であっても利用には手続きが必要である。アート・アーカイブは、芸術作品とは何かを抱え込むことになる。大学の一研究機関としては、どんどんフライングをして実績を積み重ねる方針をとっている。同じような研究機関が増えるよう、パブリックな施設のアーカイブ活動を支援する環境をつくっていきたい。
「美術作品の記録を残すということ──美術館アーカイブズの視点から」
川口雅子(国立西洋美術館情報資料室長)
国立西洋美術館にはまだアーカイブズはない。美術作品のアーカイブズ資料は、作品の来歴を裏付け、歴史的価値を判断するうえで重要なものである。アーカイブズは公立か私立かという設立母体に相応しい社会的責任が伴っていると認識し、作品の歴史を守り、伝えるために、記録へのアクセスを保証することが必要だ。そのため国立西洋美術館では、会議録から購入・寄贈文書、貸出記録、展示記録、写真、書簡、掲載文献など、多岐にわたる資料や情報の集積に取り組んできた。ただし美術館の記録は、常に現用段階にある傾向のため、なかなか非現用書類としてアーカイブズに入ってこないうえ、作品の記録管理に従事するレジストラーが不在という問題もある。美術館にとって最も重要なものは美術作品。アーカイブズ領域の基礎理論を踏まえて、日本の実状と美術館の使命に沿うアーカイブのあり方を模索していくことが必要であろう。
「美術館とアーカイブ──国立新美術館の事例」
谷口英理(国立新美術館情報資料室アソシエイトフェロー)
日本美術の海外流出が懸念される昨今、日本の美術館におけるアーカイブ機能は十分に発揮されておらず、所蔵品を持たないアートセンターである国立新美術館でも組織体制を整え、資料整理を始めているがまだ課題は多い。現在の情報資料室スタッフは、情報担当室長1名が常勤であるが、資料専任アソシエイトフェロー1名と研究補佐員5名については任期付きであり、委託業者は3年ごとの入札というのが現状である。昨年(2013)は、資料のフローにまつわる業務委託と直接雇用職員の文書を整理し、それぞれの資料の性格に合わせ、閲覧手続きを段階化して、担当者が替わっても最低限対応できるようなシステムに改善した。ほぼ毎年開催しているアーティスト・ファイル展は、あらかじめアーカイブ構築を含んだ展覧会であり、参加した作家の資料を継続的に収集している。現在の課題は、①独立行政法人国立美術館5館内で検索できる共通ゲートウェイがない。②スタッフが数年で入れ替わるために継続性を図れず、資料寄贈者から信頼が得られない。③人員や専門性不足のために、館外の専門家と連携してアーカイブを育てていきたいが形がつくれない。関係者との共通理解を育てるために美術館アーカイブに関するガイドラインを作成する必要があると感じている。
「創造的誤読──制作とアーカイブ」
石原友明(京都市立芸術大学美術学部教授)
制作者の立場から発表する。アーカイブを創造的な技法としてとらえると、2つある。①情報を記録する技法としての“書き方”。②記録されたアーカイブを読み解く技法としての“読み方”。経験の記述法(書き方)としてモデルになるのが楽譜の記譜法である。「記譜(ノーテーション)」には、無数の読みを引き出す創造性がある。楽譜、地図、ダイヤグラムなど、経験の視覚化=記述法は、それ自体が制作者にとっての創造行為である。この“書き方”の「記譜」に対応し、“読み方”の「演奏」がある。ヒップホップは、DJがレコードプレイヤーを楽器として用い、身体的機能を引き出す創造的で確信的な「創造的誤読」が多様性を導く。脱物質化、脱身体化、脱場所化している膨大なアーカイブを、制作者は再度物質的、身体的、場所的なものと関係付けることができるかが重要だと思う。
パネルディスカッション──暴力的にカテゴリーを再編する
パネルディスカッションでは、進行役を林道郎氏(上智大学国際教養学部教授)が務め、事例発表者に加治屋氏も加わり行なわれた。パネルディスカッションでは話題が多岐にわたり、アーカイブが抽象化した印象を受けたが、冒頭の林氏と石原氏の議論はアーカイブの特徴が表われて興味深かった。
林──大学では“創造のためのアーカイブ”を課題に挙げているが、すべてのものを等価として扱う姿勢のアーカイブは“〜のため”と付いた途端、アーカイブそのものが有効性を失う。“創造のためのアーカイブ”がどのように成立するのか。
石原──制作者の大学で、アーカイブの対象が無数に生まれており、アーカイブ化するかしないか誰が決めるのか、権力の問題が上手く処理できない。力点としては何をアーカイブ化するのか、アーカイブをどうつくっていくのかというよりは、アーカイブを基点にどう先を読んでいくか、先ほどの“読み方”で、創造を見つけ出していくことができないかをまず第一義に考えている。
林──“読み方”の面白さが出てくるためには、今想定できる創造を、カッコの中に入れておかなければいけないのではないか。アーカイブは時限爆弾みたいなもので、いつどのような形で爆発するかわからない。今想定している創造性を前提として、そのためのアーカイブとすると、時限爆弾としては小さなものになってしまう。
石原──確かに“創造のためのアーカイブ”は矛盾をはらんでいる。実際どの作品が時限爆弾として上手く機能してくれるか判断できない。それを将来に向けて引き出してカッコの中において置けるか。アーカイブの可能性に異義はない。
網羅性のあるアーカイブに、目的を持たせると、アーカイブを効率的に運用することはできるが、同時にアーカイブを本質的に無効化してしまう危険性もはらんでしまうことが浮かび上がってきた。網羅性を指向しない「〜のためのアーカイブ」の存在については、検討する余地があることが明らかになった。だが、アーカイブの網羅性のなかにはすでに「〜のためのアーカイブ」をも含んでいる膨大で深遠な世界であることにも気付くのだ。
パネリスト各自からは、次の発言があった。
渡部氏は、土方巽の記譜に身体表現を付けて動きの見える映像アーカイブを製作した。紙から映像へアーカイブの新しいマテリアルをつくったと述べ、アーカイブの進化と創造の多様性を提示した。
川口氏は、アーカイブズでは資料の保存期間を決めるリテンション・スケジュールがあるが、美術館にはまだその考え方が浸透していないと、資料保存で先行するアーカイブズと美術館の差異を明示した。
谷口氏は、大学と美術館とで研究プロジェクトを立ち上げることや、大学を含めた他の機関のアーカイブの受け皿になっていけたらと、大学との共同研究と、アート・アーカイブの受け入れ先として美術館の可能性を示唆した。
石原氏は、芸術資源研究センターとして現在は、積極的にアーカイブをしていないが、大学史の編纂とは異なるアーカイブとして、創造の可能性をみていると、大学アーカイブズと芸術資源研究センターのアーカイブの方向性の違いを明らかにし、大学で制作される無数の試作品を社会へ活かしたいと述べた。
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ代表も務めている加治屋氏は、学芸員や批評家、大学の元教員や授業のアーカイブを通し、大学を自己言及的に多様化して見られたと、アーカイブには再確認の効果もあることを示した。
最後に林氏は、「歴史観の失効、大きな物語の失効、一方では構造主義の影響もあってアーカイブは出てきた。現実がすべて無意味になってしまい、すべてのものが二重性を抱えている世界にわれわれは住んでいる。どのような意味を持っているかわからない不明なものに囲まれて生きている。意味を持つかもしれないという不安におびえて生きている。意味の多義性に対して人々は不安を感じている。それがアーカイブという思考を推し進め、共有されている感覚だと思う。時には暴力的にカテゴリーを再編することも必要であろう」と語った。
定金計次氏(芸術資源研究センター所長)から、インド仏教の源流には絵画があった、と閉会の辞をもって3時間30分のシンポジウムは締めくくられた。
シンポジウムを振り返って
資料や情報を研究や創造に役立てるなど、芸術資源の活用を指向する大学と、保存を指向している美術館。両者が共有する資料をめぐるシンポジウムでは頻繁に「アーカイブ」という言葉が出てきた。“アーカイブは思考のモードとなった”という林氏。聞き手はその「アーカイブ」から資料や記録、情報、デジタルコンテンツ、あるいは保存やデジタルアーカイブなど、話の文脈から「アーカイブ」の意味を推察する状況であったかと思う。
公文書館とその資料を指す「アーカイブズ」や、固有名詞と接続して使われる「アーカイブス」との違いを明確に使い分けている人はまだ多くなく、コンピュータ用語でも複数のファイルをまとめたものを意味する「アーカイブ」か、「デジタルアーカイブ」を略した「アーカイブ」なのか、公開議論する事前の相互認識の確認は、論点が絞られ有効だと思われる。
しかしこのように「アーカイブ」の定義が曖昧だとしても、概念が定着しつつあることは確かであるし、芸術大学と美術館が連携して資料について会合をもったことは大きな一歩であった。資料保存の理念や、業務で資料整理に携わっている人の切実な問題、それらの情報が広く共有されてアーカイブの点が線になる機会ともなる。
“創造”に特化したアーカイブを形成させるためには、さまざまなアーカイブがアイデアの源泉に留まらないよう、具体的なアクションにつなげたい。例えば、歴史に残る作品をデジタルリメイクしたり、デジタルコンテンツを媒介としたコミュニケーションを行なうアーカイブ事業を実施するなど、また実物の作品や資料、そして人と接することにより五感を開くプログラムを準備することなど、作品をアーカイブすることを超えて、作品を制作する過程や創作思考の分岐点を記録する。創作しながら保存していくアーカイブシステムを構築し、美術館の文献資料データベースと接続することで補完し合うことが期待できる。どこへどのように向かうのか? 芸術作品の資料。「アート・アーカイブ」が動き始めた。
京都市立芸術大学芸術資源研究センターシンポジウム
「来たるべきアート・アーカイブ 大学と美術館の役割」
場所:国立新美術館
日時:2014年11月24日(月) 13:30〜17:00
URL:http://www.kcua.ac.jp/event/20141126_arc-symposium/