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吉山明兆《白衣観音図》縦横無尽な線の力と構成力──「福島恒徳」

影山幸一

2012年04月15日号


吉山明兆《白衣観音図》室町時代・15世紀前半, 紙本著色, 掛軸装一幅, 328.0×285.1cm, 重要文化財, 東福寺蔵
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東福寺のご縁

 近頃、京都に行く機会が多くなり、寺院の多い京都にしては駅名に寺の名前が付いた駅が少ないと思いながら、京都駅で帰りの東京行き新幹線を待っていた。少し時間があったので予備知識もなく隣の東福寺駅へ行ってみた。駅から徒歩で10分ほどの東福寺へ向かうと思いのほか広く、手入れの行き届いた小さな渓谷を抱く広大な敷地に日本最大最古の三門(国宝)が堂々と建っていた。しかしスケールの大きな禅寺空間に驚いている間に、スクーターに乗った寺の人がいくつかある門の扉を順次閉め始めた。後ろ髪を強く引かれる思いを残したまま、何かがありそうな予感をいだき、東福寺をあとにした。
 あれから半年、この3月に改めて東福寺へ行ってきた。調べてみると、臨済宗大本山である東福寺には、吉山明兆(きっさんみんちょう。以下、明兆)という雪舟と並ぶほど有名な画僧がいたことがわかった。やはりあの大伽藍はただごとではなかったのだ。雪舟は知っているが、明兆とはどんな絵師なのか。名前からはまったく作品がイメージできない。寺の規模と絵画の関係を連想すれば、あの広い空間にあるのは並大抵の絵画ではないだろう。ところが、いざ探してみると、東福寺所蔵の絵画がなかなか見つけ出せなかった。明兆が有名というわりには資料、とりわけ画像にアクセスしにくいのだ。やっと作品を見つけたのは、『日本美術の歴史』(辻惟雄, 2007)にあった《白衣(びゃくえ)観音図》のカラー画像だった。解説には、道釈画★1とある。初めて見る作品だったが、アルファベットのMの形に見える構図と、大らかでシャープな筆遣いが古さを感じさせず気になった。果たして明兆研究者はいるのだろうか。
 室町時代の仏画研究者のなかで、明兆に関する論文を発表している人はやはり数が少なかった。それも《白衣観音図》(東福寺蔵)に限ると、わずか数人である。そのなかで1998年に山口県立美術館で開催された『禅寺の絵師たち─明兆・霊彩・赤脚子─』展の図録は明兆についての資料が総覧できる充実した内容のうえ、なんと言っても表紙がこの《白衣観音図》なのである。展覧会の企画を担当した福島恒徳氏(以下、福島氏)に明兆の魅力を伺いたいと思った。福島氏は現在、京都・花園大学教授であるが、急な取材依頼を快諾してくれた。京都にはご縁がある。

★1──中国における道教や釈教(仏教)で説く神仏を描いた絵。


福島恒徳氏

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