アート・アーカイブ探求
東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》哀感にじむアンバランスな魅力──「浅野秀剛」
影山幸一
2009年10月15日号
10カ月の絵師
明快で迫力がありながら、どこか違和感のある絵。東洲斎写楽(以下、写楽)である。なぜか酒場の類に写楽という店が多い。“しゃらく”を辞書で引いてみれば、洒落・灑落とあり、物事に頓着せず、さっぱりとしてわだかまりのないこと。「洒落に生きる」などと使うのだそうだ。洒落臭いという形容詞も意味深げだ。写楽のイメージは、洒落の語感と重なり興趣が宿る。
それにしても、写楽という江戸時代の浮世絵師は、生没年不詳でしかもわずか10カ月ほどしか活躍していないが、“謎の絵師”として人気が高い。その魅力は何なのか。やはり謎だ。しかし、写楽はミステリーの領域に置き去りにはできない絵師である。
代表作のひとつである《三代目大谷鬼次の江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじのえどべえ)》を見た人は多いと思うが、題名を知る人は少ないだろう。見慣れたこの作品を改めて鑑賞してみたい。
写楽や歌麿など浮世絵に詳しく、国際浮世絵学会の常任理事を務める浅野秀剛氏(以下、浅野氏)に話を伺った。浅野氏は現在、大和文華館の館長でもある。JR京都駅から近鉄に乗って1時間ほど、奈良県にある大和文華館(2003年3月〈ミュージアムIT情報・MUSEUMシリーズ〉)を訪れた。野趣に富む自然園に囲まれた、東洋の美術工芸品を収集している美術館である。
古都と学芸員
開館50周年を来年に控えた大和文華館は、2009年9月28日から2010年10月末までリニューアルのため休館と聞いていた。敷地内の駐車場は既に工事の準備に入っていたが、9月下旬ちょうど彼岸花、酔芙蓉、萩の花が見ごろだった。
浅野氏は、約23年勤めた千葉市美術館(美術館準備室を含)を退職し、2008年4月に大和文華館へ異動してきていた。学生時代に美術の世界に感化された浅野氏は、古都の環境に再び招き寄せられた。浅野氏は元々理工系志望だったが、学生時代美術作品や展覧会の多い京都で過ごしたことが、理系から文系へと関心が変わっていくことになったと話す。東寺の兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)には特に魅せられたようだ。また、学生時代に入っていた古美術研究会の先輩から、浮世絵について質問しろと言われ質問をしたら、わからないとあっさりと言われ、知りたいなら自分で調べろと追い打ちをかけられた。これが浮世絵との出会いになったと微笑む。調べて考えることは好きだった。出身地の秋田から受験のために京都に来て、絵を描く以外にも絵を見て調査して考えるという職業があることを知り、大学卒業後に通信教育で学芸員の資格を取得した。千葉市美術館で学芸員となり大和文華館の館長となった。京都の環境が浅野氏に与えた影響は大きかったにちがいない。