アート・アーカイブ探求

長沢芦雪《虎図》写実から解放されたユーモア──「辻 惟雄」

影山幸一

2010年11月15日号


長沢芦雪《虎図》江戸時代1832(天明6)年頃, 紙本墨画, 襖183.5×115.5cm(4面)・180.0×87.0cm(2面), 重要文化財, 無量寺・串本応挙芦雪館蔵
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虎年に思う奇想

 今年もあとひと月、そう言えば、今年は虎年であった。このまま静かに終わるとは思えない、と勇ましい虎を思い浮かべてみたら、長沢芦雪の《虎図》(無量寺・串本応挙芦雪館蔵)が浮かんできた。日本一大きい虎の絵などと呼ばれているが、面白味があり、勇ましさとは対極にある。この江戸時代の絵師である長沢芦雪を、伊藤若冲や曾我蕭白と共に「奇想の画家」のひとりとしてラインアップに入れたのは、日本美術史家で名著『奇想の系譜』の著者である辻惟雄氏(以下、辻氏)である。ただ若冲や蕭白に比べてインパクトが弱いと感じる──いや、決してそうではないことは察しがつく。芦雪の魅力、《虎図》の見方を辻氏に伺ってみたいと思った。辻氏は、江戸時代の絵画の面白さを発見し、昭和と平成の時代に江戸時代のおかしみを感じさせてくれた。現代美術家の村上隆との交流関係もある辻氏が語る奇想の芦雪とは、《虎図》とは、一体何が隠されているのだろうか。東京・築地の朝日新聞社に隣接する日本最古の日本・東洋美術誌を発行する國華社に辻氏を訪ねた。

異端ではない

 辻氏は現在滋賀県にあるMIHO MUSEUMの館長である。1932年名古屋市に生まれた辻氏は、医者を目指して東京大学教養学部へ入学した。ところが発疹チフスを患い、入院して2年間休学することになる。体力を落とした辻氏はこれを機に好きな絵の勉強ができるという文学部へ転部した。当時は今よりも就職先がない時代で大学院へ進学、1961年同大学院美術史専攻博士課程を中退後、東京国立文化財研究所美術部技官、東北大学文学部教授、東京大学文学部教授、国立国際日本文化研究センター教授、千葉市美術館館長、多摩美術大学学長などを歴任している。
 学生時代は、ピカソやダリ、油絵の松本俊介が好きだったという辻氏が最初に手掛けた研究は浮世絵の始祖・岩佐又兵衛。続いて狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳ら、近世絵画史において長く傍系とされてきた表現主義的傾向の画家たちを研究し、エキセントリックであり、ファンタステックなイメージを表出する特徴から「奇想」という言葉で定義した。傍系でもなく「異端」でもなく、主流の中での前衛と再評価した功績は大きく、今もその美的価値へのまなざしは瑞々しい。
 芦雪の《虎図》については、何より画面の大きさだと辻氏は言う。人の背より高い大きさの襖(ふすま)の画面が連続し、そこに描かれた虎が画面からはみ出る。あっと驚くような虎がこちらに飛びかかってくるような錯覚を覚えさせる表現にまとめたところが、芦雪の非凡な才能、と辻氏は述べた。


辻 惟雄氏

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