デジタルアーカイブスタディ
東京大学 研谷紀夫氏に聞く:『デジタルアーカイブにおける「資料基盤」統合化モデルの研究』出版について
影山幸一
2009年07月15日号
東京大学大学院情報学環の特任助教の研谷紀夫氏(以下、研谷氏)が、2009年2月に『デジタルアーカイブにおける「資料基盤」統合化モデルの研究』(以下、『DA研究』)を勉誠出版から出版されました。今までデジタルアーカイブを博士論文のタイトルにしているのは、国立国会図書館の博士論文から検索したところでは卞彰秀(ビョン・チャンス, 京都市立芸術大学, 2003)
と権修珍(ゴン・スウジン, 立命館大学, 2005) 、と研谷氏の3人でした。研谷氏が2007年に同大学院学際情報学で発表した博士論文が、初めて書籍化されたのですが、デジタルアーカイブという言葉が日本に生まれて約15年が経過し、デジタルアーカイブ推進協議会が閉じて3年、文化資源情報を未来につなげるデジタルアーカイブにとって、次の時代への礎となる一冊となっています。この本に込めた研谷氏の思いや展望を伺いました。(2009年6月30日 東京大学大学院情報学環にてインタビュー)──博士論文と書籍が同タイトルですが、なぜ、デジタルアーカイブをテーマにしたのですか。
研谷──デジタルアーカイブのアーカイブという語が、多様な意味を含むため、担当教官と相談しながら悩んで決めました。多様な記録資料の収集と保存継承を行なってきたアーカイブの哲学と具体的な方法・技術を中心基盤に置きながら、ミュージアム、ライブラリーなどの資料
をも包括して扱う資料情報基盤を指す「デジタルアーカイブ」が、一般にも使用されるようになったことがあります。ただし、本書では冒頭にデジタルアーカイブを再定義しており、全体の内容は遺産との結び付きを表わしたDigital Cultural Heritage(以下、DCH)という用語でまとめています。
──なぜ、デジタルアーカイブに関心を持たれたのですか。
研谷──慶應義塾の学生の頃から、デジタルメディアで文化財や民芸などの番組を作って放送したいという思いが潜在的にありました。2000年IT関連の会社に勤めていた時「インターネット博覧会─楽網楽座」(インパク)があり、これを企画する仕事によって、デジタルアーカイブを認識したのがデジタルアーカイブとの出会いです。
──現在は、どのような研究を進めていらっしゃいますか。
研谷──文化資源のデジタル化に関わる標準化、デジタルコンテンツ全般の権利や流通の問題、情報や情報知識の統制、典拠情報やメタデータの統制の研究などをしています。
──『DA研究』では、デジタルアーカイブをタイトルにしながら、本文では、デジタルアーカイブをDCHに変えています。その理由はなんでしょうか。
研谷──デジタルアーカイブというといろいろな定義がされています。本来アーカイブには記録資料、文書資料、あるいはそれを収容する施設という意味がありますが、博物館や図書館とは違うのかという観点が出てきます。デジタル化するということは、文書館、博物館、図書館といった枠を超えた文化遺産・文化資源を横断的にとらえる視点が必要だろうと思います。これがデジタル化の一つの長所であり、3つの施設全体をとらえ直し、再定義しようということで、アーカイブという言葉を使わずにDCHを選択しました。
また、「ヘリテージ」がキーワードで、持続して継承していく意味を込めておく必要性を感じ、国際的にはDCHが使われている背景もありました。
──DCHだけでなく、最近はデジタル・ヒューマニティーズ(DH)という言葉も出てきていますが、デジタルアーカイブという用語は将来なくなるのでしょうか。
研谷──なくならないでしょう。デジタルアーカイブは多様な意味をもちますが、普及した言葉としてイメージの共有化に使われていくのではないかと思います。
──博士論文は、上中下の3部構成で電話帳のような厚さの中に、事例やデータが豊富に掲載され、「デジタルアーカイブ学」にも触れた野心的な大作でした。今回出版された『DA研究』ではB5判(182×257㎜)ハードカバーとなって、論文の要点を380ページにまとめていますが、この本で最も主張したい点はなんでしょうか。
研谷──伝統的なアナログのアーカイブやミュージアムとの関係が希薄になっていくなかで、既存のアーカイブやミュージアムと、デジタルとの関係やつながりがどうなっているのか、改めて見たかったという思いがあります。また、それを表わしたいという思いがありました。
一方、哲学的なところとして、図書館情報学や博物館学は学問の根本的なところがあり、図書館の分類、大学の学部の分け方に学問の分類との相関関係が見られるなかで、デジタルで情報を分類していくと、人・もの・資料の関係性が変わり、知識の形成の方法も変わる。これは新しい学問や文化の見方と、何かつながるところがあるのではないかと思います。コミュニケーションが根本的に変わっていく。むしろそういう観点からデジタルアーカイブをとらえないと単なるIT促進の道具に終わってしまうと思いました。この本では知識基盤としてデジタル化がどういう影響を及ぼすのかを掘り下げたかったのです。
それから、デジタル化された文化遺産は果たして遺産として継承していくことが可能なのか、継承していくとすればどうすればいいのか。現在は、一次資料をデジタル化することに主眼が置かれているけれども、それが続いていかなければ文化資産や文化遺産としては単にコンテンツになって、価値が半減してしまい、本来の文化のもっているものの意味が薄れてしまう。あるいはそもそもデジタルというものはそういう文化遺産になるものではないということも追究したかった。
結論としては、デジタル化された文化遺産は、現物とは違う資産・遺産の価値があり、それを前提に方法論を述べました。現状は進まず難しい局面もありますが、負の経験を踏まえて今後どうしていけばよいかを試みました。
──当初はデジタルに疑問を感じながらも、デジタルに価値を見出したその分岐点はどこだったのでしょうか。
研谷──現物だけですと、従来の分類形式のなかで隣り合わせになり、比較することになるが、デジタルであるからこそ分析できること、デジタルであるからこそつながるもの、デジタルであるからこそ見えてくる視点があります。今までは見えていなかった知見や、ありえなかったつながりが見えてきて、文化資源の文脈自体が変わるかもしれないと。
──今回『DA研究』をまとめる際に、最も苦労された点は何ですか。
研谷──博物館・図書館・アーカイブの3施設まで視野を広げたので、全般を見るのは大変でした。浅くなってしまうところもあり、ポイントを掴むのが難しかったですね。全体を見てポイントが絞れているのか、それとも偏りがあるのか。そんな迷いのなかでアート・ドキュメンテーション学会のWebにある文献情報はとても参考になりました。それからデジタルは生ものというか、新しい事例がどんどん出てきて、書いていてもそれが古くなってしまうことがあります。
──デジタルアーカイブの現在の問題点はなんでしょうか。
研谷──『DA研究』にあるのですが、文化資源情報媒体の問題として、主に7つの問題点が挙げられます。
(1)1つの組織で多様な文化資源情報媒体が個別に構築されている。
(2)アーカイブ、ミュージアム、ライブラリーの資料構成法が並存・混在しておりそれらを包括する視点が確立されていない。
(3)DCHはどのような場合に利用し、活用すべきか、現物資料や他の施設やメディアとの関係でその立場が明確ではない。
(4)資料や権利の扱い、構築フローが明確でないため、新規構築者によるプロジェクト化が難しい。
(5)使用されている情報技術の先進性や、構築実績に重点が置かれ、実際にそれらが、利用・活用されているかが明確ではない。
(6)ユーザーフィードバックやコンテンツの随時更新などデジタル技術を活かした機能が実装されていない。
(7)資料などを用いることによって、どのような知識情報を形成していくかそのフローが明確ではない。
(『DA研究』p.11「Digital Cultural Heritageの現在の課題」より)
──タイトルに明記された「資料基盤」統合化モデルとは、簡潔に言うとどのようなものなのでしょうか。
研谷──多くの人が信頼性のある共通の方法で構築をして、さらに多くの人が信頼と共有の基盤で利用できる仕組み。これを作るとき建築のイメージがありました。博物館や図書館の建築は共通の構造があり、利用者も大概使い方がわかる。この統合化モデルも同様に、基準など設けなくても作る側も利用する側もこうなっているという信頼と共有があって、構築と利用ができるものがいいと思いました。
──まず、「資料基盤」が大事ということですが、誰が整備すればよいでしょうか。
研谷──英国や韓国は、上意下達なところがありますが、日本はこのようにはいかない。国、自治体、企業、大学などが関わって、複数の機関が緩やかなコンソーシアムを作ることが必要だろうと考えています。MLA連携という言葉が広まり、アート・ドキュメンテーション学会や人文科学とコンピュータ研究会の活動、東京国立博物館の「ミュージアム資料情報構造化モデル」、国立情報学研究所(NII)の「文化遺産オンライン」など、意識は高まっていると感じています。
──デジタル資料の質の評価ができないのが、最大の問題点とおっしゃっていますが、どのような方法で誰が、質を評価すればよいと思われますか。
研谷──デジタル・アーキビストという専門職がありますが、そういう職種の人がやるべきだと思います。何をデジタルアーカイブするのか、仕上がったデータについて評価・選別をする必要があります。視覚的には形と色、テキストでは情報の内容を見る。形や色、漢字や文字コードなどが、ルールに則ってデジタルで表現されているかを評価する必要があり、例えば、形であれば肉眼や計測値、色であればカラーマネジメントを使う場合もあります。
そしてそれが再現されているか、どのような方法でデジタル化したかなどの記述(下記「プロファイル情報とは、何ですか」参照)についても評価をしていく。現物とデジタルデータの測定差もそうですが、評価する機器も評価しなくてはいけないでしょう。評価軸を決めるのは難しいのですが、日本印刷学会ほか、いくつかの規格を検討しながら、資料のデジタルアーカイブ方法やその評価について、来年の春を目指しまとめる予定です。