[韓国、大邱]

韓国では、ソウル、釜山に続く、第三の大都市とされているが、なかなか訪れる機会がなかった大邱(テグ)に初めて足を踏み入れた。17世紀以降、韓方薬の市場として発展した大邱には、近代になるとキリスト教が早くから広がった。その思想ゆえに独立運動では重要な役割を果たし、世界的な企業となったサムスングループが発祥した都市でもある。移動日の夕方に到着し、朝に離陸したため、実質的に現地の滞在は2日間だったが、建築関係者に案内してもらい、効率的に街並みを堪能した。

中心部はコンパクトに見どころが集中している。いまも薬品を売る店舗が並ぶ道があることからも大邱における韓方薬の存在感の大きさがわかるように、大邱薬令市韓医薬博物館では、模型やアニメを用いて、街の歴史を紹介していた。旧市街は、かつて城壁に囲まれていたが、日本統治時代に解体され、現在は道路になっている。近代史に関わる主な拠点は、曲がりくねった小道にも点在していたが、史跡めぐりのルートがきちんと整備されていたり、各種のコースを紹介するパンフレットを用意されていたりと、観光に力を入れているようだ。

散策ルート

まずキリスト教の関連施設としては以下が挙げられる。民族運動の拠点になった歴史を展示する2階建てのレンガ造の《嶠南YMCA会館》(1914)、フランス人の神父が設計したというゴシック様式の《大邱桂山洞聖堂》(1902)や《大邱第一教会》(1908)、そして現在は医学博物館として使われている20世紀初頭に建設されたアメリカ人の宣教師の家には折衷的なデザインも認められた。特に宣教師の家は、韓国人にとっても観光地になっているようで、多くの人が訪れている。ほかに独立運動を推進した徐相敦の住宅、金源道など、文学者の家屋が公開されていた。


《大邱桂山洞聖堂》(1902)

アメリカ人宣教師の家

徐相敦の住宅

大邱は文学、美術、音楽の分野で、韓国の近代芸術をリードした都市でもある。自由を求める運動に対し、宗教と芸術が関わりをもった。日本統治時代の建築としては、《朝鮮殖産銀行大邱支店》(1932)をリノベーションした大邱近代歴史館や「敵産家屋」(日本風の家屋)などが残っている。後者は、慰安婦の問題を展示する施設や、カフェなどに転用されていた。そして古建築風のスターバックスもあり、これは賑わっていた。

大邱近代歴史館


関連レビュー

大邱の現代建築|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2024年5月13日)

鑑賞日:2024/03/29(金)