2024年4月30日、タイ北部チェンライ県で5カ月に渡り開催されたタイランド・ビエンナーレ・チェンライ2023(以下、TBC)が盛況のうちに閉幕した。21カ国から60名のアーティストの作品が展示されたこの国際展は、国内外から延べ270万人以上の来場者を記録し、チェンライや近隣地域に240億バーツ(約1,050億円)以上の経済効果をもたらした★1。4月27日には盛大な閉会セレモニーが開催され、次回の開催地であるプーケットの県知事にビエンナーレのフラッグが文化大臣から贈呈された。

各方面から大成功と評されたTBCは、タイのアートシーンに、そしてチェンライの街に何を残したのか。TBCアーティスティック・ディレクターのクリッティヤー・カーウィーウォン(Gridthiya Gaweewong)のコメントを挟みながら、国際展がもたらしたものを考える。

クロージングセレモニー[筆者提供]

移動するビエンナーレとチェンライ

タイランド・ビエンナーレは、タイ文化省現代芸術文化局が主催する国際現代美術展。2018年の第1回は南部のクラビ県、2021年は東北部のコラート(ナコーンラーチャシマー県)、そして今回が北部のチェンライ、というように毎回タイの地方都市を移動して開催されることから、その土地が持つ風土や歴史や文化の違いが各回の大きな特徴だ。

タイ最北部に位置し、ミャンマー、ラオスと国境を接するチェンライは、13~18世紀にタイ北部を統治したラーンナー王朝最初の都があった地域。独自の「ラーンナー文化」の伝統が色濃く残り、古都チェンセーンには13世紀の遺跡群が残る。また三国が国境を接する地帯は、かつて世界最大のケシ栽培地帯として悪名を馳せたゴールデン・トライアングルである。この地帯は、山岳少数民族や中国雲南省から南下した旧中国国民党軍の子孫など多数の部族が暮らす多民族多文化社会であり★2、長い歴史のなかで、チェンライは常に隣国との関わりのなかで変容してきた。

この複雑な歴史的、地政学的な特性のほか、チェンライは強力なアートコミュニティの存在でも知られる。数多くのアーティストが自律的に活動し、自宅にアートスタジオやギャラリーをつくって開放したり、著名なアーティストが寺院や美術館などを建設して一般に公開するなど、地域社会のなかでアートの実践を行なっている。今回のビエンナーレでは、そうした地元アーティストの手による場所も会場として利用された。作品のなかでビエンナーレの展示を見る入れ子の面白さがあり、観客がタイの信仰や風俗に触れる機会にもなっていた。

“The Open World” トランスローカルなキュレーション

過去2回のビエンナーレが海外からディレクターを呼んだケースとは異なり、TBCでは初めて企画チームがオールタイで構成された。アーティスティック・ディレクターは、リクリット・ティラバーニャとクリッティヤー・カーウィーウォン。キュレーターは、アンクリット・アチャリヤソーポン(Angkrit Ajchariyasophon)とマヌポーン・ルアングラム(Manuporn Luengaram)。どちらもアーティストxキュレーターという組み合わせだ。国際展のキュレーションも手がけるリクリットと、バンコクでギャラリーを運営するアンクリット。またクリッティヤーとマヌポーンは、それぞれProject 304★3とabout café★4という、90年代後半のタイ現代アートシーンを牽引した重要なオルタナティブ・スペースに携わっていた。つまり、全員がオルタナティブな芸術活動の実践経験を持っていた。さらにクリッティヤーとアンクリットは地元出身で、この土地への理解と愛が深い。それによって、短い準備期間にも関わらず、観光的な切り取りや体験とは異なる深い眼差しを地域へ差し込むことに成功していた。

この4人が選んだ作家は、タイの作家が22名、海外から38名。ローカルの無名な実力者やグローバル・サウスの作家、またアピチャッポン・ウィーラセタクン、ホー・ツー・ニェン、エルネスト・ネト、ヤン・ヘギュなどのスター作家も加わり、国際展ならではの見応えがあった。選定においては、作品だけでなくプロフィールも重視したという。欧米のアーティストは主にリクリットが担当し、アジアのアーティストは「日頃からその作品をよく知り、コミュニティに敬意を払い順応できる作家」をキュレーター陣が選定した。

また、彼らはこのビエンナーレをノンリニアな運動体と捉え、キュレーションの外へ、メイン会場やパビリオンの外へと拡張させて、ビエンナーレは街と一体化していった。期間中38の連携企画のほか無数のイベントが日々行なわれ、ガイドブックには、地元アーティストのスタジオリストが地図QRコード入りで掲載された。国家イベントのなかに、東南アジア特有のオルタナティブな風を呼び込み、それがチェンライらしさを強調していた。ビエンナーレのオルタナティブな要素について、クリッティヤーはこう語る。

「チェンライの状況は、私たちが活動を始めた1990年代のバンコクやタイの現代アートの情況と似ていました。美術館や白い壁のあるスペースなど、伝統的な意味での『インフラ』が不足しており、おのずと既存の公共スペースや遺跡、古い寺院など、チェンライ中の17会場に作品を展開することになりました。これは、1990年代前半のチェンマイ・ソーシャル・インスタレーション★5とよく似たやりかたで、私たちはこのモデルにとても満足しています」

ビエンナーレ本番の9カ月前、現地リサーチに訪れた企画チームは、チェンセーンの遺跡ワット・パーサックにある仏陀の立像の姿から、今回のテーマ「The Open World(オープン・ワールド)」を着想したという。蓮の台に立ち、身体の脇に置いた両腕の手のひらを広げ、すべての人に世界を開く開眼のポーズだ。コロナが明けた世界を暗示すると同時に、グローバルな問題に呼応し、多文化共生や自然との共生といった今日的課題にも通じる包括的なテーマである。チェンライの複雑な歴史の文脈を紐解きながら、同じ宿命を持つ世界の遠く離れた地域とトランスローカルな対話を試みたキュレーションは、川を下り、神話の森を抜け、メコンからアマゾンへ、地域を超えてつながるダイナミックな流動性を生み出していた。この「オープン・ワールド」の理念を最も具現化していたのは、チェンライの人々だったとクリッティヤーはいう。


ワット・パーサック。入口正面のストゥーパの窪みに仏像が残されている[筆者提供]

「彼らはとてもオープンで、アーティストや来場者を歓迎してくれました。そこには、ブラック・ハウスをつくったタワン・ダッチャニーや、ホワイト・テンプルを建立したチャルーンチャイ・コーシピパットといった、地域コミュニティの尊敬を集める先達アーティストの存在がありました。またチェンライが国境の街であり、多文化社会であり、長い間観光客を受け入れてきた事実にも大きく起因しているでしょう」

チェンライの歴史と自然のなかで

グロテスクな装飾に覆われた白亜の寺院ホワイト・テンプル(ワット・ロンクン)は、チェンライ出身のアーティスト、チャルーンチャイ・コーシピパットが建立したチェンライの人気観光スポット。現在も増殖し続けている[筆者提供]



バーン・ダム・ミュージアム、通称ブラックハウス。25以上のタイ北部の建築様式の建物に民間信仰の術具や民具などタイの巨匠タワン・ダッチャニーのコレクションと作品がひしめく。独自の原始宗教的コスモスに4作家の作品が展示された[筆者提供]



TBCに合わせて開館したチェンライ国際現代美術館(Chiang Rai International Contemporary Art Museum:CIAM)(7/10からチェンライ現代美術館[Chiang Rai Contemporary Art Museum:CCAM]に名称変更)。ホワイト・テンプルのチャルーンチャイが建設した私設美術館で、黒い棟がダッチャニー、白い棟が自身を喩えているとか[筆者提供]


ヤン・ヘギュ《Incantations–Entwinement, Endurance and Extinction》(2022)、《The Randing Intermediates- Inception Quartet》(2020)
移動と文化的アイデンティティを探求するヤン・ヘギュは、北タイの伝統的な紙旗や立体を反映した作品シリーズを2カ所で発表[筆者提供]



木戸龍介《Inner Light -Chaing Rai Rice Barn-》(2023)
彫刻家の木戸龍介は現地に2カ月滞在し、タイ農村の古い米倉庫を移築して、ウイルスやバクテリアの侵食を思わせる模様を地元の工芸職人たちの手を借りて制作した[筆者提供]



チャタ・マイウォン《The 4 Novel Truth》(2023)
独学でアートを学んだチェンライの彫刻家、チャタ・マイウォンは樹齢200年のアーモンドの枯木から巨大な彫刻を生み出した[筆者提供]



ウィット・ピムカンチャナポン《Summer Holiday with Naga》 (2019)
メコン川を300km下ったカヌーの旅を記録したウィット・ピムカンチャナポン。同じ流域に水車を置き、リアルタイムに送信される川の音を先住民の楽器を通してサウンド‧インスタレーションに作り上げたグエン‧チン‧ティ。ダム開発によって失われつつあるメコン川流域の暮らしや自然を、2人の作家が異なる眼差しで捉えた[筆者提供]


対岸のラオス経済特区に林立する中国資本のカジノホテル。長年の努力によりケシ栽培はタイ側ではほぼ消滅した[筆者提供]

ゴールデン・トライアングルのアヘン博物館(House of Opium)の展示風景。ケシ栽培や取引方法、麻薬王との闘いなど、アヘンに関する豊富な情報が、ホー・ツー・ニェンやシュウ・ジャウェイ(許家維)の作品背景をもの語る[筆者提供]


シュウ・ジャウェイ《The Actor from Golden Triangle》(2023)
ゴールデン・トライアングル地帯の神話と歴史と現代の地政学をめぐる新作VR。ほか旧中国国民党兵士の数奇な人生を取材した旧作映像2点を展示[筆者提供]


ビエンナーレのサスティナビリティ

TBCを終えて、今、チェンライでは新しい動きが始まっている。2023年にユネスコのデザイン創造都市に認定されたチェンライは、公的機関と連携して新しいTCDC(タイ・クリエイティブ・アンド・デザイン・センター)の設立を検討しており、これはとてもエキサイティングなニュース、とクリッティヤーは語る。

「TBCはチェンライによい思い出を残しました。多くのアーティストや地元のコミュニティが、自分たちのバージョンの継続を望み、市の文化局は小規模でも持続性のある独自のビエンナーレを提案しようと考えています。そして今、多くの若いアーティストたちが、チェンライ周辺でコレクティブやオルタナティブスペースを始めています。こうした若者はチェンライの新しい希望です。ただ、どれだけの都市がタイランド・ビエンナーレ終了後のチェンライのようになれるのかは疑問です。それは、このビエンナーレの将来にとって大きな課題でもあります」

国際展は、都市と芸術の相互信頼からうまれる創造の可能性であることをTBCは示した。次回タイランド・ビエンナーレの開催は2025年12月。リゾート地であるプーケットでの開催には、リソース面やコスト面で心配の声も多く聞かれるが、寛容と相互信頼に裏付けられたTBCのエッセンスが、よいかたちで引き継がれていくことに期待したい。

★1──PR Thai Government発行 2024年5月2日ニュースより。https://thailand.prd.go.th/en/content/category/detail/id/2078/iid/284502
★2──アムネスティ・インターナショナルによると、タイの人口約6,000万人のうち、山岳民族とされる少数民族は全人口の約1.5%(約93万人)。https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/minority/minority_thailand.html
★3──1996年設立されたオルタナティブスペース。クリッティヤー・カーウィーウォンをディレクターにアピチャッポン・ウィーラセタクンなど作家が多数参加し、バンコク・エクスペリメンタル・フィルム・フェスティバル(BEFF)など、実験的なプロジェクトを街で行なった。
★4──about café / about studio。1997年バンコクのチャイナタウンでクラオマート・イプインソーイ(Klaomard Yipintsoi)が設立したオルタナティブスペース。ビジュアル・アートをはじめ、音楽、パフォーマンス、ファッションなど多ジャンルから人々が集い、展覧会やライブ、レジデンシー、教育プログラム、コミュニティプロジェクトなど多彩なプログラムを実施した。
★5──1990年代初め、チェンマイ大学芸術学部の教授陣や学生が中心となり立ち上げたアーティスト主導のパブリックアート・プロジェクト。モンティエン・ブンマー、ミット・ジャイイン、アラヤー・ラートチャムルーンスック、当時学生だったナウィン・ラワンチャイクン、アンクリット・アチャリヤソーポンほか、国内外からアーティストが多数参加し、チェンマイ市各地でプロジェクトを展開した。

タイランド・ビエンナーレ チェンライ(Thailand Biennale, Chiang Rai)2023
会期:2023/12/09~2024/04/30

会場:チェンライ、チェンセーンなど
公式サイト:https://www.thailandbiennale.org/