会期:2024/06/19~2024/07/07
会場:東京日仏会館エスパス・イマージュ[東京都]
公式サイト:https://chantalakermanfilmfes.jp/

シャンタル・アケルマン自身が主人公を演じる12分の短編『街をぶっ飛ばせ』(1968)は、アケルマンがブリュッセル映画学校の卒業制作として手がけた、デビュー作にあたる作品である。一見して、その後の彼女の作品の根幹を担う女性解放への意識と緊張感に満ちた映像であった。

鼻歌とハミングのあいだのようだがどこか楽しげではない、一定のリズムを刻むこともないちぐはぐな発話音が冒頭から流れる。主人公によって発せられた何を語るわけでもない音は、時に軽快に駆け巡り、時として怒りに満ちた叫びのように荒立つことで物語の主旋律として奏でられる。12分に及ぶ映像は徹底して支離滅裂な情景が描かれている。

花束を手に持った少女が勢いよくアパートの階段を駆け上がったかと思えば、狭いキッチンしかない部屋に着くなりドアの隙間をガムテープで塞ぎ始め、作ったパスタを気だるげに啜り始める。調理道具を散らかしながらキッチンを破壊するように暴れ回る主人公は、シンクの引き出しから室外用のアウターを引っ張り上げ、散乱した室内をモップで掃除し始める。その後念入りな靴磨きを経て、部屋の掃除を終わらせることで生活を元の姿へと立て直したかと思えば、鏡に映る鏡像の自分に対峙することをきっかけに破壊的な衝動はさらに加速していく。白い乳液のような液体を全身に浴びながら楽しげに踊り、ふと自身の姿を映った鏡に目を向けると、鏡面に液体で「C’est moi(これがわたし)」と殴り書き、最後は燃える紙にガスを引火させるかたちで彼女自身が花束とともに焼身自殺を図りガス爆発を起こす。

タイトルからも想像できるようにまさにアナーキズムそのものとも言えるようなエネルギーを秘めた本作は、生活の規範的な様式を内部から破壊することで街そのもののを転覆させようと試みる。彼女が立てこもろうとしたアパートの一室に関する映像内ではキッチンしか描かれていない。それは女性の抑圧的な社会構造が浮き彫りにされる場における、徹底的な政治の振る舞いであるとも捉えられる。

ところで、映像作家のマーサ・ロスラーは『キッチンの記号論』(1975)で、一般的な料理番組の様式のパロティとして模倣しつつも、キッチンにおける象徴的な記号性を類型化し、実際と異なる道具の用途を誇張して演じることで、家事労働に抑圧された人々の怒りを可視化した。アケルマンもまた、私らしさを過剰に表現する身振りを通して私性を反転させることで、規範的な女性性を生み出す環境そのものの破壊を試みたと言えるだろう。

鑑賞日:2024/06/20(木)