会期:2024/06/06~2024/08/18
会場:カスヤの森現代美術館[神奈川県]
公式サイト:https://www.museum-haus-kasuya.com/開館30周年記念%e3%80%80若江漢字《地中海-―-i・始まり》/

横須賀市・カスヤの森現代美術館の開館30周年記念の第3弾として「若江漢字  地中海 ― I・始まり」が開催された。ナム・ジュン・パイク、松澤宥、宮脇愛子、ヨーゼフ・ボイス、李禹煥らの常設スペースに加えて、散策可能な森を心地よく手入れした本館はいつ訪れても畏敬の念を感じてしまう。

若江漢字は1967年から作品の発表を始め、写真と絵画の関係を探るシリーズのほか、ドイツにもアトリエを構えながら立体造形や絵画の制作を続けてきた。ユダヤの人々が受けた傷を主題にした《クリスタルナハト 9・11+11・9 連鎖》(1983-2003)や、宗教をテーマにした絵画作品を手がけてきた若江による今回の「地中海 ― I・始まり」は、キリスト教ひいては現在の社会制度の始まりとしての地中海を再考する、立体物と絵画からなるインスタレーションである。

「地中海─Ⅰ・始まり」は第一展示室の中心に置かれた2つの立体物《母と娘》、それらを囲むように配置した縦型の絵画7点、また第二展示室の通路に並ぶ3点の絵画からなる。

《母と娘》は、若江が80年代から「源泉」のシリーズ名で発表していた造形物の類型2つに、キリスト教に関連した複数のオブジェを組み合わせたものだ。89年に撮影された《母と娘》の写真を見ると、まだオブジェの数が少ない★1。およそ30年をかけてドイツの蚤の市などで小物の収集を続け、2022年に構築を終えたことで本作は完成を迎えたという。

若江漢字《母と娘》[筆者提供]

画像右の「母」と思われる棺には女性の身体を模った木彫が横たわり、「娘」の棺には人型のミイラにも見える布を巻いた剣のようなものがある。それはやがて懐胎するイエスを表わす。また「娘」の棺には丸みを帯びた十字架のようなオブジェが立てかけられていて、それは「未完のマリア像」と名付けられている★2

「娘」のオブジェには「赤いカップ」が含まれているが、興味深いのはチラシに掲載されているものと、私が展示室で見たものとはオブジェが異なることだ。理由があって交換されたのかもしれないが、もとよりオブジェは蚤の市の収集品であり、市井の誰かが用いていた物である。《母と娘》は若江による造形物と見知らぬ人の使用物を組み合わせた作品であり、とくにキリスト教の礼拝に使用されていただろうオブジェは、個人の信仰の時間を想起させ、地中海という場所から始まった長い歴史と個人の祈りの時間との重なりを感じる。

《母と娘》を囲む7点のキリスト教絵画は本展のために制作されたと思われる《地中海の地図》に始まり、2010年頃に描かれた《天地創造》からイエスが磔刑を受けた《ゴルゴダの丘》までの6点が並ぶ。それらのアクリルによる絵画はスマートフォンのフォルムを思わせる縦型の比率をしており、とくに《ノアの方舟》にはiPhoneに着信があった際に表示される赤と緑のマークを思わせる配色、配置の円が描かれている。6点の絵画には、さまざまなかたちで円が登場し、それらは精霊の光のようだったり、磔にされたイエスの手足を押さえる杭だったりする。円は70年代の写真作品にも見られる若江のモチーフであり、キリスト教の物語を伝える絵画においてはさまざまな象徴として登場し、意味を変幻させる円というかたちの自在性が際立っている。

ところで、《母と娘》は幾何学的に成形された砂の上に配置されているのだが、この砂のラインが鑑賞者をそれ以上対象に近づかせない境界線として機能している。海砂の印象を伝えるとともに、用の美が生じていて素敵だ。

若江栄戽(はるこ)と若江漢字によって1994年に横須賀の地で開館されたカスヤの森現代美術館は、年間にいくつかの企画展を開催するほか、彼らと同時代に活躍した作家を常設で紹介し、その作品と横須賀との関わりを示してくれる。美術館が所在地に関連した展覧を行なうのは特別なことではないが、パイクや松澤といった現代美術のスターと横須賀という都市とのつながりが、若江らを介することで親密な距離をもって抽出されている。2022年には若江の写真作品を集めた常設室も開かれ、70年代における写真と絵画の往復を再考できるすばらしい空間になっている。

2000年、若江は友人の展覧会に合わせてイスラエルとパレスチナを訪れる。その経験からパレスチナを現在進行形の絶滅収容所と捉えた、二つの一神教の対立を憂う写真インスタレーション《偏在》(1999-2000)を制作している★3。彼は自らが接点を持ったドイツ、ヒロシマ、ヨコスカという場所を軸に、芸術のための芸術ではない、人生のための芸術を志向する★4。そして現在も続く争いの源流をキリスト教文明の発祥の地である地中海に据え、本展においても作品を通じて私たちの社会に触れ続ける。場所と時代と芸術を接合し、繰り返し言及し続けることの意義を体感できる展覧会だった。

鑑賞日:2024/06/19(水)

★1──『若江漢字:PLASTIKEN-OBJEKTE-ENVIRONMENTS1987-1991』(室空間、1991)
★2──展示チラシに記載。
★3──『若江漢字展 シリーズ・テクスト《夜の現代史》』(カスヤの森現代美術館、2003)
★4──「カスヤの森現代美術館 企画展  若江漢字《地中海 ― I・始まり》2024年6月9日」トークイベントより。

参考文献:横須賀美術館編『若江漢字 横須賀・三浦半島の作家たちⅠ』(横須賀美術館、2011)