世界有数の芸術文化大国として不動の地位を確立しているフランス。ルーヴル美術館やオルセー美術館の絵画・彫刻作品、ヴェルサイユ宮殿、52のユネスコ世界文化遺産など、フランスの歴史とともに歩んできた芸術作品を一眼見ようと多くの観光客がやってくる。

しかし、フランスは過去の栄光のなかにとどまり続けているわけではない。古典的な作品が並ぶ美術館のなかで現代美術作家を招聘したプロジェクトが頻繁に行なわれているのだ。5月のNuit européenne des musées(欧州美術館・博物館夜間特別開館デー)、9月のJournées Européennes du Patrimoine(欧州文化遺産の日)、10月のNuit Blanche(ニュイ・ブランシュ/白夜祭) などアートイベントでは必ずと言っていいほど過去と現代のアートが並置される。過去の遺産にさりげなく新しい風を取り入れ、絶えず新陳代謝するのがフランスの本当の姿だ。

7月26日、パリオリンピックが開幕した。フランスの思想・美術・音楽・演劇・サブカルチャーを詰め込んだ開幕式は、世界中で賛否両論どころか激しい抗議活動にまで発展している。世界の期待に応えて、美しい歴史的遺産を見せるだけのスペクタクルにフランス人が満足するはずもない。むしろ、環境破壊、争い、革命、ジェンダー問題など社会のリアリティへの問題提起によって世界中に考えるきっかけを与えたことに、当のフランス人たちは拍手喝采している。常識破りの発想でフランスは歴史を塗り替えてきた自負があるのだ。それが如実に現われた開会式は、85%のフランス人が大成功だと評価したという

遡ること3年、東京オリンピックの閉幕式でのパリオリンピックの紹介映像(2:26:20あたりから)を覚えているだろうか。

ルーヴル美術館やセーヌ河畔、パリのカフェ、スケートパークでのオーケストラによるマルセイエーズ(国歌)の演奏が映されるところから始まる。宇宙飛行士のトマ・ペスケが宇宙ステーションから地球を背にサックスで国歌をしめくくると、若い女性がパリのアパルトマン最上階の窓から屋根に出てマウンテンバイクに跨がる。パリの歴史的建造物の屋根を颯爽と走り抜ける映像が新鮮だ。リアルタイムの映像に切り替わると、パトルイユ飛行部隊がエッフェル塔の周りをトリコロールの噴煙をあげて通り過ぎ、子どもたちのダンス、そしてエッフェル塔の最上階で子どもたちに囲まれたマクロン大統領がメッセージを送る……という動画だ。マウンテンバイクの女性やコンコルド広場でブレイキンを楽しむ若者など、若者世代をクローズアップした映像で「若いフランス」をアピールしていた。

実際に2024年パリオリンピックでは、クライミングやサーフィンとともにスケートボード(東京オリンピックで採用)とブレイキン(ブレイクダンス)が新しい種目として仲間入りした。若者のストリートカルチャーがスポーツとして認められたように、この夏のパリもストリートカルチャーがアートとして展示されている。今回は、そんな「若いフランス」のアートシーンをご紹介したいと思う。

ラファエル・ザルカのスケートパーク

ラファエル・ザルカのスケートパークとポンピドゥー・センター[筆者撮影]

5年にわたる長期工事を間近に控えたポンピドゥー・センターの広場では、オリンピック関連アートとしてラファエル・ザルカによる彫刻作品《Cycloid Piazza》(2024)が設置されている。モンペリエ出身のスケートボーダーであり研究者、アーティストでもある彼は、幾何学的な抽象彫刻への関心からパブリックアートの上を滑走するスケートボーダーの写真を収集してきた。この作品はミニマルな造形と人体のダイナミックな動きを融合したスケートパークに昇華している。芸術作品だと知ってか知らずか、突如現われたカラフルなスケートパークで多くの若者がスケボー、ローラーブレード、キックボードの練習をしていた。ポンピドゥーのコンセプトカラーを意識した作品は、昔からここにあったかのように自然に溶け込み、今、若者の社交場となっている。ローカルチャーとハイカルチャーのミクスチャーが興味深い作品だ。

プティ・パレの「We Are Here」展

ここで、オリンピック会場となるセーヌ川河畔のプティ・パレでの展覧会をご紹介したい。もともとこの建物は、1900年のパリ万博のために建設され、ガラスのドームや大きな窓を特徴としている。天井が高く自然光で作品鑑賞ができるパリ市が運営する入場無料の穴場的美術館だ。

展覧会のタイトルは「We are here」。これは公民権闘争など、歴史的あるいは現代のさまざまな文脈でスローガンとして使用されるフレーズで、肯定、回復力、開拓の感情を呼び起こし、ストリートアート運動によって獲得された可視性と正当性を表現しているという。

シェパード・フェアリー(Obey、米)、Invader(仏)、D*Face(英)、Seth(仏)、クレオン・ピーターソン(米)、Hush(仏)、Swoon(米)、Inti(チリ)、DaBro(チュニジア)、コナー・ハリントン(英)など世界各地で活躍するアーティスト13名をメインに総勢60名ほどの200を超えるストリートアート作品が集う話題の展覧会である。

常設コレクションやその建築に入り込むようにあちこちに彼らの「異質な」作品が配置されている。特に最後の部屋は壁を覆い尽くす作品の圧倒的なインパクトに、普段プティ・パレでは感じられない荒々しい息吹を感じた。

D*Faceのスプレー缶の形をした彫刻作品《Here to Spray》が、まずここにストリートアートが侵入したことを宣言する。クールベの作品と対峙するのは、街にたむろする若者がダンスする姿をスプレーと油絵具で描いたDaBro の《Châtelet-les-Halles》だ。

「We are here」展 入口の作品D*Face《Here to Spray》[© Gautier Deblonde]

19世紀の大型作品が集まる展示室には、高い天井に届かんばかりの大きなIntiの女性像《Encomendación》が鎮座する。

Intiの大型作品《Encomendación》[© Gautier Deblonde]

普段フランス共和国の歴史を垣間見ることができる部屋には、アングルの作品の上にSethのカラフルでポップな《ナポレオン》と《マリアンヌ》が掛けられている。ほかにこの部屋のフランスの歴史、スローガンを尊重した作品としてObeyの《Liberté, Égalité, Fraternité》、コナー・ハリントンの《Down with the king》などが存在を主張する。

また、パリや世界中の建物を侵略してきたようにInvaderの作品《DJBA_28》がプティ・パレでも圧倒的に人気の作品、モネの《ラヴァクールの日没》を上から見下ろす。

Invader《DJBA_28》と19世紀の絵画[@Itinerrance]

美術史のマスターピースと対峙するストリートアート

展示は美術史上のある事件に関連した部屋でクライマックスを迎える。1863年、アカデミーのサロン審査が非常に厳しかったことから抗議が続き、マネの《草上の昼食》など落選した作品が展示された(落選者のサロンSalon des Refusés)のがプティ・パレのこの部屋だという。この部屋に60名強のストリートアーティストの作品がオマージュとして捧げられた。壁を覆い尽くす作品のなかには、あの落選者のサロンのように、美術史を塗り替えるような革命的な精神を引き継ぐものもあるのかもしれない。

最後の展示室Salle Concordeの作品群[筆者撮影]

この展示は、初めてストリートアートがパリ市のアート施設の中で開催された大々的な展覧会である。誰でも目にすることができるストリートを離れ、入場無料の美術館に設置された。同時に展示しているテオドール・ルソーの回顧展を見に来た人、19世紀を中心としたフランスの絵画彫刻を目当てに来た人を驚かせる展示になっている。誰でもアクセスできるという点は同じだが、ハイカルチャーの殿堂にサブカルチャーが入り込む構造が興味深い。

過去に美術史を塗り替えるほどの前衛芸術を生み出してきたパリで、ストリートアートが歴史を刻みつつあることを証明しているのだ。自由で活気に満ちた作品が、歴史的な作品と対峙し、新しい価値観、多様性を観客に問いかけた展示といっていい。今回展示されている作品はスプレーで描かれていたり、タイルやステンシルの技法で作られていたりと、ストリートアートの手法もあるのだが、絵画的な完成度の高いものが多かった。今後、彼らのなかからキース・ヘリングやバスキアのようなアーティストが誕生するのかもしれない。

ここで、パリのペロタンギャラリーで行なわれたJRの展示「Dans la Lumière」を見てみよう。JRは大規模な写真コラージュを用いて公共空間に目の錯覚を利用した巨大な作品を誕生させるフランスのストリートアーティストだ。パリオリンピックの聖火ランナーとしてルーヴル美術館を巡る大役を努めたばかりだ。過去には、エッフェル塔の足場が崩れて奈落の底が見えるような作品をトロカデロに出現させたり(2021)、ルーヴル美術館のガラスのピラミッドが消えたように見える作品(2016)で注目されている。今回の展示は、昨年11月12日にパリオペラ座で行なわれたパフォーマンスイベント『CHIROPTERA(コウモリ)』に関するもの。工事中のオペラ座のファサードに突如として洞窟が現われたような舞台装置だ。パフォーマンスにインスパイアされたイメージを木炭や墨汁を使って表現した作品が展示され、最後にこのプロジェクトの全貌を映像作品として鑑賞できる。

オペラ座に突如として現われた洞窟[筆者撮影]

一晩限定で行なわれたこのイベントは、オペラ座のダンサーたちと振付師ダミアン・ジャレ、元ダフトパンクのトマ・バンガルテルとコラボレーション。オペラ座に集まった25,000人が見たものは、ムササビのような表が白、背面が黒の衣装に身を包んだ(不思議の国のアリスに出てくるトランプのような)ダンサーたちが、与えられた足場がつくる小さな空間で、光と影を表現し踊るパフォーマンス。一糸乱れぬモノトーンの美しい動きに、JRの洞窟を模した舞台装置とバンガルデルの音楽が見事に異空間を生み出す。リアルで見た人たちにとって、一生忘れがたい壮大なパフォーマンスイベントとなったはずだ。

154名のダンサーによる圧巻のパフォーマンス『CHIROPTERA』を元にしたコラージュ作品[筆者撮影]

安全地帯のストリートアート

これまで3つの展示をご紹介してきたが、ひとつ考えたいことがある。それは、ストリートアートとファインアートに境界はあるのか?

実は、プティ・パレの展覧会を知ったとき、いつもの常設作品が並ぶ展示室にどんな刺激が加わるのだろうとワクワクした。実際展示を見ても、新旧アーティストの対話というのは面白いと思った。かつて、ルーヴル美術館の北方展示室でヤン・ファーブルの作品を観たときのような新鮮な驚きはあったのだが、同時に腑に落ちない「何か」が残ってもいた。

ポンピドーセンターの横にジャン・ティンゲリーとニキ・ド・サンファルの彫刻作品が噴水となっている広場がある。そこにプティ・パレにも展示されていたObeyとInvaderの作品、もう1人のフランスのストリートアートの巨匠Jef Aerosolの巨大な作品が並んでいる。Obeyの作品の下の方は誰かのグラフィティで侵食されつつある。そう、どんなに有名なアーティストの価値のあるものであっても、その作品がいとも簡単に後から現われた無名のアーティストに消されてしまう可能性を秘めている。これがストリートアートである。

左よりJef Aerosol、Obey、Invaderの作品[筆者撮影]

ストリートアートとは、田中均氏の『ニック・リグルにおける「ストリートアート」と「社会的開放」の理論:「アートプロジェクト」の美的評価──その理論的モデルを求めて』のなかにあるように、「アートの制作においてストリートが用いられる」ことが第一条件である。また、「『盗難、汚損、破壊、移動、改変、盗用』といった脅威にさらされるという『はかなさ』(ephemerality)を芸術家が引き受ける」そして「ストリートは芸術のための特別な空間ではないため、そこに展示されるストリートアートが通行人やほかの芸術家に注目されるためには、それ自体としてクリエイティブで 魅力的である(そのような外見を持つ)必要がある」という3つの要素がそろったものだと思うのである。

最初のラファエル・ザルカのスケートパークの作品は、ポンピドゥー・センターの展示として設置されている点で、純粋なストリートかというと疑問が残る。ここは芸術のための特別な空間なのだ。Nikeがスポンサーとなっており、アートプロジェクトとしての側面が強い。スケートボーダーたちが遊ぶにつれて作品が傷んでいくのを作家は承知しているはずだが、これはストリートアートではなく、サイトスペシフィックな期間限定アート作品である。

プティ・パレの展示は、ストリートで生き生きと作品を制作してきたアーティストたちではあるが、美術館という建物に内包された時点で、そのもともとのエネルギーは違うものへと姿を変えた。ストリートではもっと大胆で型破りな作品なのだろうが、美術館の中ではとても大人しく見えてしまうのだ。盗難も破壊も起きないであろう安全な場所に入るにあたって、ストリートの土埃がきれいに洗われてしまったようだ。

JRに関しても、展示作品はあのパフォーマンスの断片である。美術館と同様ギャラリーという守られた場所、真っ白な壁に掛けられた時点でストリートアートの条件を満たしていない。イベントの映像を視聴した後でないと、作品の意味を理解するのは難しい。いくらJRがストリートアートのスターであっても、これらの作品もこのイベント自体もストリートアートとは言い難い。

2023年までチュイルリー公園下のトンネルをパリ市は公式にストリートアーティストに開放していた[筆者撮影]

ここ数年、パリ市も観光局もストリートアートをパリの目玉にしている。13区やサンドニ地区にはたくさんのストリートアーティストが作品を次々と生み出し、解説ツアーも大盛況だ。さまざまなストリートアートイベントも行なわれており、なかにはギャラリーがバックアップしているものもある。 そもそも、ストリートアートはその場所に出向き、明日には塗り潰されてしまうかもしれない刹那的な作品を鑑賞するものだ。「アート」としてアート側の領域に組み込まれた瞬間、ストリートでの荒削りなエネルギーが半減してしまうのはプティ・パレの展示で見た通りだ。

大御所のJRやInvaderも、若いストリートアーティストも、共通しているのはストリートで生まれ育ち、ストリートで制作をし続けている点だ。規模が大きくなりスタッフを抱えた大所帯で活動していても、ストリートから離れない。また、盗難などのかたちで生まれた場所を離れた作品がオークションで高値を記録し、ギャラリーやアートコレクターの手に渡ったとしても、彼らの活動の場、そして作品の価値を生み出すのはストリートなのだ。

ストリートアートもブレイキンやスケートボードも、ストリートで育った若者の社会への反発、抵抗、問題提起が起源だ。その熱量が一番感じられる場所は、アート施設でもオリンピックの競技会場でもなく、やはりストリートなのだろう。美術館や競技場でストリートカルチャーが紹介されるのは、認知度の向上という点では非常に意味のあることだ。このような機会なくして、治安のさほどよくない都市の郊外を中心に生まれては消えていくストリートカルチャーを我々が知ることは難しいからだ。しかしそれは、本来あるべき場所から切り取られた別の姿。彼らのエネルギーを発揮できるストリートで本来の姿を鑑賞しなければ彼らの価値を理解したことにならないだろう。

「若いフランス」をアピールしているこの国では、若者の新しい感性や表現にどんどん寛容になってきている。古典的な美術館での現代作家の展示はもちろんのこと、新しいアートを新しい技術とともに紹介する企画展や美術館も増えてきている。2022年にオープンしたグラン・パレ・イメルシフで、ストリートアートとデジタルアートの展覧会を開催していたのも記憶に新しい。若い世代の自由で型破りな発想が、国をも若返らせることを知っているのだ。今後もフランスがどのように過去から現在の文化を歴史として紡いでいくのか楽しみである。

★──”JO de Paris 2024 : plus de 85% des Français ont jugé la cérémonie “réussie”, selon un sondage”(franceinfo、2024年7月28日)https://www.francetvinfo.fr/les-jeux-olympiques/ceremonies-d-ouverture-et-de-cloture/jo-de-paris-2024-plus-de-85-des-francais-ont-juge-la-ceremonie-reussie-selon-un-sondage_6692121.html

ラファエル・ザルカ《Cycloid Piazza》

会場:ポンピドゥー・センター前広場に設置(Place Georges-Pompidou, 75004 Paris)
会期:2024年6月26日(水)~9月15日(日)
公式サイト:https://olympiade-culturelle.paris2024.org/evenement/raphael-zarka-cycloid-piazza-2024-a7f2o00000007XYAAY


「We Are Here」展

会期:2024年6月12日(水)~11月17日(日)
会場:プティ・パレ(Avenue Winston Churchill, 75008 Paris)
公式サイト: https://www.petitpalais.paris.fr/expositions/we-are-here


JR「Dans la Lumière」展

会期:2024年6月7日(金)~7月27日(土)
会場:Perrotin Paris(76 Rue de Turenne, 75003 Paris)
公式サイト: https://leaflet.perrotin.com/fr/view/812/dans-la-lumiere


グラン・パレ・イメルシフ(Grand Palais Immersif)

会期:2024年6月7日(金)~7月27日(土)
住所: 110 Rue de Lyon, 75012 Paris