作者不明《『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅》
15世紀、綿布彩色、40.0×34.5cm、韓国、ハンビッツ文化財団・ファジョン博物館蔵
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パリ五輪と花火と曼荼羅

パリオリンピック(2024.7.26-8.11)が開催され、3年前の無観客開催の東京五輪に比べ、今夏のパリは賑やかに閉幕した。日本は、メダル獲得数が海外開催では過去最多45個(金20、銀12、銅13)と躍進した。もうひとつ思い出に残ったのが、日本三大花火大会のひとつ、新潟県の「長岡まつり大花火大会(長岡花火)」(2024.8.2-3)だ。長岡花火は、終戦翌年の「長岡復興祭」に始まる。初めてひとりで見に行ったが、上越新幹線は東京駅から浴衣姿の人で埋まり、車内は華やいだ。花火の冒頭には長岡空襲で亡くなられた人々への慰霊、復興、平和への祈りが込められた白一色の慰霊花火「白菊」が打ち上げられた。

今年は、弘法大師空海(774-835)の生誕1250年にあたり、奈良国立博物館東京国立博物館では空海を冠した展覧会が開催された。現存する最古の両界曼荼羅である国宝《高雄曼荼羅》(二幅[胎蔵界・金剛界]、9世紀、紫綾金銀泥、神護寺蔵)が230年ぶりの修理を終え、曼荼羅が甦った。唐(中国)に渡って、衆生救済を願って遣唐使船に乗り、空海が辿り着いたのは密教だった。曼荼羅が現在も息づくチベットの曼荼羅を見てみたいと思い、仏教美術が専門で曼荼羅に詳しい中村元東方研究所の専任研究員、田中公明氏(以下、田中氏)にチベットの曼荼羅についてご教示いただいた。

田中氏は『インド・チベット曼荼羅の研究』(法蔵館、1996)や『曼荼羅グラフィクス』(山川出版社、2007)など、曼荼羅に関する著書を多数出版され、また、4メートル四方の曼荼羅を展示している富山県南砺市(なんとし)利賀村「瞑想の郷」の主任学芸員でもある。

チベットは、中国四川省の西、インドの北、パミール高原の東に位置する高原地帯で、日本の約3.2倍の面積、平均標高は4,000メートルと高く、第二次世界大戦後に中国が実効支配し、インドにあるチベットの亡命政府との間で現在も、その主権と領有について対立、複雑で険しい情勢が続いている。

田中氏に教えていただいた曼荼羅は、《『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅》(韓国、ハンビッツ文化財団・ファジョン博物館蔵)だった。オレンジ色の画面に、丸顔でユーモラスな表情の仏たちが規則正しく座っている。男女が合体したような日本の仏像では馴染みのない仏もいて、目を見張ってしまう。一本線に見える円の線上には微細な装飾が施され、温かみのなかにも緊張感が漂う。《『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅》とはどのような宗教画なのだろう。東京・調布市にある田中氏のご自宅を訪ね、話を伺った。


田中公明氏

東京大学の印哲

田中氏は1955年、父の転勤先であった福岡県八幡市(現北九州市)に生まれたそうだ。もともと江戸で八代続いた鍛冶屋だった。祖父の田中百嶺(ひゃくれい。1882-1940)は仏画家で、祖父の兄の田中良雄(1880-1945)は、東京藝術大学の彫刻科で高村光雲(1852-1934)に師事した彫刻家だったという。東京・中野区にある哲学堂公園内には百嶺と良雄の作品が多く残されており、仏画や仏像に囲まれる稀有な環境に育った田中氏は仏教美術に興味をもった。

高校生のときに曼荼羅の研究をしたいと思った田中氏は、『仏像の起源』の著者である仏教学者の高田修(1907-2006)先生を訪ね、「どこの大学へ行けば曼荼羅の研究ができるのですか」と伺ったという。高田先生は東京大学文学部の印度哲学(印哲)を薦めてくれたそうだ。曼荼羅の教えが書かれた仏教の経典を理解するために必要なサンスクリット語やチベット語のテキスト研究をするなら美術史ではなく印哲であろうと思った田中氏は、一浪して東京大学の印哲へ入学した。大学院へ進み、1984年東京大学大学院人文科学研究科印度哲学印度文学専攻博士課程満期退学。その後、東京大学の文学部助手(文化交流研究施設)となり、1988年(財)東方研究会専任研究員(現[公財]中村元東方研究所専任研究員)となった。ネパールと英国オックスフォード大学へ留学し、2008年東京大学大学院で博士(文学)号を取得。また、富山県南砺市利賀村「瞑想の郷」の主任学芸員や、東京国立博物館の客員研究員のほか、高野山大学では通信制客員教授も務めている。

田中氏が印哲の博士課程を満期退学したその年、1984年に法王ダライ・ラマ14世(1935-)が千葉・成田山新勝寺の招待で来日し、ダライ・ラマによる砂曼荼羅の《『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅》が日本で初めて制作されたという。韓国のハンビッツ文化財団・ファジョン博物館にある《『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅》の初見は、田中氏が同財団の学術顧問を務め、公式図録『Art of Thangka』(日本語版:『チベット仏教絵画集成』、臨川書店)を編集していた1997年頃だった。この曼荼羅について「制作年代が古く、保存状態も良く申し分なく、財団に購入するよう強くお薦めした」と田中氏は述べた。

煩悩愛欲を尊重する

紀元前5世紀頃、釈迦の教えによってインドで始まった仏教は、戒律を厳格に守ることを重んじる「上座部(じょうざぶ)仏教(テーラヴァーダ仏教)」と、教えを広く伝えてすべての存在の救済を目指す「大乗仏教」とに分かれていった。13世紀初頭、インドがイスラム教徒に征服されると仏教は絶滅してしまう。しかし、インド仏教は、大きく分けるとスリランカやタイ、ミャンマーの上座部仏教、中国や朝鮮半島、日本、ベトナムの東アジア仏教(大乗仏教)、そしてチベットやモンゴル、ネパール、ロシアなどに普及したチベット仏教の3派に分かれて信仰は続いた。そのチベット仏教は、宗派が4派(ゲルク派、ニンマ派、カギュー派、サキャ派)あり、ともに密教と顕教(けんぎょう。密教以外のすべての仏教)を伝えている。

仏教絵画は、仏教信仰の発展によって生み出された仏教教理の教化や、礼拝のための本尊的な神聖な聖画である。厳しさや崇高さが優先的に求められ、神秘的にも幻想的にもなり、美しさと同時に心を表現している。多種多様な仏画は、日本国内では一般に教派別に分類され、密教画・顕教画・浄土教絵画・禅宗画という類別が立てられる。このうちタイプの異なる禅宗画を除くと、それ以外の仏画では密教画が数量的にもっとも多く、尊像を描いた絵像(えぞう)の過半数を占める。

チベットでは、大乗仏教の最後に特異な形態で現われた密教を受け入れた。欲望をもちながらも解脱する方法を開示する聖典『秘密集会タントラ』や、世界のすべてを説明するという思想を継承したインドで最後に出現した聖典『時輪タントラ』など、8世紀から11世紀にインドでつくられた後期密教の経典群を「無上瑜伽(むじょうゆが)タントラ」と総称して引き継いだ。

秘密の教えという密教は、「人間の煩悩愛欲は尊重されるべきである」という思想を背景に、民間信仰を取り入れた呪術的な宗教儀礼の実践と、象徴的な世界観を内容とする教理を特色とし、テーラヴァーダ仏教とは趣を異にする。『ヴェーダ』以来のインドの神々が取り入れられて仏教化され、仏教内部の教理概念や呪文を崇拝する尊格化(そんかくか)が行なわれた。それらのなかの重要な尊を中心にして、関連をもつ幾多の諸尊を神格や機能に応じて配している。そのヒエラルキーを形成する仏神の階級的な配置が、曼荼羅である。

また密教の修法は、道場内に壇を築き本尊の像または図を対象として行なう呪術的な祈祷の作法である。これを執行する阿闍梨(あじゃり。行者)は本尊に対して、印を結び呪文を唱え、定まった方式=儀軌(ぎき)通りに実践し、精神の集中、いわゆる観想により、その対象の仏を見て、仏と一体化することができるとされる。そこから行者の即身成仏や祈祷の現世利益的効験が導き出される。仏教学者の松長有慶(1929-2023)は、「密教とは神秘主義、総合主義、象徴性、救済宗教、現実重視と、5つの要素を全部備えている特徴がある」(松長有慶『密教とはなにか』pp.14-15)と述べている。

ブッダの悟りの境地

田中氏は「曼荼羅とは何か、簡単に定義することは難しい」としながらも、「仏教で信仰される尊格(仏神)を、一定の幾何学的パターンに配置することで、仏教の世界観を表わしたもの」としている。もともと曼荼羅は、サンスクリット語のマンダラの漢字音写語で、曼荼羅のほかに曼陀羅、曼拏羅、漫荼羅などの表記がある。マンダラの意味は「円形の」「円い」という形容詞であるが、名詞に使われて「円盤、環、車輪、群、集団、全体、地域、領域」などの意味をもつ。

仏教では、ブッダが悟りを開いたブッダガヤの金剛宝座(こんごうほうざ)をボーディマンダラ、菩提道場(ぼだいどうじょう)といい、そこでブッダが得た悟りの境地自体を図示したものがマンダラと呼ばれるようになった。

インドでは砂曼荼羅を修法のたびごとに制作し、壇を築いては壊していったが、中国や日本では諸尊の姿を画布に描くようになった。修法に応じて画布の敷曼荼羅を敷き、あるいは壇の前方に軸装曼荼羅(タンカ)を掛けるなど、曼荼羅を持続的に用いている。一方、チベットやネパールでは画布の曼荼羅とともに砂曼荼羅も制作している。田中氏は「日本の曼荼羅は金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅(両界曼荼羅)が基本だが、チベットでは秘密集会など、後期密教の曼荼羅が最高と評価されている。しかし、きわめて稀ではあるがチベットにも金剛界と胎蔵界の曼荼羅はある」という。

さらに田中氏は「曼荼羅の絢爛たる色彩、教理命題や概念の図像化、思想を図形に置き換えることによる重層的意味づけの可能性、このような優れた芸術性や発想は、ほかの学問分野にも応用可能であろう。しかし曼荼羅がもっていた象徴性『生死涅槃無別(しょうじねはんむべつ)』自体は絶対的次元の問題であり、いかなる現実をも是認してしまう性格をもつだけに、現実社会をよりよい方向に導こうとする世俗的な諸学を益することはないように思われる」(田中公明『インド・チベット曼荼羅の研究』p.226)と述べている。

 

『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅の見方

①タイトル
『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅(「ひみつしゅうえ」あしゅくこんごうまんだら)。英題:Akṣobhyavajra maṇḍala of the Guhyasamāja-tantra


②モチーフ
五仏=阿閦・宝幢(ほうどう)・阿弥陀・不空成就・毘盧遮那(びるしゃな)
四仏母(しぶつも)=仏眼(ぶつげん)・マーマキー・白衣(びゃくえ)・ターラー
五金剛女(ごこんごうにょ)=色(しき)・声(しょう)・香・味・触(そく)
八大菩薩=弥勒・地蔵・金剛手・虚空蔵・世自在(観音)・文殊・除蓋障(じょがいしょう)・普賢
十忿怒(ふんぬ)=ヤマーンタカ・プラジュニャーンタカ・パドマーンタカ・ヴィグナーンタカ・不動・タッキラージャ・ニーラダンダ・大力(だいりき)・仏頂・孫婆(そんば)[図]



『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅32尊配置図
(田中公明『両界曼荼羅の源流』p.249を参考に筆者作図)
※クリックで拡大可能


③制作年
15世紀(1401-1500)。日本の室町時代中期。


④画材
綿布、岩絵具。


⑤サイズ
縦40.0×横34.5cm。


⑥構図
縦長の長方形の画面の中心に、画面いっぱいの大きな円(火炎輪)と小さな円(雑色[ぞうしき]蓮華輪)を配置し、その大きな円の内側4点に接するように正方形を置く。小さな円の外側にも4点を接する正方形をつくり、大きい正方形(外廊)と小さい正方形(内院)の間に仏を一列に並べ、小さな円の内側には井桁で区切った九格子をつくる。直線と円による幾何学的で対称性のある構図である。


⑦色彩
曼荼羅の中央と東南西北の五仏を象徴する青・白・黄・赤・緑の五色を基本に、装飾部分には、その他の色も用いる。


⑧技法
綿本彩色。木綿を白土で塗り潰してキャンバスをつくり、墨線で下絵の輪郭線を描いて岩絵具の彩色を施す。アイコノメトリー(宗教画の計測技術)があり、各部分の比率の出し方が決まっており、下絵を描く前にはコンパスや定規を使い垂直線や水平線、対角線などの基準となる線を数多く引いておく。また仏や菩薩などの姿は大きさや形が厳密に規定され、師から弟子へと継承されている。


⑨サイン
なし。


⑩鑑賞のポイント
チベット仏教の最大派閥ゲルク派が曼荼羅の中心的存在として重視する曼荼羅である。仏神(尊格)を一定の幾何学的パターンに配置することにより、仏教の世界観を表わしたものを曼荼羅といい、これはインドの後期密教(8-11世紀)の聖典を代表する密教経典『秘密集会タントラ』に説かれている曼荼羅で、『秘密集会タントラ』の解釈学派のひとつ「聖者流(しょうじゃりゅう)」の阿閦三十二尊を表わしている。上部には歴代のラマ(僧侶)を並べて、下部には忿怒尊などが描かれており、この曼荼羅を構成するすべての仏たちが、さまざまな要素や原理と等置する。五仏は五蘊(ごうん)であり、個人の心身と現象界の存在を構成する5種の原理。色・受・想・行・識の総称である。すべての存在は五蘊から成り立つという仏教のもっとも基本的な世界の捉え方。四仏母は一切の物体を構成する四界(地・水・火・風)、五金剛女は五種の認識対象である五処(色・声・香・味・触)、八大菩薩は外界を感受する六つの感覚器官=六根(ろっこん。眼・耳・鼻・舌・身・意)を象徴する。われわれが経験する世界のすべてを、曼荼羅の中央と東西南北に描かれる五部の諸尊が相互に包摂し合うことによって、二十五部・百部・無量部へと曼荼羅の諸尊に当てはめ展開する「互相渉入(ごそうしょうにゅう)」で解釈した。中心に3面6臂(ひ)の主尊である阿閦金剛と触金剛女の父母仏を描く。触金剛女という菩薩は、触れたいと思う欲望を司る。『秘密集会』曼荼羅では、男性の仏や菩薩、忿怒尊が、五蘊・六根・手足などの行為器官、つまり主観的要素を象徴するのに対し、女性の仏や金剛女は、四大や六境(六つの感覚対象)などの客体的要素を象徴しており、男女の尊格が男女合体(ヤブユム)の姿をとることで、悟りの世界には主観・客観の二元対立が存在しないことを示している。欧米のチベット美術コレクションをも凌ぐ、所蔵作品2,500点以上というハンビッツ文化財団を代表する曼荼羅の優品である。



密教のもっとも重要な曼荼羅

チベットは、1959年のチベット動乱でチベット仏教ゲルク派の法王ダライ・ラマ14世をはじめ、各宗派の指導者の大半がインドに亡命。そしてチベット仏教美術を担ってきた画家たちも多くが国外に逃れたという。1966年に始まった中国の文化大革命では、多くの寺院が破壊され、多数の難民がタンカを国外に持ち出した。チベット動乱と文化大革命の破壊活動は、チベットにとって大きな損失であったが、チベット仏教が広く海外に伝播する端緒ともなったそうだ。

「チベット仏教は現在、欧米人の間で一定の地歩を築くまでになっており、中国領内でも破壊された寺院の復旧が進み、チベット仏教美術の研究・調査が始まっている。一方、伝統的な仏教美術を学んだ後、西洋画の技法を取り入れた画工や、チベット自治区美術家協会所属のチベット人のように、寺院や仏像などの伝統的モチーフを、西洋画の技法で描くアーティストも現われている。チベット仏教美術は、古代から連綿と続く伝統文化であるだけでなく、現代に生きる宗教芸術ともいえる」と田中氏。

「チベット仏教には200種類の曼荼羅がある。現在のダライ・ラマの出身母体であるチベット仏教の最大派閥ゲルク派において、『秘密集会タントラ』という経典に説かれている阿閦金剛を本尊とする《『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅》は、すべての密教の基本であり、もっとも数が多く、もっとも重要な曼荼羅とされている。14世紀や15世紀の曼荼羅自体が少ないなかで、本作は工房制作と思われるが保存状態も良く、図像学的にも規定通り正確に描かれており、テクスチャもあって手が込んでいる、よい作品である」と田中氏は語った。


田中公明(たなか・きみあき)

中村元東方研究所専任研究員。1955年福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。1979年東京大学文学部印度哲学印度文学科卒業、1981年同大学大学院人文科学研究科印度哲学印度文学専攻修士課程修了、1984年同専攻博士課程満期退学。同大学文学部助手(文化交流研究施設)を経て、1988年(財)東方研究会専任研究員、2014年公益財団化により現職。また、富山県南砺市利賀村「瞑想の郷」主任学芸員、東京国立博物館客員研究員のほか、東方学院、東洋大学大学院、東京大学などで非常勤講師を務め、高野山大学では通信制客員教授を担う。留学:ネパール(1988-89)、英国オックスフォード大学(1993)。韓国ハンビッツ文化財団学術顧問(1997-2015)。2008年東京大学大学院より博士(文学)号取得。専門:仏教美術。所属学会:密教図像学会、日本西蔵学会、日本印度学仏教学会、チベット文化研究会(会長)。主な賞歴:第37回日本印度学仏教学会賞(日本印度学仏教学会、1995)、第22回鈴木学術財団特別賞(日本印度学仏教学会、2013)。主な著書:『曼荼羅イコノロジー』(平河出版社、1987)、『インド・チベット曼荼羅の研究』(法蔵館、1996)、『両界曼荼羅の誕生』(春秋社、2004)、『両界曼荼羅の源流』(春秋社、2020)など。


作者不明

デジタル画像のメタデータ

タイトル:『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:作者不明《『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅》15世紀、綿布彩色、縦40.0×横34.5cm、韓国、ハンビッツ文化財団・ファジョン博物館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:ハンビッツ文化財団・ファジョン博物館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式70.2MB、96dpi、8bit、RGB。資源識別子:Hwajeong Museum-Mandala(Jpeg形式70.2MB、96dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:ハンビッツ文化財団・ファジョン博物館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:ハンビッツ文化財団・ファジョン博物館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。


画像製作レポート

《『秘密集会』阿閦金剛曼荼羅》の画像は、作品を所蔵する韓国のハンビッツ文化財団・ファジョン博物館へメールで依頼した。後日返信メールが届き、商用目的でなければ、添付画像を条件に従って掲載できるとのことであった。条件は「1.所蔵機関名を記事に明記 2.出版後に書籍2部(またはURL)を送る」。添付の画像を利用(Jpeg、70.2MB、96dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。無料、掲載期限なし。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターの色味を調整する。『チベット仏教絵画集成:タンカの芸術〈第3巻〉:ハンビッツ文化財団蔵』(臨川書店、p.16)のカラー図版を参考に、Photoshopで明度を調整した(Jpeg形式70.2MB、96dpi、8bit、RGB)。一般的に解像度が300dpiの画像が多いなかで、本画像は96dpiと解像度が低いため、拡大すると画像が粗くなり細部は見えないが、中央の尊像に金が多用されていることはわかる。画像利用の目的が商用でなかったこともあり、ファジョン博物館の対応は早くスムーズに進行した。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。


参考文献

・松長有慶『密教の歴史』(平楽寺書店、1969)
・高田修+柳沢孝『原色日本の美術 第7巻 仏画』(小学館、1969)
・石田尚豊『曼荼羅の研究(研究篇・図版篇)』(東京美術、1975)
・松長有慶『密教・コスモスとマンダラ』(日本放送出版協会、1985)
・田中公明『曼荼羅イコノロジー』(平河出版社、1987)
・R.A.スタン著、山口瑞鳳・定方 晟訳『チベットの文化 決定版』(岩波書店、1993)
・松長有慶『密教とはなにか 宇宙と人間』(中央公論社、1994)
・田中公明『インド・チベット曼荼羅の研究』(法蔵館、1996)
・松長有慶『秘密集会タントラ和訳』(法蔵館、2000)
・田中公明『活仏たちのチベット ダライ・ラマとカルマパ』(春秋社、2000)
・田中公明編『チベット仏教絵画集成:タンカの芸術〈第3巻〉:ハンビッツ文化財団蔵』(臨川書店、2001)
・田中公明『タンカの世界 チベット仏教美術入門』(山川出版社、2001)
・田中公明『両界曼荼羅の誕生』(春秋社、2004)
・ディヴィッド・ジャクソン著、瀬戸敦朗+田上操+小野田俊蔵訳『チベット絵画の歴史──偉大な絵師達の絵画様式とその伝統』(平河出版社、2006)
・田中公明『曼荼羅グラフィクス』(山川出版社、2007)
・森雅秀『マンダラ事典 100のキーワードで読み解く』(春秋社、2008)
・森雅秀『チベット仏教美術とマンダラ』(名古屋大学出版会、2011)
・頼富本宏『すぐわかる マンダラの仏たち 改定版』(東京美術、2011)
・田中公明『図説 チベット密教』(春秋社、2012)
・田中公明「仏教図像学とは何か?──インドの原型とアジア諸国への伝播」『図像学Ⅰ──イメージの成立と伝承(密教・垂迹)〈仏教美術論集2〉』(津田徹英編、竹林舎、2012、pp.9-24)
・加須屋誠「仏教美術史研究における図像解釈学の理論と実践」『図像解釈学──権力と他者〈仏教美術論集4〉』(加須屋誠編、竹林舎、2013、pp.13-45)
・朴亨國監修、朴亨國+平岡三保子+田中公明+中川原育子+塚本麿充+松尾敦子+萩原哉+水野さや+濱田瑞美+田中知佐子著『東洋美術史』(武蔵野美術大学出版局、2016)
・王森著、田中公明監訳、三好祥子訳『チベット仏教発展史略』(科学出版社東京、国書刊行会[発売]、2016)
・平岡宏一『秘密集会タントラ概論』(法蔵館、2018)
・田中公明『両界曼荼羅の源流』(春秋社、2020)
・藤田弘基撮影、田中公明編、茂市久美子著作権『藤田弘基アーカイブス 仏教美術遺作写真データベース』(渡辺出版、2020)
・Webサイト:「秘密集会タントラ(Guhyasamāja Tantra)」(『Wikipedia』)2024.8.10閲覧(https://en.wikipedia.org/wiki/Guhyasamāja_Tantra
・Webサイト:「阿閦如来」(『Wikipedia』)2024.8.10閲覧(https://ja.wikipedia.org/wiki/阿閦如来
・Webサイト:『田中公明』2024.8.10閲覧(http://kimiakitanak.starfree.jp/
・Webサイト:「Mandala of Guhyasamaja (Buddhist Deity)- Akshobhyavajra」(『HAR:Himalayan Art Resources』)2024.8.10閲覧(https://www.himalayanart.org/items/98901


掲載画家出身地マップ

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2024年8月