会期:2024/08/02〜2024/08/13
会場:吉祥寺シアター[東京都]
公式サイト:https://www.songfromfaraway.com/

親愛なるパウリ、という呼びかけから『彼方からのうた』(作:サイモン・スティーヴンス、マーク・アイツェル、翻訳:髙田曜子、演出:桐山知也)の物語ははじまる。だが、その呼びかけに応えるべき人物はすでにこの世にはいない。それは死者へと宛てられた手紙なのだ。舞台の上で語られる言葉は、そのすべてが亡きパウリに宛てて書かれたものだ。そこでは、ニューヨークで仕事中だったウィレムが弟・パウリの突然の訃報を受け取り、故郷アムステルダムへと戻り、家族と再会し、葬儀に出席し、再びアムステルダムを去るまでの6日間の出来事が綴られ語られていく。

親愛なるパウリ、と繰り返される呼びかけとは裏腹に、まず浮かび上がってくるのは家族や故郷との距離だ。ニューヨークとアムステルダムとの物理的な距離はほとんどそのまま心の距離のようでもあり、それはおそらく時間的な隔たりにもつながっている。ウィレムは離れた故郷にどれだけ帰っていただろうか。葬儀のためにアムステルダムに戻ったウィレムは実家ではなくホテルに滞在することを選択し、それどころか、到着したその日には疲労を口実に実家に顔を出すことさえしない。実家はホテルから歩いて行ける距離にあるにもかかわらず。

[撮影:引地信彦]

「すごく疲れたから、今日は一日寝てるつもり」と父親に伝えたウィレムはしかし、散歩に出たその足でゲイバーに向かい、そこで知り合ったマルチェッロというブラジル人と体を重ねる。葬儀をすっぽかして男とともにサンパウロに行くことを夢想するウィレム。弟の死という現実、そして来たるべき家族との再会からの逃避。しかしもちろんいつまでも逃げ続けることはできない。再会はぎこちないものになるだろう。父親は「お前がずっとパウリのことを気に入らなかったのは知ってる」とウィレムの態度を責める。だが、抱える思いと表に見える言葉やふるまいはいつでも一致しているわけではない。思いを伝えられないからこそ生まれてしまう距離というものもある。

ウィレムと家族とを隔てる距離は、彼のセクシュアリティに由来するものだろうか。再会した姉・ミーナが別れ際にウィレムにかける言葉はそのことを示唆するようでもある。「何かが完璧じゃないってだけで、離れなきゃいけないわけじゃないのよ、ウィレム、あんたってバカね」。この戯曲の初演は2015年。作中の時間も同じだとすれば、ウィレムがかつての恋人・アイザックのもとを去った14年前は2001年ということになる。それはちょうど、オランダが世界で初めて同性婚を法制化した年だった。

[撮影:引地信彦]

悲しみを、感傷を、親密さを退けるようにふるまうウィレムだが、一方でアイザックには弟の死と自らの帰郷を知らせ「会えたら嬉しい」とメッセージを送っている。14年前、自らの意思で別れを選択したウィレムは、しかしアイザックを思い続けていたのだった。「たとえ何があってもまともな人間だと思えるのはこの世に君だけなんだ」。口には出されなかった言葉。アイザックとの再会は期待していたようなものにはならないのだが、押し込められたウィレムの感情を溢れさせるには十分だった。そのことはウィレムと家族との関係にも影響を与えるだろう。隔たりはこの先もなくならないかもしれない。それでも、ウィレムと家族はぎこちないながらも互いに親愛の情を示し、再びの別れを告げる。

[撮影:引地信彦]

一人芝居として書かれた本作を、桐山は宮崎秋人、溝口琢矢、伊達暁、大石継太の4人の俳優による上演として演出した。29歳から63歳と年齢に幅のある4人の俳優全員がウィレムを演じるというこの趣向は、戯曲の最後の一節に触発されたものだという。「俺はこの手紙をどうするつもりなんだ」「正直まったくわからない」。死者に宛てられた手紙は投函されることなく、ウィレム自身によっていつの日か再び、あるいは繰り返し読み返されるかもしれない。その時々のウィレムは何を思うだろうか。時間の経過によって移りゆく、あるいはそれでもなお変わらない思いは、戯曲に書き込まれた感情の襞にさらに複雑な手触りを加えるだろう。

今回の上演では手紙を読むかたちではなく、通常の台詞のような語りの形式を採用していたこともあり、過去の想起やそれに伴う感情の発露というよりは現在形の出来事が語られていく印象が強く、また、4人の俳優が同一人物を演じていることを明確にするためか語りもやや一本調子に感じられ、残念ながらこの演出がもつ可能性が十全に発揮されていたとは言えない部分もあるように思う。人物としての一貫性を保ちつつ、その時々で抱く過去への異なる思い、しかも戯曲の外側にあるそれを説得力をもって舞台に立ち上げることは相当に困難だろう。だが、死者へと宛てられた手紙に象徴されるように、伝えられなかった思いや置いてきた過去とどう向き合い、そしてどう今を生きるのかという問いがこの作品のひとつの核であることも間違いない。いつの日か同じコンセプトでさらに練り上げた演出による上演を観たい。

なお『彼方からのうた』の戯曲は『悲劇喜劇』2024年9月号で読むことができる。


[撮影:引地信彦]

鑑賞日:2024/08/13(火)