会期:2024/07/19~2024/08/11
会場:HAPS HOUSE[京都府]
公式サイト:https://haps-kyoto.com/enjoy-exhibition-club-2/

「都市への眼差し」をどのように更新することができるか。構造体と表皮、壁と扉、触覚的な物質性と画像上の触れられない距離。路上を歩くことと、バーチャルツーリズムという仮想の歩行。制作態度は対照的ながら、ユニークな協働制作のプロセスを通して、都市に対する互いの視線が交差する2人展。鑑賞者の身体もまた、展示空間という仮設の都市空間の 歩行者 ・・・ に変貌していく、スリリングな体験だ。

櫻井正樹は、街に存在する壁が、落書きが描かれ、風雨や経年劣化で汚れやシミが付き、色あせ、塗膜が剥離し、人為と自然現象が折り重なる場であることに着目する。フレスコ画の壁画移設技法(ストラッポ)を用い、剥がした漆喰の層をレイヤーとして重ねた絵画を制作する。それは、漆喰の地のざらついた触感とあいまって、「かさぶた」として剥がされた、痛んだ都市の壁の表皮を思わせつつ、構造体として自立する。

一方、津村侑希は、Google Earth上で地形、航空写真、ストリートビューなどを閲覧するバーチャルツーリズムの手法をベースに絵画を制作する。津村が描くのは、訪れたことはないが、どこか懐かしさを感じるというチェチェン共和国の都市風景だ。本展では、「開いた扉」を描いた絵画を、櫻井の壁画/構造体と組み合わせ、「門」のかたちを出現させた。開いた門の奥には、イスラームの装飾を施したモスク内部を描いた絵画が設置される。「開いた扉」は、チェチェンの近現代史における追悼と抵抗に関わるイメージだ。チェチェンでは、近しい人が亡くなると、弔問者を迎えるため、3日間、門を開けたままにする伝統がある。2022年以来、「2月23日」に住民たちが庭の門を開けるようになった。この日付は、1944年に対ナチス協力を懸念したスターリンが住民の強制移住を命じ、多数の犠牲者を追悼する日だが、2022年以降、公式の追悼式典が行なわれなくなり、住民たちが静かな抵抗として自宅の門を開けているという。

興味深いのは、展示に先立って櫻井と津村が交換日記のように交わした協働制作のプロセスだ。櫻井が提供したセメント片に、互いが片面ずつ絵を描いて交換する。特異なのは交換方法だ。京都の市街地のどこかにセメント片を置き、撮った写真と位置情報を相手に送り、受け取る側がその場所を探しに行って回収し、描画後、同様の方法で相手に渡す。交換プロセスの記録写真、それぞれの制作メモ、セメント片の実物が展示された。受け渡し場所の写真には、プレハブ倉庫(?)と地面の隙間、自販機とブロック塀の隙間など、「都市の死角」といえる空隙が写っている。また、制作メモには、隠し場所を探しながら普段とは違う視線で都市を歩いたこと、ゴミの不法投棄を禁止する観光都市・京都の条例の看板や、監視カメラ(を設置しているという警告)がやたら気になったことが綴られる。路上や公共空間に放置された「私物」は、どの時点から「ゴミ」と認識されるのか。空間とモノの「所有」の線引きをめぐる問いは、ナメクジの這った跡など汚れも付着したこの「作品」は誰のものなのかという問いも発生させる。

この交換日記的な制作プロセスは、互いの差異の交差でもある。「日常的な都市空間を異化する視線で見る」という櫻井の姿勢。一方、「誰かが撮った写真とGPSの位置情報」は津村の制作ソースだが、今回は「実際にその場所に行くこと」が大きく異なる。逆に言えば、津村の制作は、「行ったことのない場所への想像やリアリティをどう持つことができるか」に支えられている。「ここではない場所」への画像の転送は、バーチャルツーリズムを可能にするが、監視カメラは二人の協働制作にとって抑圧や負荷となる。

複数回の交換を経たセメント片の実物も、両義的だ。両側に描画がなされたセメント片は、共有物であると同時に、互いの制作プロセスの展示スペースを文字通り隔てる「壁」「境界」でもある(ただし、向かって左側の櫻井の展示スペースに「津村が描画した面」が向き、右側の津村の展示スペースに「櫻井が描画した面」が向いている)。

そして、改めてメインの絵画の展示空間に向き合うと、この空間自体が「都市空間」でもあったことに気づく。開かれた門の内側にも外側にも、放置されたゴミのようにミニピースがそっと置かれている。門の扉は、閉ざすと「壁」となるが、描画や装飾を受け止める「支持体」にもなる。櫻井と津村が互いに「門」を開き、その空間の中へ鑑賞者を出迎えてくれるような体験だった。

鑑賞日:2024/08/03(土)