会期:2025/02/01~2025/04/13
会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉別館[神奈川県]
公式サイト:https://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2024-iwatake-rie-kataoka-junya-and-collection/
(前編から)
自然物と人工物をアッサンブラージュし、ユーモラスな動きをともなうキネティック・アートを制作する片岡の作品はどうか。同展のコンセプトに即して取り上げるならば《風呂蓋上波動脊椎屏風》(2024)は障子や襖、衝立といった空間を分節する家具としての機能もあわせ持ってきた日本美術の、西洋美術とは異なる背景を想起させる。
会場写真[撮影:髙橋健治][以下、提供すべて:神奈川県立近代美術館]
左より下岡蓮杖《琴棋書画》、片岡純也《風呂蓋上波動脊椎屏風》[撮影:髙橋健治]
そしてその観点で言えば、《Ghost in the Sellotape》(2015/2025)、《サークル管による輪郭の連続性について》(2025)を展示するために設えられた、衝立状のインスタレーションにも言及しておきたい。これは先述の2作品をインストールするために要請されたであろう衝立であるが、これによって持ちこまれた「表」と「裏」の関係性は、中国や日本の絵画に描かれてきた画中画としての衝立を想起させ、興味深い。
ウー・ホンが『屏風のなかの壺中天 中国重屏図のたくらみ』(中野美代子、中島健訳、青土社、2004)のなかで指摘するように、中国の伝統的絵画における衝立は、なんらかの暗喩として機能したり、空間を分節し、さまざまな解釈を示唆する装置として機能してきた。展示されていたコレクション作品を例として具体的に説明すると、下岡蓮杖《琴棋書画》(1913頃)には音楽や囲碁、書画をたしなむ人物たちの背景として、山水図が描かれた屏風・衝立が描かれており、それらの嗜みが文人趣味であることが視覚化されている。
下岡蓮杖《琴棋書画》1913年頃 紙本着彩
こうした日本美術にも影響を与えている衝立特有のガジェット性を、片岡は、表と裏の関係を強調するために活用した。《サークル管による輪郭の連続性について》は、表から見ると抽象的形態が光に照らされて浮遊する作品だが、裏側にまわるとそれは木の枝やゴム管、竹箒であることが判明し、その形態はリングライトという照明装置によるものであるというギャップが面白い。また、衝立の裏側には茶器類や掛け軸である狩野芳崖《松下牧童の図》(1850-80年代)が展示されており、そこがまるで床の間であるかのような空間の変容を感じることもできるだろう。
会場写真[撮影:髙橋健治]
このように、イメージとモノが相互に影響しあい、展示空間全体がひとつのインスタレーションとして構成されていた同展であるが、そのエッセンスを凝縮し、表象していたのが岩竹による《室内画36—野外彫刻のある室内》(2024)と《室内画43—木下コレクションのある室内》(2024)である。通し番号の存在からわかるように、継続的に制作されている同シリーズは古書に任意のイメージをコラージュし、版画にした作品だ。
今回の展示にあたって岩竹は、さきに挙げた2作において、それぞれ鎌倉別館の野外彫刻と、コラボレーションを行なった木下コレクションを画面内に闖入させている。「室内画」とは部屋をその調度品とともに描くジャンルであるが、「インテリア」という言葉は、もともとは精神の内部が反映された空間という意味を含意している★3。そう考えると、同展のために岩竹が制作した2作は、歴史を内包した作品群によって成立し、現在という時空にそれを再提示する「美術館」という制度的空間の、雄弁なイラストレーションとなっていると言えるだろう。
岩竹理恵《室内画43―木下コレクションのある室内》
イメージとはそれすなわち符牒であり、現実にイマジナリーな領域を開陳すると同時に連関する。オブジェクトとしても流通するそれは空間に意味を発生させ、分節する。岩竹と片岡はそんな視覚的図像の融通無碍さに遊び、美術館というアーカイブを資源とし、見ることの面白さを啓蒙しつつ、それを用いていかに意味の再配置が可能なのかを実験してみせたのである。
★3──高山宏『表象の芸術工学』工作舎、2002、241頁
参考資料
・神奈川県立近代美術館編『岩竹理恵+片岡純也×コレクション 重力と素材のための図鑑』神奈川県立近代美術館、2025
鑑賞日:2025/03/15(土)