ベルリン芸術祭と橋本裕介

1年間のドイツ・ベルリンの滞在を終え、2024年3月に帰国した。さまざまな舞台に接する機会を得たが、なかでも、2023年10月から翌1月にかけて、橋本裕介がベルリン芸術祭(Berliner Festspiele)のプログラムディレクターとしてキュレーションした「舞台芸術シーズン(Performing Arts Season)」の初年度に立ち会えたことが、わたしの強い印象に残った。

1976年福岡生まれの橋本は、京都大学在学中の1997年より演劇活動を開始。2003年橋本制作事務所を設立後、現代演劇、コンテンポラリーダンスの企画・制作を手がけるが、2010年よりKYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)を企画し、2019年までプログラムディレクターを10年間務めた。その一方で、2013年から2019年まで舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)の理事長となり、日本の制作者ネットワーク組織の構築に尽力もしている。2014年から2022年までロームシアター京都に所属し、2022年3月から1年間、文化庁「新進芸術家海外研修制度」でニューヨークに滞在し、その成果を『芸術を誰が支えるのか──アメリカ文化政策の生態系』(京都芸術大学舞台芸術研究センター、2023)という編著にまとめている。さらに2022年9月からは、ベルリン芸術祭のチーフ・ドラマトゥルクに抜擢。新たに設定された「舞台芸術シーズン」のプログラムディレクターとなった(2024年からは同シーズンのアーティスティックディレクター)。

橋本が所属するベルリン芸術祭とは、ドイツ連邦(国家)が運営する巨大組織の名称で、ベルリン音楽祭(Musikfest Berlin)やベルリン演劇祭(Berliner Theatertreffen)といったベルリンを代表する大きなフェスティバルを運営する組織である。その傘下には、ベルリン祝祭劇場という大劇場(メインステージの収容人数は約1000名)とグローピウス・バウという美術館がある。

ドイツの公共劇場と「フリーシーン」

本来ドイツの舞台芸術は公共劇場(Stadt Theater/Municipal Theater)を中心に動いている。市立劇場と訳すべきだろうか、その劇場が活動する地方自治体が主として運営を担っている。日本の公共劇場と異なるのは、ドイツの場合、劇場には劇団が付属していることで、俳優(アンサンブルと呼ばれる)や技術スタッフ、制作者が働き、その全体を芸術監督(Intendant)が束ねる構造である。

作品上演のシステムはシーズン制で、おおよそ9月から7月までの間、常時何かが上演されている。それはレパートリー・システムと呼ばれ、作品の評価などにしたがい、期間を定めずに繰り返し上演される。評判が良ければ、シーズンを跨いで上演され続けることも珍しくはない。繰り返し上演されて劇場のレパートリー作品となるが、毎シーズン、新作も制作されて観客に提供される。

ベルリンには代表的な公共劇場が5つあり、そのどれもが活発なシーズン活動を行なっている。それぞれの劇場には、上演空間が2つ以上あり、アウトリーチ活動や若手の育成事業等にも力を入れている場合がほとんどである。

公共劇場のシステムは歴史的な経緯を経て出来上がって稼動している制度である一方で、「フリーシーン」と呼ばれる「シーン」を構成する、付属劇団をもたない劇場が、ベルリン市内には多数存在している。その代表格はHAU(ヘッベル・アム・ウーファー劇場)で、3つの劇場空間をもっている。現在の芸術監督はベルギー国籍のアネミー・ヴァナケレ(Annemie Vanackere、2012〜)で、ダンス作品を中心に欧州全域から作品を招聘し、また同時に、インクルーシブや教育普及系の上演も行なっている。その他、ダンス作品の上演がやはり多いゾフィーエンザールなどもあるが、「フリーシーン」の劇場で最大の客席数を誇るHAU1でも550席で、それほど大規模ではない。

他方、ドイツにとどまらないヨーロッパ各地では、夏の期間を中心に多数の舞台芸術の祭典が開かれ、その総体としてフェスティバル文化を形成している。フランスのアヴィニヨン演劇祭やスコットランドのエジンバラ演劇祭など、日本でもよく知られている。そうしたフェスティバルの開催時期は夏期中心ではあるものの、近年はほぼ一年中、どこかで開かれているという傾向も見られる。各地域やコミュニティに根ざした芸術活動だけでなく、EU/グローバル化により、国境や言語の壁を越えるような表現も多数出現しており、その受け皿が必要とされるようになったからでもある。

ベルリンでは、ダンスに特化した「8月のダンス(Tanz im August)」フェスティバルがHAUの主催で1988年から開かれているが、夏期休暇期間であってシーズン中ではない。9月のシーズンが始まれば、公共劇場の多数の演目に一般の観客は集中し、オルタナティヴな表現を求める若者中心の観客は、HAUなどの「フリーシーン」の劇場を訪れるという、ある意味安定した二元的構図に収まるのである。

その結果、国境をものともしない〈移動性〉を誇るフェスティバル文化のメジャーなアーティストの作品を、ベルリン市民は観る機会がほとんどないという状況になっている。ジャーナリストや専門家であれば、EU内を移動して、多様なフェスティバル文化に触れる機会はあろうが、一般市民については、そうはいかないのである。

そうしたなか、その隙間というかある種のギャップを埋めるために、ベルリン芸術祭の「舞台芸術シーズン」は発想されたと言ってよい。例えば、最初のシーズンの2作目として招聘されたギリシャの振付家/ダンサーのディミトリス・パパイオアヌーによる『INK』だが、日本へもすでに複数回来日しているパパイオアヌーにとって、この公演が意外にもベルリン初登場だったりしたのである。

ディミトリス・パパイオアヌー『INK』 © Julian Mommert

「舞台芸術シーズン」1年目(1)──スティーヴ・コーヘン、パパイオアヌーとランバザンバ劇場

少々先走ったが、こうして構想された「舞台芸術シーズン」のキュレーションを任された橋本は、まずベルリン祝祭劇場のメインステージの背後にある350名ほどが入場可能な空間で、南アフリカの振付家・パフォーマーのスティーヴン・コーヘン(Steven Cohen)による『足元に心をおいて……そして歩け!(Put your heart under your feet… and walk!)』(ドイツ初演)でシーズンをオープンした(10月13~15日)。引き続き、上記『INK』(ドイツ初演)が大劇場で上演されたのである(10月19~21日)。この両者については、別メディアで劇評的なエッセイを書いているので、それを参照していただきたい。〈喪〉のパフォーマンスと呼べる前者と、日本公演でも好評だった水をふんだんに使って身体というより肉体の極限的〈状態〉を上演する『INK』という、ある意味対照的な演目でシーズンの幕が切って落とされたのである。


スティーヴン・コーヘン『足元に心をおいて……そして歩け!(Put your heart under your feet… and walk!)』 © Pierre Planchenault

引き続き12月1~3日には、KYOTO EXPERIMENTでも上演されたデイナ・ミッチェル(Dana Michel)による『マイク(MIKE)』(ドイツ初演)が、劇場ではなく美術館であるグローピウス・バウで上演された。谷竜一が京都芸術センターでの上演について書くように、本作は「デイナのスムーズな身体各所の連動とその空間への、緊張しきることもなく絶妙に弛緩し、かつダルダルに弛緩しきってもしまわない動きの一連に、わたしたちは、その運動の『質』らしきものをみることができる」ものであり、「こうした質の追求は、動きをより直接的に捉え、その作用を追求したポストモダンダンスの美意識がさらに発展したものであるともいえる」(「客席にいない誰かがいるということ──谷中佑輔『空気きまぐれ』、デイナ・ミシェル『MIKE』」、artscape[キュレーターズノート]、2024)。

デイナ・ミッチェル『マイク(MIKE)』© Françoise Robert

「舞台芸術シーズン」には、こうしたフェスティバル文化の圏域にあると思われる作品のみならず、ベルリンが活動拠点でありながら、公共劇場やフェスティバル文化の観客層を必ずしもターゲットとしていない劇団が、世界初演で参加もした。1990年に設立され、自前の劇場をベルリン市内にもつランバザンバ劇場(RambaZamba Theater)もそのひとつである。インクルーシブな劇団だが、ことさらそのことを強調するわけでもなく、多様な俳優やスタッフが関わってクリエーションを継続していることがその特徴である。

ベルリン祝祭劇場では、新作の『エアロサーカス──あらゆる直線性に対抗する/幌馬車とともにあるカーニヴァル的サーカス(aerocircus: eine circensische karnevaleske mit planwagen/ entgegen aller linearitäten)』(テクストはトーマス・ケック[Thomas Köck])が上演された。メインステージの裏の空間から始まり、途中で観客移動があって、後半はメインステージの舞台上で演じられる壮大なスケールのスペクタクルである(12月5・6日、9・10日)。

ランバザンバ劇場&トマス・サラセノ(テクスト:トーマス・ケック)『エアロサーカス──あらゆる直線性に対抗する/幌馬車とともにあるカーニヴァル的サーカス(aerocircus: eine circensische karnevaleske mit planwagen/ entgegen aller linearitäten)』 © Phillip Zwanzig

物語らしきものはあることはあって、劇作家のケックによるテクストが「世界の終わり」を語る。しかしそこから、人々はサーカスなのか行列なのかただの行進なのか、判別できないようなアクトを繰り返し、ひとりの老いた女性に率いられつつも、カオス的なパフォーマンスが継続する。実に賑やかでアングラ的なテイスト満載の上演だった。

年が明けて、2024年1月16~18日には、祝祭劇場でラシッド・ウランダンの『Corps extrêmes──身体の極限で』が上演された(ドイツ初演、本作は間もなく、さいたま芸術劇場ロームシアター京都で上演される)。ウランダンはアルジェリア出身の振付家/ダンサーで、2021年、パリのシャイヨー劇場ダンス部門の芸術監督になったことで知られる。


ラシッド・ウランダン『Corps extrêmes──身体の極限で』 © Pascale Cholette

本作では、映像と語りと上演を通じてハイライナーの世界最高記録保持者ネイサン・ポーリンやクライマーのニナ・カブレツという、アーティストではないアスリートが主要な役割を務める。舞台背後には、スポーツクライミングの壁があり、8名のアクロバットによる壁を使ったダンス「的」なパフォーマンスもある。壁の前の空間で、アクロバットの人たちの身体が、互いの信頼に基づき、宙空を翔び、受け止められ、高く組み上がったり崩れたりするのである。本作が印象的だったのは、スポーツと芸術の境界を越えるとか越えないとかといった声高な主張のないことだ。にもかかわらず、速度感/超絶技巧感と内省/批評意識が多層的に交錯する不思議な上演でもあった。

「舞台芸術シーズン」1年目(2)──リミニ・プロトコルとボリス・シャルマッツ

引き続き、1月24・26・27日には、日本でもよく知られたリミニ・プロトコル(この有名なコレクティヴのうち、本作ではシュテファン・ケーギがクレジットされている)による『これはメッセージではない(メイドイン台湾)(Dies ist keine Botschaft (Made in Taiwan))』が上演された。本作は橋本がクリエーションの初期段階から関わった企画であり、祝祭劇場での公演が世界初演となった。

シュテファン・ケーギ(リミニ・プロトコル)『これはメッセージではない(メイドイン台湾)(Dies ist keine Botschaft (Made in Taiwan))』 © Claudia Ndebele

ドイツ=ベルリンになぜ台湾の大使館がないのかという素朴な問いから、中国と西側諸国が国交を回復していく歴史的・政治的経緯が振り返られる。登場するのは、3名の台湾人である。ひとりは中国との「統一」に積極的な元外交官、ひとりはSNSなどのヴァーチャル空間で台湾的な民主主義の可視性を上げようと活動するアクティヴィスト、もうひとりは、こうした政治的問題に対して、公然と意見を言うこと自体に抵抗がある、タピオカで財をなした一族出身でドイツで活動するアーティストである。

タイトルからも理解されるように、ここにはメッセージ性は薄く、世代も異なる三人三様の台湾についての考えが、客観的な歴史とともに、開陳されていく。上演はしかし、ベルリンに大使館がオープンし観客はそのオープニングの式典に招かれたという設定で進む。実際、劇場の壁には台湾大使館という立派なプレートが途中で設置されたりもするのである。

日本よりも台湾への距離感が相当遠いベルリンでの上演だが、本作はその後、台湾での上演を含め世界を巡回している。異なる背景の「当事者」が現在の問題をそれぞれの立場から語るという、これまでのリミニ・プロトコルの路線を踏襲した独特のドキュメンタリー演劇は、各地で、そして観客一人ひとりのなかで、さまざまな論議や内省を呼ぶことになるだろう。

橋本の1年目のキュレーションの最後は、ピナ・バウシュ舞踊団(Tanztheater Wuppertal Pina Bausch)の芸術監督に就任したボリス・シャルマッツによる『クラブ・アモア(Club Amor)』で、三つの作品から成る。まず、舞台上に観客を入れての『Aatt enen tionon』(1996)と『herses (une lente introduction)』(1997)からの抜粋。後半は観客席に観客は移動しての『カフェ・ミュラー(Café Müller)』(1978)である。


ボリス・シャルマッツ『クラブ・アモア(Club Amor)』より、『Aatt enen tionon』 © Evangelos Rodoulis

シャルマッツの初期代表作2作と、バウシュ自身が出演した映像が残っているバウシュの代表作という組み合わせである。3階建ての大きな足場のそれぞれにいるダンサーが、互いの姿を確認することないままにある種のシンクロ状態で激しい動きを繰り広げる『Aatt enen tionon』に対し、シャルマッツ自身が出演した『herses (une lente introduction)』では、初演時とはおそらく異なる〈老い〉という問題が浮上するデュオが眼前で繰り広げられる。それに対し、客席から観る『カフェ・ミュラー』は、わたしなどはどうしてもかつての舞台を思い出してしまって、やや〈遠い〉上演に思われたが、同時代的にバウシュを知らない観客にとっては、どうだったのだろうか。

ボリス・シャルマッツ『クラブ・アモア(Club Amor)』より、『カフェ・ミュラー(Café Müller)』 © Uwe Stratmann

こうして橋本がキュレーションをした「舞台芸術シーズン」の1年目は無事終了した。バラエティに富んでいたという表現ではまったく言葉が足りないエッジの効いた、そしてフェスティバル文化の〈いま〉の一端をベルリンの観客に提示するような鮮やかでもある作品選定だったのではないだろうか。その2年目がまもなく開幕する。そこにはアンヌ・テレサ・ケースマイケルやルシンダ・チャイルズ、あるいはフィリップ・ケーヌといった「おなじみ」というより橋本らしさがよく伝わってくる面々の作品が並んでいる。京都というアジアにある地理的ロケーションにおける経験抜きには考えられない「らしさ」である。これからもしばらくは、ベルリン芸術祭から目が離せない。


ベルリン芸術祭:The Performing Arts Season 2024/2025
会期:2024年10月9日(水)~2025年1月25日(土)
会場:ベルリン祝祭劇場、グローピウス・バウ(ドイツ・ベルリン)ほか
公式サイト:https://www.berlinerfestspiele.de/en/bfs-de/performing-arts-season


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