会期:2024/09/03~2025/03/03
会場:国立現代美術館(MMCA)ソウル館[韓国、ソウル]
公式サイト:https://www.mmca.go.kr/eng/exhibitions/exhibitionsDetail.do?exhFlag=2&exhId=202403220001771

Amanda Heng 《Let’s Walk (Compilation)》。MMCA「Connecting Bodies: Asian Women Artists」での展示風景(以下同)[筆者撮影]

本作は、シンガポールのパフォーマンスアーティストAmanda Heng(以下、アマンダ・ヘン)★1の代表作であり、1999年のシンガポールでの発表以来、断続的に世界各地で行なわれてきたパフォーマンス《Let’s Walk》が元となっている映像作品だ(筆者はMMCAでの展覧会「Connecting Bodies: Asian Woman Artists」★2で鑑賞した)。「Chapter 1」は福岡(日本)★3、「Chapter 2」はシンガポール、「Chapter 3」はパリ(フランス)、「Chapter 4」はジャカルタ(インドネシア)で行なわれた参加型パフォーマンスの記録映像で、どれも2000年前後に撮影されている。

アマンダ・ヘンのインストラクションはシンプルだ。口にハイヒールを咥え、手鏡で背後を確認しながら後ろ向きに歩く。靴を咥える条件だけは任意なのかもしれない。大勢が口にハイヒールを咥えている写真を見たことがあるが、今回の映像内でハイヒールを咥えているのはヘンのみだった。この作品を象徴的に伝えるのは、やはりヘン本人がハイヒールを咥えて手鏡を睨みながら歩く姿だろう。このパフォーマンスは、1997年のアジア通貨危機をきっかけに作られた。大量の失業者が出たシンガポールで、職を失わないために女性たちは美容品にむしろお金をかけるようになった結果、経済危機のさなかに美容業界だけが売り上げを高めたのだそうだ。シンガポールの能力主義や高速度の発展、容姿で仕事の去就を判断される社会、そのなかで口を開くことができず鏡に向かうしかなくなった女性たち……。ヘンの作品は、社会と個人の関係を問い、その歪みに対して、話すことや歩くことといった日常的なアクションを元にアプローチしていく。本作では、シンプルなインストラクションに加えて、街中でこれを大勢で実行する。

シンガポールでの《Let’s Walk》。男性参加者の姿もある[筆者撮影]

パリでの《Let’s Walk》。広場で横に広がって歩く場面も見られる[筆者撮影]

写真にすると、人の歩いている向きはわからない。だが、彼女らは一歩一歩確かめるように後ろ向きに歩いていたことが映像ではよくわかる。興味深いのは、時に足どりが皆で揃ってくることだ。一列になるとそれは顕著で、歩く速度を調節しないと、普段歩くように人にぶつかることなく進むのは難しい。横断歩道をゆっくり渡り続ける後ろ歩きの人々に困惑しながら、渡り終わるのを待つドライバーの表情も映像には納められている。

この《Let’s Walk (Compilation)》は全体で12分36秒しかない。記録がけっしてすべてを撮り尽くすことができないゆえに、それでもなるべく、という切迫感で、膨大な記録写真や映像が残る事態は今日ますます加速しているだろう。映像は、引いた構図で撮影されていることが多く、参加者一人ひとりの表情まではよく見えない。見えたにせよ、それは鏡を見つめる表情であり、彼女が見る鏡の中の表情の反転したものでしかない。参加した者だけが目にした、記録されえないものがある。そして、そこにこそ、作品が当時問いたかったものがある。手鏡の中には、同じように手鏡を持ち後ろ向きに歩くほかの女性たちの姿が見えたことだろう。その様子を見られたのは、当時そのように歩いた人たちだけだ。記録は出来事の外にあるのだ、と改めて思い知らされる。

福岡での《Let’s Walk》。手鏡は参加者が持参しているようで、さまざまなものが映し出される[筆者撮影]

しかし今日、記録に残るのは、画面を覗き込む表情の方だろう。手鏡をスマートフォンに置き換えたなら、オンライン配信をする人や、短い映像を録画する現代の人の姿にも見えてくる。その場合違ってくるのは、スマートフォンを覗き込む目に映り込むのが、後ろ歩きの困難ではなく、世界を闊歩する(かのような)姿であることだ。インカメラ越しであれば、前方に広がる事態を避けて、むしろ自在に歩き回れる。この似て非なる身振りのなかで、私たちはまったく違う歩行を身につけている。

私たちは、いまこそ、この作品のように歩いてみるべきかもしれない。手元を覗く身振りは、行なう者としても目撃するものとしても、今日あまりに見慣れた光景になってしまったが、作品の意味が徐々に変わっていくのと同じように、この身振りを見直し、繰り返してみる意味はきっとあるだろう。参加型パフォーマンスの作品に、発表された時代ごとのアクチュアリティがあるのは間違いない。一方で、シンプルなインストラクションは、時代や場所がずれた地点でこそ試してみたいと思わせるものがある。いまなお、参加への気持ちを喚起させることは興味深いし、どこか怖くもある。タイトルの「歩きましょう」という誘いは、どの時代にも向けられている。


★1──アマンダ・ヘンは、シンガポールにおいて、フェミニズムを掲げたアーティストであることや、アーティストコレクティブを始めた先行世代であることが注目されてもいる。本作をきっかけに知ったばかりなので、今後も継続して調べてみたい。
ヘンのキャリアを概説したものとしては、さまざまな国や地域における18、19、20世紀の女性アーティストたちの功績をデータベース化し紹介するウェブサイト「AWARE」のエントリがわかりやすい。
https://awarewomenartists.com/en/artiste/amanda-heng/
★2──本作が出展する「Connecting Bodies: Asian Women Artists」では、アジアの女性アーティストの作品を数多く鑑賞できる。本作は「Part 4. Street Performances」で扱われており、このパートはMMCAの展示室間にある大きな通路沿いに展示されている。ヘンだけでなく、先行世代のアジアの女性アーティストによる参加型パフォーマンスを多く観られてとても良かった。もちろんほかのパートの作品も素晴らしく、時間をかけて観てほしい展覧会である。
★3──『平成11年度福岡アジア美術館交流事業報告書』のp.15「福岡アジア美術館開館1周年記念 アジア楽市楽座 アートはいらんね!?」で本作のパフォーマンスが行なわれた記録が確認できる。「福岡の女性たちとともに鏡を持って後ろ向きに福岡市美術館から福岡アジア美術館まで約3.5kmを歩き、家父長制からの女性の真の解放を訴えるパフォーマンス」。

鑑賞日:2024/09/05(木)