会期:2024/09/07~2024/09/28
会場:屯-ton-[長野県]
公式サイト:
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長野県上田市にある、屯-ton-の展示を訪れた。展覧会ではなく、展示と言っておく。屯-ton-は、NPO法人リベルテが市内で4カ所運営するアトリエのひとつであり、福祉施設の事業所でもある。また飲食提供を行なう唯一の建物だ。各アトリエは長屋の一部や一軒家を改修しており、上田駅から15分ほどの住宅地に点在している。それぞれの距離は徒歩数分から10分程度の近さだ。屯は4つのアトリエのうちもっとも新しく、2024年6月から来客も受け入れて稼働している。オープン以降、7、8月にもそれぞれ異なる展示が行なわれていた。

今回は、「リベルテのメンバーとスタッフで、宮城県山元町にある『NPO法人ポラリス』に行ってきた7月5日(金)〜6日(土)の『あの日』をめぐる展示」だ。メンバー★1とスタッフが市外に出て宿泊もするというのは、リベルテにとって大きな出来事だ。それは概要文の「この旅には、さまざまな理由で参加した/できたメンバーと参加しなかった/できなかったメンバーがいました」ということにも表われている。移動することは、それだけでひとつ大きな意思決定だといえる。そして、それは自分の意思だけでは決められないことがある。

屯-ton-の様子。奥が厨房、左手に販売棚、右手に小上がり[筆者撮影]

元とんかつ屋さんだという店内は、4畳ほどの小上がりをもつ空間と、同じくらいの広さの厨房からなる。入口を入ってすぐ、室内の真ん中にあるのは白塗りの大きなカメラのようなものと、たくさんの書き込みがされた白塗りの木だ。周りの壁には、たくさんの写真とメモ、ドローイングやQRコードのついた小さな紙片、ぐるりと壁から壁をつなぐ毛糸、カップ麺の空き容器なんかも吊り下げられている。展示概要のすぐ隣に、リベルテのメンバーが作ったグッズの販売棚がある。そこにカラフルな、張り子のピンホールカメラがある。先ほどの白塗りのカメラも、ピンホールカメラなのだとここで気づく。覗いてみると、屯-ton-の入口がさかさまに写っている。ほかにも覗き穴が空いていて、小さな映像が流れていたり、透明な板に描かれたドローイングが透けて見えたりする。大漁旗は、現地に持って行ったものだし、白塗りの木は山本町の浜辺で拾った流木だ。このピンホールカメラは、いま、ここへやってくる人を映し込む。

ピンホールカメラを覗く[筆者撮影]

そして、あたりにはたくさんの写真がある。

2024年の7月5日と6日に撮影されたものたちだ。宮城県への旅の様子を写したものが多い。道中のサービスエリアで遭遇したウルトラマンの彫像、食べた食事、合流したほかの車両、現地で出会った人々、場所。ポスターに使われたのは、宿泊施設で夜食に食べたカップヌードルの写真だ。写真には小さな手描きのメモが添えられていて、それが撮影者によるものなのか、被写体によるものなのかはわからない。何人かの撮影者がいるようだ。

下段には、信号機だけを写した写真群がある。別の撮影者が、宮城には向かわず(あるいは向かえず)普段と同じように観察と分析を行なった記録だ。

QRコードから聞こえてくる声や紙片に書き留められた言葉は、宮城に行けなかった人がその2日間を思い出して語るものだ。

窓に立てかけられた、刺繍の施されたペインティング(写真中央右寄り)で、展示はおおよそ室内を一周する[筆者撮影]

ところで、この展示にはキャプションがない。どれを誰が撮影したか、どの文字を誰が書いたのか、いつ書かれたのか……。しかし壁にはテープで名前が書かれている。それらがこの旅や展示に関わった人の名前であることを私は知っているし、どれがどの人かもわかっている。知らない人にはわからないだろう。だがそもそもこの展示では、あるいはリベルテでは、これは誰々さんが作りました、誰々さんの作品です、といった個人に帰属させる発信が、慎重に避けられている。おそらく、きっと、物がその物だけで存在するわけではない、ということが重視されているからだ。

例えば小さな張り子のカメラであれば、躯体をヒョウさんが作り、色を未来さんが塗り、文字をクラガネさんが書き、モロさんが割き織した紐に岡本さんがゴムを通し……と、人から人、アトリエからアトリエを渡って作られた。このように直接手が掛かっていてもなお、ただ連名にしたらよいわけではない。

描いたドローイングや書いたテキストを壁のどこに貼るのか、どのファイルに入れてどの棚にしまうのか、あるいはどういったときに引っ張り出してきて人に見せるのか。アトリエでは、こうして物のあり方が各自によって調整されている。調整は、他者がいることに多分に影響されている★2。だから、自分ひとりで“作った”ドローイングであったとしても、展示のように考えるなら、そこにはつねに共同性のようなものがある。リベルテでは、展示における共同性のようなものが、アトリエという場所に対しても敷衍されている。逆に、展示においては、普段のアトリエの様子(単に人や物の状態を指すわけではない)が現われるよう試みられている。

屯-ton-で目にしたものは一体なんだったのだろう。展示に集められた物や、店内で販売されている物はどれも魅力的で、つい「作品」と呼びたくもなってしまう。だが、リベルテでは個人をスターのように扱うわけでもないし、かといって匿名の集団にしているわけでもない。複数の、経験された時間が人の数だけあるということ、それらが同時にあるということが普段から確認されているように思う。この展示も、そのように世界を・他者の存在を考えていくための実践と言えるだろう。そのように考えてみてほしいこと、そのための場であることは展示概要にも記されているが、訪れてみてもやはりそうだと思う。

実のところ、私はこの宮城への旅に同行している(そのため、「制作・展示協力」としてクレジットされている)。それでも私の知らない瞬間ばかりが写っている。いなかったメンバーの考えは、そのときはわからなかった。だが同時に、私はこれを知っているかもしれない、とも思った。旅の写真で、あるいは行けなかった日の言葉で、それぞれに思い当たるものがある。私は旅について行ったが、同時に行けなかった私もいたかもしれない。それは「作品」として煌めくようなものではなく、ただ、あるな、ということを忘れかけるような感覚だ。そんなことがあったね、あるよね、あるかもね、といったことを、展示を観た後ならば、自分に認められそうだ。そこに並んでいたのは、とても特別な、しかし同時になんでもないことの記録であったのに、あるいは、あったからこそ。


★1──リベルテでは福祉施設を利用する人をメンバーと呼んでいる。またこの呼び方について代表の武捨和貴氏は「スタッフや地域の人など、リベルテに関わる人はメンバーだと考えている」とコメントしている。
★2──リベルテの活動の様子については、下記の記事に詳しい。合わせて、リベルテ以外の実践についても読むことをお勧めしたい。上田という街は、それぞれの実践があることで影響し合うよい例だ。リベルテが重視するアトリエという単位やその中のあり方は、そのまま上田という街に拡大しても当てはまりそうだ。
https://co-coco.jp/series/atelier/liberte/

鑑賞日:2024/09/17(火)