会期:2024/09/21~2024/11/04(会期延長)
HAPSオフィス[京都府]
公式サイト:https://haps-kyoto.com/hapskyoto_selection5/
「パレスチナと日本」という隔たりを、身体的経験としてどう可視化することができるか。
本展主催の一般社団法人HAPSは、住居やスタジオの物件探し、制作・発表支援、仕事コーディネートなど、アーティストへの包括的な支援活動を行なう組織である。元民家のオフィスの入口スペースでは、夜間に路上からガラス越しに鑑賞する展覧会シリーズ「ALLNIGHT HAPS」(2014-2021)を実施してきた。黒木結の本個展は、別企画の展覧会シリーズだが、「夜間のガラス越しの路上鑑賞」という特異な展示形態を活かし、「パレスチナとどう向き合うのか」という問いを自己批判的に突きつける。
ガラス越しに目に飛び込むのは、天上から垂れ下がる白い布に記された「本日の死亡者数が0になる夜を見守り心から寝たい」という短歌である。白い布は床まで敷かれ、その上には「空っぽのベッド」の写真を印刷したポストカードの束が、長方形に積み上げられている。奥の3列だけ1段高く積まれたポストカードは、しわくちゃになったシーツのような布と相まって、写真の「ベッド」を形態的に模倣する。そしてどのポストカードにも、黒いマーカーで一本の線が引かれている。ポストカードの総数は29,448 枚。この数字は、ハマスへの報復としてイスラエルによるパレスチナへの大規模侵攻が始まった2023年10月7日から、展示開始前日の2024年9月20日までの、パレスチナとイスラエルにおける死者数に相当するという。
[撮影:岡はるか]
黒木は、「線を引く」というシンプルな行為に、幾重もの多義性を明滅させる。それは、政治的な境界線や分離壁であり、「一本の線」に匿名化・均質化され、「数値」として情報化されてしまう死者のありようだ。目鼻を欠き、手足もない「棒」に還元された遺体は、複製物であるポストカードの上に「安置」される。その集合体は、せめてもの追悼の意として「遺体を安置するベッド」を形成するが、その「ベッド」の上で、誰が安穏として眠りに浸れるだろう。黒木は、「暗闇に心地よく包まれた安眠のためのベッド」を、「煌々と照らされ、安らかな眠りにつけない死者たちの座」へと反転させる。闇と灯り、睡眠と死、私的領域と路上空間の反転。黒木が引いた線は、完全に均質ではなく、わずかにフリーハンドの歪みや太さの差異を含むが、そこから一人ひとりの差異を想像することは極めて困難だ。
[撮影:岡はるか]
[撮影:岡はるか]
また、黒木の短歌は、例えば与謝野晶子が日露戦争に出征した弟に向けて詠んだ七五調の反戦詩「君死にたまふことなかれ」を思い出させる。そして、「反戦とベッド」の組み合わせは、ベトナム戦争が激化する1969年、オノ・ヨーコとジョン・レノンが新婚旅行先で行なった《平和のためのベッド・イン》を想起させる。2人は、ホテルの一室を取材陣に開放し、ベッドの上から記者たちに愛と平和について語りかけた。だが、黒木の本展では、「ベッド」の上には誰もいない。黒木は、「2024年現在における、ジョンとヨーコの不在」を嘆いているのだろうか。いや、展示を見る私たちは、抗議パフォーマンスの「ベッド・イン」が行なわれるかもしれないベッドと、透明なガラスの壁で隔てられており、安全で暗い路上から「不在が照らされたベッド」をただ眺めるしかない。ここでもまた、抗議と沈黙、路上空間と安全圏が反転する。抗議の場としての「ベッド」のある空間はガラス壁の中の「安全圏」に閉じ込められ、声を上げる路上の公共空間は、むしろ沈黙と傍観の空間と化す。そして、まさにその場所こそが、観客自身の身を置く空間であることを、黒木は自省的に突きつける。
[撮影:岡はるか]
別の視点から見ると、「地球に線を引く:パレスチナ/イスラエル」という個展タイトルは、フランシス・アリスのパフォーマンス作品《グリーンライン》(2004)を想起させる★。「グリーンライン」とは、1949年、イスラエルの建国をめぐってパレスチナで勃発した第一次中東戦争の休戦協定で定められ、イスラエルとヨルダン川西岸を分離する境界線である。アリスは、緑のペンキを垂らしながら、地図上に引かれた境界線をなぞって歩き、目に見えない分断線を可視化した。「歩行の跡を大地に刻む」というランド・アートの手法を、脱政治性から再政治化させた行為といえる。
黒木自身、タイトルの着想にあたり、アリスの《グリーンライン》を念頭に置いていただろう。黒木は、2023年10月に『鑑賞のプロセス:フランシス・アリス』というパフォーマンス作品を劇場で上演し、作中で《グリーンライン》が参照されていたからだ。地図上の分断線を歩行の痕跡として現実の路上空間に可視化するアリスの作品とは対照的に、黒木の本作は、歴史的な反戦パフォーマンスの記憶を呼び起こしつつ、私たち観客自身が抱え込んでいる内なる境界線をこそ突きつけているのだ。
★──記録映像作品は、フランシス・アリスのウェブサイトで閲覧できる。https://francisalys.com/the-green-line/
鑑賞日:2024/09/21(土)