香港映画と聞いて、あなたの脳裏に浮かぶのはどんな作品だろう?
『インファナル・アフェア』(2002)のような、想像を超えた人間世界の複雑さを描いたノワール作品? それとも『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)のような、中華圏の大スターを集めて制作された、いかにもチャイニーズ!な物語? あるいは中国への主権返還前後の庶民を描いた小品? または派手な表情とアクションでむちゃくちゃ楽しかったジャッキー・チェン(成龍)の勧善懲悪もの? 独特の美学で観客をため息の渦に巻きこんだウォン・カーウァイ(王家衛)監督作品? もっと遡って「終わりよければすべて良し」的な香港風ハチャメチャコメディ『Mr. Boo』シリーズ(1974-2004)? もちろん、今も昔も、心の中のブルース・リーの地位は揺るがないという人もいるだろう。
そしてここで、「香港映画、すっかりご無沙汰だなぁ……」と思った人も少なくないはずだ。数年ほど前までの筆者も同じだった。
その香港で、ここ2年ほど、注目の香港映画が続々現われている。そのうちのひとつ、『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦(原題:九龍城寨之圍城)』(ソイ・チェン監督。以下、「ウォリアーズ」 )が2025年1月17日から日本でも公開されることが決まった。筆者も大ヒット上映中だった今年6月に現地で観たが、正直久しぶりに「香港映画や~!」という満足感にどっぷり浸ることができた。
『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦』
作品タイトルにある「九龍城砦(九龍城寨)」という言葉を覚えておられる方もいるはずだ。まだ香港が英国植民地だった頃、周囲のアパートなどの建物の屋上スレスレに飛行機が着陸することで有名だった香港カイタック空港のすぐそばにあった、もうひとつの香港名物である。
九龍城砦とは、歴史的な要因によりそこだけ英国植民地政府の統治が及ばない、中国(清朝)の領土だった。実質的に中国が統治していたわけではなく、事実上は無政府状態にあった。そのため、外の植民地政府管轄地域では禁止されていた賭博や麻薬の密売が横行し、また中国からの不法入境者が多く暮らす場所となっていた。1987年当時の統計によると、わずか2.6ヘクタールの土地に約3.3万人が暮らし、人口密度世界一の地域だったことでも知られている。
作品はこの九龍城砦が取り壊されるまでの10年ほどを背景に、ノワールあり、アクションあり、ほろりとさせられるシーンありの、見終わってスカッとしつつ、香港の歴史を振り返ることができる作りになっている。
さらに見どころは、そのキャスティングの豪華さだ。
アクション界大御所のサモ・ハン・キンポー(洪金宝、すでに70代!)、90年代アイドル四天王アーロン・クォック(郭富城)、クォックと同時代の台湾人気歌手リッチー・レン(任賢齊)、そして2000年代以降、香港映画界の「顔」となったルイス・クー(古天楽)など、それぞれの時代の香港映画ファンにとって懐かしい顔がズラリ。
『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦』
『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦』
さらに主人公ら4人組を演じる若き俳優たちが、谷垣健治・アクション監督の指導を受けて、いまこの時代にもこんなアクションスターたちが、と思うような素晴らしいアクションを展開する。また本作品では黒眼鏡とカツラでほとんどその素顔を拝めなかった「稀代の悪役」を演じたフィリップ・ン(伍允龍)が、爆発的人気を博したことも話題になった。
この作品は、来年度の米アカデミー賞「国際最優秀ドラマ部門」にも推薦されており、来年1月のノミネート作品決定会場には撮影で使われた九龍城砦の再現されたセットもお目見えする予定だという。
『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』 超特報
いまの時代の「香港(人)らしさ」
この「ウォリアーズ」は公開からわずか2カ月で興行成績が1億香港ドル(約18億円)を突破し、香港映画史上2位となった。これは、昨年興行成績ランキング1位を塗り替えた『毒舌大状』に続く成績で、それほどの大ヒット作が2年続いたことになる。
『毒舌大状』は昨年、『毒舌弁護人~正義への戦い~』の邦題で日本でも公開されたが、残念なことにそれほど話題にはならなかった。法廷劇が中心の、それほど複雑でもないストーリーだが、超人気コメディアン、ダヨ・ウォン(黄子華)が演じる主人公が放つ数々の名言、そして法庭シーンには、2019年のデモ後に逮捕されたデモ関係者が裁かれる様子をじっと見守っている香港市民の心の琴線に触れるものがたくさんあった。そんな昨今の香港人に大受けしたポイントが、事前情報なしに観た日本人観客にはピンとこなかったというのが「敗因」であろう。
そうなのだ、最近の香港映画は、冒頭に上げたそれぞれの時代とはまったく違う背景のもとに生まれている。それは端的に言えば、以前よりずっと小規模な資本で作られ、テーマもかつてのユニバーサルな仰々しさではなく、もっと「香港(人)らしさ」を追求する作品である。そして、監督や俳優の名前も、多くが日本人観客がほぼ初めて見聞きする作品となっている。
それは、ここ数年のうちに、香港映画界で大きな変化が起きたことを意味している。
中国市場の香港映画
香港映画界は、2003年以降に中国から大量の資金が流れ込み、合作映画の触れ込みで、中国市場に向けた作品づくりのブームが起きた。当時の中国市場にとって、香港映画界は華やかで都会的、またスターらしいスター俳優と、洗練されたネタやアクションなどで眩しい存在だった。多くの中国の製作会社がそんな香港映画界との協力を求めて殺到した。
それは香港映画界にとっても、チャンスだった。流れ込む大量の資金と巨大な中国市場進出の波に乗り、中国市場ウケする作品作りが始まり、映画界は浮足立った。
ただ、その合作スタイルがすっかり定着すると、次第に問題点もあらわになった。
ひとつは、中国市場を視野にいれた場合、絶対に撮ることができないテーマがあること。例えば政治の話題、あるいは政府高官や権威的立場にある警官などを「悪く」描くことは中国では許されていない。次に、スポンサーはとかく著名監督や人気俳優ばかりを買い漁った。中国市場はとにかく巨大で、作品に話題性があれば、簡単に資金回収どころか利益を上げることが可能だったからだ。
その結果、中国のスポンサーの目はそんなスター俳優や著名監督にばかり注がれ、次世代の育成にはまったく関心がなかった。若者世代は国内で知られる中国人俳優らが器用される一方で、人気スターや監督はどんどん年を取り、アンディ・ラウ(劉徳華)もトニー・レオン(梁朝偉)もすでに齢60を超えてしまった。
さらに、中国市場は「香港らしさ」や「香港人っぽさ」にはなんの関心もなかったこと。このため、中国人向けに作られた合作映画は香港では人気がなくなった。逆に日本の作品を含め外国作品が人々の話題作になった。
つまり、我われがすっかり香港映画の存在を忘れていたのはほかでもない、「香港映画らしい作品」が出現していなかったからだった。
香港人が香港映画に求めるもの
それが2019年以降、突然の転換期を迎えた。
この年後半に香港で吹き荒れた民主化要求運動、裏を返せばアンチ中国政府運動により、中国国内では「香港」に関わるさまざまなものがタブー視されるようになった。「香港」が売物にならないとなると、中国のスポンサーたちは次々と引き上げた。
ほぼ同時に中国では不動産バブルが破裂し、経済局面が急激に悪化した。さらに2020年に入ると、新型コロナウイルスの感染拡大により、中国国内のビジネスや移動は大きな制約を受けた。
つまり、荒っぽい言い方をすれば、これらの理由によって、それまでもてはやされてきた香港映画界は放り出されてしまった。映画界を潤していた大量の資金が潮が引くように引いてしまうと同時に、低予算映画のチャンスが到来したのである。
大物ばかりが中国でもてはやされている間、香港の若手には活躍の場はほとんど与えられなかった。しかし、そんな長い下積みの中で経験を蓄えてきた若手監督や脚本家、そして俳優たちに日の目が当たりだしたのだ。また彼らは、2019年のデモ以降の社会における共通テーマ「香港人意識」「香港らしさ」をそのまま意識する世代でもあった。それが観客のニーズと結びついた。
2022年にコロナ規制が緩和されると同時に爆発的な話題を集めたのが、『緣路山旮旯(邦題:縁路はるばる) 』だった。
『緣路山旮旯(縁路はるばる)』
これは、ある冴えないコンピューターエンジニアの恋愛遍歴を描く作品だが、お相手はそれぞれ、香港のかなり郊外に住む個性派美女ばかり。彼女たちとのデートに出かけていく主人公の足取りを辿って、「香港郊外旅行」ブームが起きた。映画は香港生まれの香港人ですら知らない、香港の自然な姿を描き、またフツーの容姿の主人公も自分たちそっくりだと大ウケした。
この系列の作品として、人気女性歌手のサミ・チェン(鄭秀文)主演の『流水落花』(2023)が続いた。我が子を亡くした若い夫婦が、身寄りのない子どもを一時的に預かる里親制度に参加し、自分の人生をすり抜けていく子どもたちに思いを寄せるという、やはり「フツーの人」が主人公だった。だが、「大都会香港」とは違う、香港人にとって自然な風景も印象に残った。
これらの作品は、どれも香港人らしい「日常」を描いたもので、かつての香港映画のスペクタクルさやきらびやかさを求める人は、肩透かしを食らったような気分だろう。だが、日本の小津や昨今の「フツーの人」を描く作品を愛でる若い世代が、「自分たちの香港」を描こうとしている点に共感が集まった。
『流水落花』Lost Love [流水落花] 予告編
残念ながら、日本ではこの作品は映画祭で上映されただけで、まだ正式な劇場公開も、オンラインデマンド配信も行なわれていないようだ。
「フツーの人」というにはちょっと語弊があるが、昨今香港で続く小中学生の自殺をテーマにした作品『年少日記』も昨年から今年にかけて大ヒットした。テーマや脚本もそうだが、出演者一人ひとりの演技もすばらしく、ずしんと心にのしかかる作品だった。本作品のニック・チェク(卓亦謙)監督は昨年の「中華圏のアカデミー賞」台湾金馬奨で最優秀新人監督賞を受賞し、作品は観客が選ぶ最優秀ドラマ作品賞にも選ばれている。
『年少日記(Time Still Turns The Pages)』オフィシャル予告編
このほか、年老いた女性を巡るLGBTQ問題をテーマにした作品『従今以後』、前科者の父親との複雑な関係を描いた作品『離れていても(原題:但願人長久)』、また作家になるのが夢だった、監督の自伝的映画『填詞L』も、「香港社会を描いたもの」として観客に高い評価を受けている。
いま、香港映画界は「自分たちのストーリー」を紡ごうとしている。この10月末から始まる東京国際映画祭、そして11月には東京、大阪、福岡で、香港国際映画祭主催の「香港映画際」が開かれる。上記で紹介した作品の一部も上映される予定である。ぜひ足を運んでいただきたいものである。
第37回東京国際映画祭
『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦』
会期:2024/11/01(金)、11/4(月)
会場:TOHOシネマズ 日比谷(東京都千代田区有楽町1-1-2 東京ミッドタウン日比谷4F)
東京国際映画祭 公式サイト:https://2024.tiff-jp.net/ja/
香港映画際 Making Waves – Navigators of Hong Kong Cinema
■ 東京
会期:2024/11/01日(金)~11/04(月・祝)
会場:YEBISU GARDEN CINEMA(東京都渋谷区恵比寿4丁目2-2 恵比寿ガーデンプレイス内)
※『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦』の上映は11/02(土)10:40〜
■ 大阪
会期:2024年11月9日(土)~11月11日(月)
会場:テアトル梅田(大阪府大阪市北区大淀中1-1-88 梅田スカイビルタワーイースト3・4F)
■ 福岡
会期:2024年11月15日(金)~11月17日(日)
会場:ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13(福岡県福岡市博多区住吉1-2‐22 キャナルシティ博多内)
香港映画際 公式サイト:https://makingwaves.oaff.jp/