2024年は、戦後フィリピン近代美術の発展に貢献したフェルナンド・ゾベル・デ・アヤラ (Fernando Zóbel de Ayala y Montojo Torrontegui、以下ゾベル)の生誕100周年で、マニラではその記念展がふたつの美術館で開催されている★1。この記事ではそのなかのひとつ、アテネオ・アート・ギャラリーの『A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene』展を紹介する。
[撮影:Mark Salvatus]
画家、コレクターであったゾベルの影響
ゾベルは1924年、アメリカ植民地期フィリピンで生まれたスペイン人だ。1961年にマドリードに定住するまで、フィリピン、スペイン、アメリカで生活を送りながら独学でアートを学ぶ。ハーバード大学留学中の1940年代後半に、現地の美術家と交流を深め表現活動に本格的に取り組むが、1951年、一族の財閥事業に従事するためにフィリピンに戻り、隙間時間に制作と発表活動を続ける二重生活が始まる。その後、1954年にロードアイランド・スクール・オブ・デザインの短期レジデンスに招へいされ、その滞在中に抽象表現主義と出会う。特にマーク・ロスコのカラーフィールド・ペインティングは、ゾベルのその後の絵画表現に大きな影響を及ぼすことになった。こうして、ゾベルがアメリカで直に得た絵画実験に関する知識と、慣習に囚われないコスモポリタンな感性は、既成の規律に反発し独自の表現方法を模索していたマニラの画家たちに大きな刺激を与えた。ゾベルは美術教育にも携わり、アテネオ大学で担当した現代絵画入門講座からは、戦後のアートシーンで重要な役割を担う批評家が輩出した★2。
設立当初のアテネオ・アート・ギャラリーの様子、「A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene」展[撮影:Mark Salvatus]
画家、事業家、教育者と多様な顔をもつゾベルだが、蒐集家としてもフィリピンとスペインの抽象表現の発展に大きく寄与した。彼の近代美術コレクションは、1966年のスペイン・クエンカのスペイン抽象美術館(Museo de Arte Abstrato Español)の創設と1967年のアヤラ・ミュージアムの創設へとつながっていった。この記事でとりあげるアテネオ・アート・ギャラリーも、ゾベルの所蔵作品がアテネオ大学に寄贈されたことを機に、1960年に設立されたフィリピン近現代美術を専門とする美術館だ。1960年代半ばまでに200点以上の作品が寄贈され、その後も1981年まで作品購入のためのゾベル基金が設置、社会派リアリズムの作品を中心に新たな作品がコレクションされていった。
フィリピン・アート・ギャラリーとフィリピン芸術協会の功績
「A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene」展 会場風景[撮影:Mark Salvatus]
現在、同ギャラリーで開催中の「A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene(冒険的企てが生み出す相乗効果─戦後のアートシーン)」は、ゾベル寄贈作品を中心に構成され、ゾベルと交流のあった戦後マニラの美術家たちの作品を一挙に公開している。Ateneo Art Gallery(AAG)のディレクター兼チーフキュレーターのマリア・ビクトリア・ヘレラ(Maria Victoria Herrera)のキュレーションだ。
本展のタイトルは、フィリピン近現代美術の研究者アイリーン・レガスピ=ラミレス(Eileen Legaspi-Ramirez)のエッセイから引用されたものだ。このエッセイで筆者は、戦後フィリピンの近代美術が、ゾベルを含む三人の男性画家と建築家によって牽引されてきたという美術批評の定説を批判し、女性のオーガナイザー、プリータ・カラウ・レデスマ(Purita Kalaw-Ledesma)とリディア・ヴィリャヌエヴァ=アルギーリャ(Lydia Villanueva-Arguilla)の仕事を取り上げている★3。本展覧会はこのエッセイに呼応し、この二人の女性が運営を担っていたフィリピン・アート・ギャラリー(Philippine Art Gallery、以下PAG)とフィリピン芸術協会(Art Association of the Philippines、以下AAP)が中心となって、戦後フィリピンの画家たちの実験が支えられてきたという新たな視点から、近代美術のあゆみを紹介しようとするものだ。
Anita Magsaysay-Ho, Laughter (Undated), Egg tempera on wood, Collection of Purita Kalaw-Ledesma Family
「A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene」展
AAPは1948年の創設当初から美術のコンクール展(AAP: Annual Art Competition and Exhibition)を定期的に開催し、近代表現の社会的認知度の向上に貢献した。1950年創設のPAGはAAPが持ち得ていなかった機能──作品の展示販売と画家が集まる場──を提供し、「モダニスト」たちが議論を交わし互いの実験を支えあう場となった★4。ゾベルがマニラのモダニストの画家たちと出会ったのも、展示の機会を得たのもこのふたつのプラットホームを通してのことで、本展はこうした交流のなかで蒐集された作品を中心に構成されている★5。
タイトルに使われている「シナジー」とは、ある要素が他の要素と合わさる事によって単体で得られる以上の効果を生み出すこと。本展は、戦後のフィリピン・モダンアートを発展させる力となった、相互作用・相乗効果をテーマとするものだ。展覧会場の入り口に建てられたベニヤ板の仮設壁に象徴されるように、戦後の焼け野原から、さまざまな人の手によってアートシーンがつくり上げられていった様子が展覧会を通じて伝わってくる。
このベニヤ板の壁には一点の肖像画が展示されている。これは、フェルナンド・アモルソロ(Fernando Amorsolo)が描いた、10代の頃のゾベルの肖像画 (1945)で、本展出品作品のなかで唯一古典主義の傾向が見られる絵画だ。アモルソロはフィリピンの女性や田園風景などを理想化して描き、アメリカ植民地期のフィリピンで人気を博した画家だ。ゾベルの父・エンリケ(Enrique Zóbel de Ayala)はアモルソロのパトロンで、幼いゾベルはアモルソロからアートの基礎を学んだ★6。
ゾベルの1950年代の絵画作品、「A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene」展[撮影:Mark Salvatus]
「保守派とモダニストとの対立」という定説への問い
本展が取り上げている40年代後半から60年代はアモルソロのスタイルに習った「保守派」と、その後ゾベルの同志となる「モダニスト」の対立が激化した時代である。保守派とモダニストの確執は、AAP主催の定期コンクール展で顕著になっていく。アモルソロも審査員を務めた1948年初回のコンクール展を機に、両者の間で新聞や雑誌上で論争が繰り広げられるようになる。
1955年AAPコンペ展の審査に抗議したWalkoutの様子
[出典:Kalaw-Ledesma. The Struggle for Philippine Art, p.19]
こうした対立が激化したのが、1955年のAAP主催のコンクール展で起きた「Walkout(退場)」と呼ばれる出来事だ。審査の公平性に異議を唱えた保守派の会員たちが展示会場から自らの作品を撤去し、路上で再展示するという抗議行為だった。この象徴的な出来事によって、保守派とモダニストの決裂が美術史に定着することになったのだが、美術史家のパトリック・D・フローレス(Patrick D. Flores)は、こうした二項対立の構図を鵜呑みにすることは、二者の間にあった重なり合いや関係を看過し、当時のアーティストたちの実験に対する理解を単純化してしまうと警告している★7。アモルソロ作のゾベルの肖像画からも、美術史の主流ではあまり触れられることのない、モダニストと保守派の間の交流や相互の影響が想像させられる。例えば、近代的な作風で知られる画家・版画家のマニュエル・ロドリゲス・シニア(Manuel Rodriguez, Sr.)は保守派の画家たちと親交が深く「モダニスト」と呼ばれることを拒否していたというエピソードもある★8。
「A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene」展[撮影:Mark Salvatus]
美術批評家のアルフレッド・ローチェス(Alfredo Roces)は、モダニストの絵画作品を「明らかに風俗画だ。ろうそくの売り子などが描かれた、未だにアモルソロなのだ」と述べている★9。初期の頃のモダニストの絵画作品からは、保守派と同様にモダニストたちもフィリピンの光景からインスピレーションを得ていた様子が見て取れる。ローチェスはこう続ける。「相違点は、人物が『断片化』されていることだ」。モダニストの作品が保守派の作品と大きく異なるのは、これまで絵画に求められてきた「フィリピンらしさ」を裏切ろうとする、反発の意志がみてとれることだ。形と色の大胆な歪みのなかに、新たな時代の幕開けに対する希望と不安の複雑な絡み合いが映し出されている。
「ノン・オブジェクティブ・アート」と名付けられた抽象表現主義
こうしたモダニストたちの絵画表現に初めて名をつけたのが、詩人のオウレリオ・アルベロ(Aurelio Alvero、ペンネームMantaggul Asa)だ。PAGで1953年に自身が企画した展覧会「The First Exhibition of Non-Objective Art in Tagala」のカタログに寄せたエッセイ(1954)で、「ノン・オブジェクティブ・アート」と新しい傾向について記述している。「抽象」は、現実から得たモチーフを変形させ、表現主義的な色使いによる絵画表現を指し、「ノン・オブジェクティブ・アート」は、「オブジェの輪郭が取り除かれ、アーティストはその内部に深く入り込んでいき、主題は断片化され、認識可能な表現が完全に排除されている」と定義している★10。
「A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene」展 会場風景[撮影:Mark Salvatus]
本展では、こうした抽象実験を巡る議論を辿る構成になっているのだが、アルベロが「ノン・オブジェクティブ・アート」とよんだ抽象表現主義にゾベルが没入していった一方で、その他の現地の画家の大半はフィリピンの生活から得たモチーフの抽象化を探求し続けたことが分かる★11。戦後フィリピンのモダニストたちにとって、絵画表現の抽象化は、長年に渡って強要されてきた慣習や価値観から自分たちを解放し、独自の視点からフィリピンの現実を捉え直し、つくり直していこうとする試みだった★12。
レデスマとアルギーリャのポートレート、「A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene」展[撮影:Mark Salvatus]
そして、こうした画家たちの(ときにエリート主義として批判された)実験に伴走したのが、詩人や小説家、ジャーナリストやライターたちだった。絵画における実験を言葉に置き換え、新聞などの媒体を通して、一体何がフィリピン美術なのかという問題に取り組むことの重要性を社会に向けて発信したのだ。レデスマそしてアルギーリャが、ライターとしてもモダニストの表現を支えたことを述べておきたい。ジャーナリズムを学んだアルギーリャは、美術について自分がどんな風に書けるのかという好奇心から、美術の世界に入っていったと言われている★13。戦後ようやく独立を果たしたフィリピンでは、こうした個人の冒険精神と責任感が敏感に反応し合って、フィリピンの文脈に根付いたアートシーンが開花していった。
★1──もうひとつのゾベルに関連する展覧会はアヤラ・ミュージアムで2025年1月まで開催されている『Zóbel: The Future of the Past』。マドリッドのプラド美術館(Museo Nacional Del Prado)で2022年11月から2023年3月に開催された展覧会に新たな作品を追加し規模を拡大した巡回展である。本展は、この後再構成され、来年5月にナショナル・ギャラリー・シンガポールへと巡回する予定だ。
★2──Kalaw-Ledesma, Purita and Amadis Ma. Guerreo. The Struggle for Philippine Art, Vera-reyes, Inc., 1974, p.53
★3──Legaspi-Ramirez, Eileen. Art on the Back Burner: Gender as the Elephant in the Room of Southeast Asian Art History, Southeast of Now: Directions in Contemporary and Modern Art in Asia, Vol. 3, Number 1, March 2019, pp.25-48
★4──同上、pp.42-43参照。
★5──本展の出展作家は、Fernando Zóbelのほかに、Arturo Luz, Hernando Ocampo, Anita Magsaysay-Ho, Nena Saguil, and Vicente Manansala, José Joya, Romeo Tabuena, Lee Aguinaldo, Cesar Legaspi, Victor Oteyzaなど。
★6──Philippine Art Galleryウェブサイト参照。https://www.philippineartgallery.com/fernando-zobel.html
★7──Flores, Patrick D. “Temerities.” In Pananaw 7: Philippine Journal of Visual Arts. NCCA, 2010, pp.18-25
★8──Kalaw-Ledesma. The Struggle for Philippine Art, p.35
★9──上の記事のなかで引用されている。出典は、Reyes, Cid. Conversations on Philippine Art. Cultural Center of the Philippines. 1989. p.97
★10──Chikiamco, Clarissa. “Fernando Zóbel: The World of Abstraction, and the World Within”, National Gallery Singapore website, Dec 13, 2019参照。https://www.nationalgallery.sg/magazine/fernando-zobel-world-of-abstraction
★11──AAPの1958年コンクール展では、「Abstract」、「Non-objective」、「representational」というカテゴリーが導入されている。
★12──Kalaw-Ledesma. The Struggle for Philippine Art, p.35
★13──Legaspi-Ramirez, Eileen. Art on the Back Burner: Gender as the Elephant in the Room of Southeast Asian Art History参照。
A Synergy of Ventures: The Postwar Art Scene
会期:2024年9月15日(日)~2025年7月12日(土)
会場:Ateneo Art Gallery
住所:Soledad V Pangilinan Arts Wing, Areté,Ateneo de Manila University, Katipunan Avenue, Loyola Heights, Quezon City, Manila, Philippines 1108)
公式サイト:https://ateneoartgallery.com/exhibitions/a-synergy-of-ventures
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