9月にマニラ、10月には光州と釜山のビエンナーレを訪れた。マニラは実に17年ぶりで、公共交通機関はやや不便だが、カンボジアと同様、東南アジアで共通に使えるGrabアプリでタクシーに乗れるので便利である。
マニラとキリスト教
旧市街のイントラムロスに隣接するリサール公園の内部、あるいはまわりに古典主義の大きな建築をリノベーションした3つの国立博物館が集中しており、まとめてまわりやすい。いずれもリニューアルを経て、よく整理された展示になっており、そのデザインのクオリティも上がっている。しかも、部屋ごとに担当したキュレーターの名前を明記していた。もっとも、気になったのは、これ以外の施設も含めて、どれもフロアマップがないこと。かといって案内図を記したリーフレットもない。フィリピンの習慣なのかもしれないが、全体像をつかんでから、展示をめぐりにくいのには閉口した。
国立美術館で紹介されていたフィリピンの美術史の展開が興味深い。考えてみると、当たり前なのだが、16世紀にはスペインが植民地化したことによって、日本よりかなり早く西洋化し、キリスト教を導入しているので、それに伴い、宗教美術が発達しているからだ。日本でいう洋画である。したがって、1850年代に生まれたフアン・ルナやフェリックス・レサレクシオン・イダルゴなど、近代絵画の受容も、その延長に位置づけられるだろう。国民的画家になった二人による迫力のある巨大な絵画は、最初の部屋に飾られている。フアンはヨーロッパに留学し、スペインやパリで活躍もした。またヴィセンテ・S・マナンサラやホセ・P・アルカンタラらによる、モダニズム期の建築のために制作された啓蒙的な巨大壁画やレリーフも展示されている。「フォト・オレオ」の小企画展示は、19世紀末から20世紀半ばまでの絵画のような写真、すなわち肖像写真に対し、直接に筆で加筆した作品をとりあげていた。
フィリピン国立美術館[筆者撮影]
フアン・ルナの作品[筆者撮影]
左はヴィセンテ・S・マナンサラのレリーフ、右側に見えるのはホセ・P・アルカンタラの壁画[筆者撮影]
巨大壁画[筆者撮影]
ところで、国立美術館では、戦時下の絵画を集めた展示室、復元された上階の吹抜けにおける国家の歴史を描いた大壁画、慰安婦を題材にしたオブジェを制作し、国連の世界女性会議で展示された女性作家レノレ・RS・リムの部屋の三箇所で、日本兵の蛮行をモチーフにした作品に出会う。なお、この建物自体も、太平洋戦争時に大破し、それを復元した歴史を展示していた。また旧城壁内のイントラムロスにあるサンアグスティン教会の回廊では日本兵によって殺された信者の碑があり、これらを見ると、胸が痛む。またフィリピンにおける中国系の生活と文化に焦点をあてた菲華歴史博物館(ババチノイ)も、当初はゲットーに暮らしていたことを紹介しつつ、最後のハイライトは抗日運動のセクションだった。もちろん、スペインもアメリカもフィリピンを支配していたのだけど、20世紀の短い期間に日本兵がアジア各地に与えたインパクトが大きな負の記憶を残している。
サンアグスティン博物館[筆者撮影]
最初期は竹で建設されたらしいが、イントラムロスにはいくつか古い石造の教会が残っている。特にサンアグスティン教会の博物館や、イントラムロス博物館(サン・イグナシオ教会跡)では、キリスト教の美術と彫刻の充実した展示を鑑賞できる。プリミティブな表現から始まり、やがてフィリピンからヨーロッパに作家を送りだすようになったこと。そしてアカデミーをつくり、フアン・ルナのような画家が登場した背景がよくわかる。またミニチュア建築というべき教会の什器も興味深い。キリスト教の美術に関しては、日本よりも、フィリピンの方が圧倒的な歴史の厚みをもつ。実際、人口の90%以上が信者であり(日本はわずか1%)、いまも華やかに開催される宗教的な祝祭の写真も紹介していた。そして現代建築家の重要な作品も、公共建築ではなく、むしろ教会の方が目立つ。
イントラムロス博物館[筆者撮影]
祭りと重なった光州ビエンナーレ2024
昨年に続き、第15回の光州ビエンナーレ(2024/09/07-12/01)を鑑賞した。連続になったのは、コロナ禍で開催時期がズレていたからだろう。10月の一週目は、光州チュンジャン祭りのタイミングにぶつかり、街のあちこちがフェスティバル・モードで驚くほどに賑やかだった。大通りに仮設のステージが組まれ、21時くらいには終わるかと思ったら、なんと23時30分まで大音響が続く(終盤には松田聖子の歌「青い珊瑚礁」も流れていた)。ともあれ、旧全羅南道庁舎から大通りの自動車交通を止めて、群衆で埋め尽くされる風景は、この街にとって特別な意味をもつだろう。ここは、まさに光州の民主化運動が発生した現場であるからだ。
チュンジャン祭り[筆者撮影]
今回の光州ビエンナーレは、前回に増してスターアーティストはほとんど参加しておらず、知らない作家が多い。ただし、ディレクターは有名人のニコラ・ブリオーである。彼はテーマに韓国の伝統的な口唱芸能の「パンソリ」を掲げ、聴覚的な体験が鍵になるだけに、音響、振動、音楽を使う作品が目立ち、全体として抽象度が高い。サブ・タイトルは「パンソリ──21世紀のサウンド・スケープ」であり、メイン会場における3つのセクションは「フィードバック効果」、「ポリフォニー」、「原始音」と題しながら、人間と人間、複雑な世界、そして非人間の環境を探究する。ノエル・W・アンダーソン(Noel W. Anderson)、アンドリウス・アルチュニアン(Andrius Arutiunian)、ルーシー・レイヴン(Lucy Raven)、ハリソン・ピアース(Harrison Pearce)、ヤコブ・クスク・スティーンスン(Jakob Kudsk Steensen)、ブリアナ・レザーバリー(Brianna Leatherbury)、サーディア・ミルザ(Saadia Mirza)らの作品が印象に残った。なお、今回の作品キャプションが、QRコードになっているのはスマートだが、いちいちスマートフォンをかざすことになり、かえって煩わしい。ところで、うらやましいほどに巨大な展示空間をもつメイン会場は、休みなしにまわるのは大変なので、さすがに休憩できる場所としてカフェを途中に設けて欲しい。
ハリソン・ピアース《Valence》(2024)[筆者撮影]
街中に点在する各国のパビリオンは増えているようで、初めて日本館が登場した。山本浩貴のキュレーションによって、「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」というコンセプトのもと、街の中心部の二会場で内海昭子と山内光枝が出品していた。静謐で美しいインスタレーションであり、いずれも良かった。作品そのものは政治性を前面に押しだしているわけではないが、ステートメントに戦時期や植民地の言及もあるためなのか、やはり国ではなく(大使は来なかったらしい)、福岡アジア美術館による参加だった。
内海昭子《The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere》(2024)[筆者撮影]
5.18記念文化センターではアメリカが展示し、超巨大な複合施設である国立アジア文化殿堂(ACC)の一角では、東南アジアの各国が集合していた。フィリピン、シンガポール、ミャンマー、タイ、ベトナム、マレーシアに充分な広さが与えられ、それぞれに個性的な作品を紹介している。ちょうどACC未来賞2024の受賞記念展(2024/08/30-2025/02/16)も開催されていたので、立ち寄ったが、これが素晴らしかった。キム·アヨンによるCGとAIを駆使する未来都市ソウルと配達員の映像《デリバリーダンサーのアーク》(バイクの疾走シーンには「AKIRA」の影響も感じられた)とインスタレーションである。小さな展示室かと思いきや、驚くほどに巨大な空間が与えられ、それを見事に使い倒していた。調べてみると、2023年に彼女は韓国人として初めてプリ・アルス・エレクトロニカの「ニューアニメーション・アート」部門で最高賞を受賞している。これからの活躍に注目すべき作家だろう。
国立アジア文化殿堂(ACC)でのフィリピンの展示[筆者撮影]
ACC未来賞2024受賞記念展でのキム·アヨンの作品[筆者撮影]
なお、あまり知られていないが、レム・コールハースやドミニク・ペローなど、光州の街中には建築家による多数のフォリーが存在する。そこで釜山に向かう前にバスターミナルの近くにたつ、ロンドンのデイヴィッド・アジャイ展で知って以来、訪れたかった作品に足を運んだ。民主化運動で亡くなった学生を追悼する、光州川沿いの読書室である。下部はコンクリートだが、上部の木の造形は彼がヴェネツィア・ビエンナーレでも展開していたことを思いだした。
デイヴィッド・アジャイのフォリー[筆者撮影]
釜山ビエンナーレ2024
光州から釜山までバスで移動すると、3時間かかり、夕方に到着した。ゆえに、コープ・ヒンメルブラウが設計した《映画の殿堂》に向かうと、野外劇場の上のうねる大屋根で発光する映像がクリアに見える状態だった(前回の訪問時は昼間でよくわからなかった)。しかも有名な釜山国際映画祭を開催しており、もっとも盛り上がる時期である。ちなみに、映画の殿堂には、世界最長のキャンチレバーのギネス認定碑も設置されていた。10年以上前にコンペが行なわれた釜山駅近くのスノヘッタによるオペラハウスはまだ工事が止まったままのように見えた。もし釜山が2030年の万博の誘致に成功していれば、状況は変わっていたかもしれない。
コープ・ヒンメルブラウ《映画の殿堂》(2011)[筆者撮影]
翌朝、まず釜山ビエンナーレ(2024/08/17-10/20)のメイン会場となる乙淑島の現代美術館を訪れた。壁面緑化はパトリック・ブランによるものである。コロナ禍には地元の建築家によるパヴィリオン・プロジェクトも展開しており、その一部が屋外に残っていた。また吹き抜けのガラスや階段には、筆者が芸術監督をつとめたあいちトリエンナーレ2013に参加したダン・ペルジョヴスキが、簡単な英語とイラストによって社会を風刺する作品を描いている。屋外作品をアップサイクルした什器を用いるカフェにおいて現代美術館のディレクター、キム・ソンヨン氏に館の概要を説明してもらい、作品を案内していただいた。毎回のビエンナーレ・ディレクターは、オープン・コールで選ぶとのこと。したがって、光州とは対照的に、必ずしも有名人ではない美術史家フィリップ・ピロットとキュレーターのベラ・メイ、2名による共同芸術監督になっている。全体のテーマは、「暗闇のなかで見ること」であり、今年の光州ビエンナーレよりも直接的に体制を批判する作品が目立つ。なお、近年、会場デザインには建築家が入るようになったらしい。
釜山現代美術館[筆者撮影]
現代美術館では、直接、屋外から搬入できる吹き抜けの大空間を含む、地下から2階までの3フロアをほとんどがビエンナーレの会場として使われていた。ドクメンタ15で検閲されたインドネシアのコレクティブ、タリン・パディが最初に登場するほか、キム・キョンファ、ホン・ジンホン、アヨ・クレ・デュシャトレ(ayoh kré Duchâtelet)ように、多くの作品が社会的な事件、資本主義や植民地主義の批判などを主題とし、本展のキーワードである「啓蒙の海賊」たちが新しい共同体を求める。日本からは石川真生、寺内曜子、ミヤギフトシが出品していた。
タリン・パディの作品[筆者撮影]
街中の会場は釜山駅近くの3ヶ所なので、コンパクトにまわりやすい。光州ビエンナーレと同様、メイン会場以外は無料である。1960年代に建てられた草梁ハウスは、展示された作品もさることながら、クセの強い折衷モダニズムで建築が抜群におもしろい。また中村與資平が設計した《漢城1918(旧漢城銀行)》(1918)では、知らなかったユートピア建築を題材に用いたニカ・ドゥブロフスキーの作品があった。そして旧韓国銀行の地下、Vault Art Museumは、かつて金庫があったと思われるが、格子付きの部屋が続き、まるで牢屋のよう。ちなみに、旧韓国銀行の上部は、釜山近現代歴史館としてリノベーションされており、植民地時代、埋立地や交通の開発、観光、朝鮮戦争、4.19革命などを展示している。また1階はおしゃれなカフェ・ブサノ、歴史館の別館(1920年代の旧東洋拓殖会社)は雰囲気が良い図書スペースに改造されている。このすぐ近くが、映画にもなった国際市場だった。
草梁ハウス テラスに展示されているジョン・ユジンの作品[筆者撮影]
Vault Art Museum[筆者撮影]
歴史館別館(旧東洋拓殖会社)[筆者撮影]
今回、光州と釜山のビエンナーレを梯子したが、映画祭のほか、さまざまな小さいアートイベントも同時開催しており、明らかに相乗効果を狙っている。最終日は早朝に釜山空港を出て、14時から新国立劇場でオペラ「夢遊病の女」を鑑賞し、夕方から梓会出版文化賞の審査会に出席した。ということは、午後のオペラだけなら、釜山から日帰りも不可能ではない(夜の部だと、一泊が必要)。最近はロックフェスも海外からの観客が増えているが、日本のオペラやアート・イベントもそうしたインバウンドを呼び込むことをもっと意識すべきだろう。