全国有数の陶器の産地、岐阜県多治見市・土岐市・瑞浪市を舞台としたアートプロジェクト「ART in MINO 土から生える」が11月17日まで開催されている。その前身は、今から16年前の2008年に一度だけ開催された「art in mino’08 土から生える」だ。陶作家で「ギャルリ百草(ももぐさ)」主宰の安藤雅信と、名古屋造形大学で教鞭を執る高橋綾子を中心に、石井晴雄、遠藤利克、設楽知昭、鯉江良二、田中泯ら10人のアーティストが参加し、採土場や旧工場などでサイトスペシフィックなインスタレーションやパフォーマンスなどが展開された。そのプロジェクトが、次世代からの要望と協働のもとに新たな形で復活したのである。
安藤雅信「地・生」より[Photo: Kana Kurata]
陶芸と現代美術のジャンルを超え、「土」から生まれるアートに光を当てる
第1回は「国際陶磁器フェスティバル美濃’08」普及企画事業として、同フェスの専門委員を務めていた安藤と高橋を中心に「aim(art in mino)」という組織を結成して開催された。陶芸・やきもの、古道具、現代美術とジャンルを限定せず、より広く「造形」を捉えて作家に声をかけた。土を掘り、粘土にして成形し、焼成、流通するという、土から生み出すプロセスが伝わる場所を選び、そこでしかできない作品が展開されたのだった。
内田鋼一《クレの小屋》、「art in mino’08 土から生える」[Photo: Ko Yamada]
今回の第二弾は、多治見市でやきもの、ファッション、アートなどを発信する「地想」店主でイベント企画なども行なう水野雅文(図濃代表)が発起人になり、安藤に「一緒に文化を灯していきたい。『土から生える』をまたやってほしい」と提案。「土から生える実行委員会」を新たに設立し、一般社団法人セラミックバレー協議会とともに主催として、水野が委員長を務めることとなった。民間主導で多治見市、瑞浪市、土岐市の後援を受けて実現に至った。水野は「土から生える」の開催をあとから知り、一度きりで終わってしまったことを残念に思っていた。今回は、安藤が芸術監督を務めるとともに作家としても展示に参加し、高橋は監修として企画全体に参画した。16年前に参加した設楽、鯉江、坂田は亡くなり、すでに解体された会場もある。今やらなければさらに失うものがある。今回も伊藤慶二、内田鋼一、坂田和實(2008年から残っていた作品を展示)、藤本由紀夫、森北伸が参加。新しく安藤正子、上野雄次、桑田卓郎、小島久弥、迎英里子、沓沢佐知子、パフォーマンスにダンサーのアオイヤマダが加わった。
筆者は10月19日のプレスツアーに参加した。本稿では、多治見駅から出発して土岐市から回り、多治見に帰ってくるルートで展示を紹介する。
16年前の記憶を受け継ぎ、更新する作家たち
まずは土岐市の下石(おろし)地区へ。現在も70余りの窯元が在籍する下石工業組合の、今は稼働していない釉薬工場を訪ねた。ここでは、1935年土岐市生まれの陶芸家・伊藤慶二と2022年に没した「古道具坂田」店主・坂田和實の作品を展示。16年前に坂田が制作したインスタレーションが奇跡的にそのまま残る。当時、坂田は残っていた備品などを2階の釉薬原料置き場に配置し、「あるべき空間に配置し、あるべき光を与えれば、ものは美しさを発揮する」という言葉を残した。この精神は今回の展覧会にも受け継がれている。また、前回は鯉江良二(2020年没)が展示した1階で、陶芸家・伊藤慶二が展示。伊藤は、陶芸・絵画・オブジェ・インスタレーションと自由な作風で広く敬愛される作家だ。トロミル(釉薬を製造するタンク)が並び、貯蔵瓶の底にかつて製造された釉薬の塊が見える。工場に残っていた道具に彫刻などを組み合わせたインスタレーションには、鯉江へのオマージュのような作品も。保存された記憶が動き出したような空間だ。
坂田和實 旧釉薬工場 原料置場(2008) 下石陶磁器工業協同組合(以下、下石工組) 旧釉薬工場
伊藤慶二インスタレーション風景 下石工組 旧釉薬工場
伊藤慶二《インスタレーション》 陶、木
次に瑞浪市の「中島醸造」へ。「瑞穂が浪打つ」という由来通り米作りに適した土地で、滑らかな湧水を活かして1702年に酒造りを始めた「中島醸造」。沓沢佐知子は、酒の醸造に必要な菌や微生物に注目し、瑞浪の原土で《あ》《うん》という2体の精霊のような作品を制作した。三重県の自然豊かな地で暮らす彼女はヤギも飼っているそうで、杉玉に覆われた《うん》はヤギのようでもある。また別の空間で、安藤雅信+森北伸が初源的な感覚と遊び心でコラボレーションを展開。会期中にもセッションが続きそうだ。
沓沢佐知子《あ》 原土、竹、籾殻、セメント(下地)、草
安藤雅信+森北伸《生田Session-泥あそび-》
中島醸造の庭。江戸時代には桶職人が住み込みで働いていたという。
次に瑞浪市民公園内にある旧地球回廊 軍需工場跡へ。第二次世界大戦中に川崎航空機製作所の疎開工場として掘られ、未完成のまま終戦。1993年~2021年には「地球を考える」をテーマとした博物館「地球回廊」であった。巨大地下壕は捕虜や強制連行された朝鮮人と中国人の労働者によって掘られ、山の上に慰霊碑が建てられている。鍾乳洞のような長い回廊を進むと、迎英里子のインスタレーション《アプローチ 4.2》に出くわす。「掘る」行為をテーマとして、実際にツルハシを振るったパフォーマンス映像も。また別の回廊では、土を盛って竹を移植した花道家・アーティスト上野雄次によるダイナミックな作品《黒い庭》が闇に浮かび上がる。負の歴史、鎮魂とさまざまな思いが去来する。10月20日夕刻には、ダンサーのアオイヤマダと上野雄次、パーカッション奏者のスティーブエトウとプロジェクションマッピングのKzOによる即興のライブパフォーマンスが行なわれた。その様子も回廊内で投影されている。
迎英里子《アプローチ 4.2》ビニール、綿、ツルハシ、木材、単管、スリングほか
上野雄次《黒い庭》
上野雄次《黒い庭》の展示場で行なわれたパフォーマンス「土から生える」のアオイヤマダ[© ITO]
再び土岐市に戻り、県道から10分ほど山道を歩くと小山冨士夫邸が見えてきた。東洋陶磁の研究者だった小山が作陶三昧の日々を過ごした晩年の住処だ。内田鋼一はさまざまな場所で採取し、固め、焼成した土の作品を小山の作業場に設置した。庭のハナノキにちなむ「花の木窯」は、種子島焼を焼成するために小山が制作した蛇窯(山の起伏に合わせた窯)だ。種子島の土を入手し、10月25~26日には内田鋼一による種子島焼の窯焚きも実施した。また、前回も参加した藤本由紀夫は今回もタイルを敷き詰め、川のせせらぎとともに、人々が歩いてタイルが割れる音を楽しむインスタレーションを制作。一層目は前回の破片が当時のまま残っており、その上に都市ゴミ由来の溶融スラグタイルを敷き詰めた。また、陶皿に置いた2つのオルゴールが音を奏でる作品も。同じ曲の18本の櫛目の奇数櫛目と偶数櫛目を曲げることで1曲が2分割され、無数の組み合わせで1曲を奏でる。ほかに伊藤慶二のうすといろりの作品も味わい深い。
内田鋼一《Untitled》土、陶
藤本由紀夫《BROOM TILE-KOYAMA HOUSE-2024》溶融スラグタイル
多治見市に戻り、高田地区の「高田窯場跡」へ。ここは魚網を海に沈めるためのおもり「沈子」を生産していたが、工場主の病死で突然閉鎖された窯場だ。その制作途中の状況が残る跡地で、陶芸家・桑田卓郎がインスタレーションを展開。桑田は、うどんを捏ねる機械で釉薬を混ぜた経験から陶芸用具と調理用具の類似性に気づき、近年では展示と併せて手打ちうどんをふるまうパフォーマンスも行なっている。今回は、窯場の再生も目指して空間全体のタイトルを《窯上げうどん》とした。また、別棟の工場跡では小島久弥が、すでに生えていた蔦を活かして自然と人工、虚と実、内と外、生と死を想起させるインスタレーションを展開。室内の窓をスクリーンとして、窓の外の景色をリアルタイムで映し出す仕掛けも施している。
桑田卓郎《窯上げうどん》
小島久弥《流れ/現在 current》
最後に、多治見市の郊外で安藤雅信が主宰する「ギャルリ百草と百草の森」へ。名古屋市鳴海から数寄屋風古民家を譲り受け、多治見市に移築。1998年の開廊以来、さまざまなアーティストを紹介してきたが、自身の展示は控えていた。そんな安藤が1室ずつ「始原」「禊」「還る」「地・生」「育み」「潜む」「活きる」として初展示。「土から生える」プロジェクトのストーリーともいえるインスタレーションを7室で展開している。粘土場で拾い集めた珪化木(化石化した木)や石などが、人類が現われる前からの生命の循環を思わせる。また、瀬戸市を拠点とする画家の安藤正子が、絵画と小さな陶器の数々をしつらえた。庭の「百草の森」には、森北伸《路傍の房》がたたずむ。内田鋼一は、前回の後朽ちてしまった《クレの小屋》をもとに、地の土を練り、版築工法で《土層の小屋》を制作中。「百草」に行き渡る生活工芸の美に浸りながらツアーを終えた。
安藤雅信「地・生」より[© Kana Kurata]
安藤正子《キャロットジュース》木製パネルに雲肌麻紙、水彩絵具、アクリル絵具、日本画顔料、水彩色鉛筆、鉛筆、墨、パステル
安藤正子《ニューノーマル》陶土、釉薬
森北伸《路傍の房》
安藤の「水に関連した作品を」というリクエストに応えたという。
その物があるべき場や空間を作り、美が生まれ、人を寄せる
改めて「土から生える」プロジェクトの背景を振り返りながら、16年前と現在の違いについて考えてみたい。まず、武蔵野美術大学で彫刻を学んだ安藤が、故郷の美濃を拠点に「土から生える」プロジェクトを立ち上げた経緯をたどる。「子どもの頃は、やきもののために土を採ることで山が削られ、川が白く濁るのを見て、やきものの産地である故郷をネガティブに捉えていた」という安藤。高校に赴任してきた美術の先生が採土場の絵を描き、それが美しかったことから美濃をポジティブに転換することを考えるようになったという。
左:安藤雅信氏 右:高綾綾子氏
時が経ち、2000年には英国で発電所跡を再生したテート・モダンが開館。片や美濃では「国際陶磁器フェスティバル」が始まり、大規模な期間限定のコンクールは時代や土地に合っていないと考えていた。そこで専門委員を頼まれた際、キュレーターの高橋にも声をかけ、空き工場などを使った展覧会を企画。パブリックアートや野外彫刻を研究していた岐阜市出身の高橋も「訪れた人がコンクール会場だけを見るのではなく、街を歩いてほしい。街の人も地域資源・文化資源として自分の街に誇りを持てるように」と思っていた。こうして2008年、「国際陶磁器フェスティバル」の普及事業として「art in mino ’08土から生える」が実現した。
なぜサイトスペシフィックな展覧会にしたのか、安藤は語る。「日本の工芸は、西洋のアカデミズムや現代美術に対するコンプレックスの裏返しとしての自己表現、そのための超絶技巧が明治以降続いていると思います。サイトスペシフィックな制作ではそこが引き算になりますし、鑑賞者には“場”の魅力に気づいてもらいたかった。僕はそこで柳宗悦が言った“麁相の美”、慎ましく質素なものに豊かさを感じる侘の方向に持っていきたい。そのために16年前、坂田和實さんに参加していただきました」。
「物を作るのではなく選ぶことに美があると、マルセル・デュシャンがひとつの答えを出しているし、いわゆる後期印象派以降の西洋美術、浮世絵などの日本文化に影響を受けたものが現代美術のもとにあると考えています。セザンヌが絵画で探求した余白も、利休がそれ以前にやっている。その系譜に坂田がいると思います。神が万物の創造主である西洋のキリスト教文化では物を作ることに意義を求めますが、日本文化はものを作る送り手の文化ではなく、受け手の文化。利休も柳も坂田もものを作らない。物をどう使うかによってその場や空間を作り、そこに美が生まれる。日本人はそこにものの哀れを感じ、どう人を寄せるかということで文化を育んできたと思います。近年は西洋でもこうしたアジア文化への理解が深まりつつあるので、その先を創りたいんです」。安藤の思いは今回のステイトメントや造形を通じて表現されている。作家もミッションを理解し、それぞれのアプローチで「土」と向き合った。
藤本由紀夫作品の制作風景。左から2番目が安藤雅信氏、その隣が高橋綾子氏[© Kana Kurata]
その運営においても、外からできあがったプロジェクトを移入するのではなく、自分たちの街にかつてあったプロジェクトを次世代が掘り起こしたといえる。実行委員長の水野は「若い人たちと上の世代を我々30~40代が繋いで、20代から60代までのメンバーが一緒になって活動してきました。安藤さんがよく“文化の灯をともす”と言うんですけど、世代を超えて灯りつつある」と語る。会場探しと作家選びは安藤と高橋が進め、会場の許可申請は水野が行なった。「使われていない施設を活かそうと思うと、必要な条件を揃えるなど大変な面もありましたが、皆さん驚くほど前向きでした」(水野)。
今回の「土から生える2024」発起人の水野雅文。多治見の新町ビルで、地元作家を含む全国からセレクトした陶芸、ファッションなどの店「地想」を営む。
現代美術に触れる機会が少ない街ではあるが、アーティストの制作補助や会場受付など運営に参加する若者も多くいた。坂田は「美は見る人の側にある」いう言葉も残しているが、プロジェクト現場での体験を通じて「見る」行為を深めているように感じる。物が大量に残る会場の清掃は重労働だが、「その場所の記憶に気づき、特に坂田さんの作品が学びになった」という者もいた。もともと陶芸の産地として、作家はもとよりその周辺で関わる人が多くいる。環境が良くならないと自分自身にも還ってこないという意識があるという。以前、若者から「仕事があれば地元に残る」と聞き、25年前、安藤が使わなくなった倉庫に工房を作って貸し出し始めた。以来、若手のうちはシェア工房を借りながら活動し、軌道に乗ったら自分の工房を構えるのが通例になった。加えて多治見では近年、若い陶芸家を中心に移住の動きがある。産地にありがちな流派の厳しい縛りがなく外から来た人にもオープンなのだそうだ。
「土から生える」は、今後も方向性が変わるような拡大はせず、どんな形でも3年に1回続けていきたいという。「震災やパンデミックなどがきっかけになり、立ち止まって自分の根っこを見つめる、世代関係なく語れるのが今なのかもしれない」と高橋は言う。坂田和實作品や小山冨士夫邸の保存、作家の滞在制作や窯を使える環境など、1、2年かけてオープンに議論しながら、行政も含め、みんなで参加していくプロジェクトを目指していく。
小山冨士夫の工房と蛇窯(右)
実際に多治見の街を歩くと、ジャズライブや酒器コンペを行なう老舗酒店、理容室をリノベーションしたカレー店など、ものづくりを基盤として人と人をつなぐ拠点が複数あることも実感された。ぜひ「土から生える」を見届けて、今後の行方にも注目してほしい。
ART in MINO 土から生える
会期:2024年10月18日(金)~11月17日(日)
会場:岐阜県多治見市、土岐市、瑞浪市各所
公式サイト:https://art-in-mino.jp/