訳者:岩崎晋也

発行所:早川書房
発行日:2024/7/1

前編から続く)

本書における「人間以外の知性」は主に科学技術によって明らかにされていく。ブライドルは序章「人間を超えて」で、アーシュラ・K・ル・グィンの「科学技術は、物質界とのアクティブ・インターフェースだ」という発言を引き、本書における科学技術の幅を極めて広く捉えていく──「火や衣服、車輪、ナイフ、時計、コンバイン収穫機など」。それはほとんど、人工物の創出行為としてのデザイン──その起源を石器時代の打製の矢じりに置くような──に近い。デザイン・フィクションと呼ばれる、未来洞察型のデザイン研究に関して理論化を試みたサイモン・グランドはかつて、今日において科学研究とデザインはともに「実験を通じた具体化によって、独自の世界の把握法を提示する」ものであり、共鳴関係にあるのだと述べた。この「独自の世界の把握法」とは、本書における知性とほとんど同義のように受け取れる。関係性のなかに漫然と知性が浮かび上がるわけではなく、そこでは何か具体的なアクションが必要であり、その結果に対する応答の連続が知性として編まれていく。本書のタイトルが『WAYS OF BEING 人間以外の知性』であるように、知性と存在を紐づけるものとして、科学技術やデザイン、アート、その他すべての技芸テクネー/アルスが位置付けられる。無論、それが人間の特権というわけではない。むしろ、人間以外のあらゆるものにとっても、その存在と知性を紐づけるテクネーやアルスがあるはずだ、ということなのだろう。

科学技術と自然が響きあう特徴的な事例を見てみよう。ブライドルは第五章「見知らぬ人に話しかける」において、現代の象徴とも言うべきコンピューティング技術が「クラウド」と呼ばれていることの示唆性に着目する。すなわち、誰もその全容を把握できない巨大で不透明な気象現象としてそれを捉えることは、透明性や制御可能性を追求するための科学技術という従来の価値観を抜本的に転換する可能性を秘めている、というわけだ。ここで私は、同じくニューマテリアリズムに近接した人類学者のティム・インゴルドを思い出す。インゴルドは「ライン」という概念を導入することで自然現象から人間の営為までを連続的に語る。そして、無数のラインを描き、繋がり続けるプロセスとして、生命やそれらの関係性を捉えていく。なかでもインゴルドは著書『ライフ・オブ・ラインズ──線の生態人類学』において、「大気」と「雰囲気」の二つの意味を持つ“atmosphere”に着目することで、物質と情動がリンクした世界観を描き出した。大気があたたまり、膨張し、気球を上昇させ、人々の視界を一変させる。そこでは、大気の動きのラインと人々の情動のラインが絡まり合っている。人工的なデータと処理機構の塊はクラウドと名付けられることによって大気へと溶け、人間を取り巻き、ときとして通過する媒質となる。ここにおいてクラウドは真の意味で知性となる。すなわち、世界を巡る関係性とともに揺らぎ、流動する現象となるのだ。もともと“intelligence”は「inter(〜の間)」と「legere(選ぶ、拾い読む)」から成る。しかし、バラードが「相互作用(inter-action)」ではなく「内部作用(intra-action)」を用いるように、本書における知性とはいわば、“intra-legere”、密接に構築されたつながりの内部においてはたらき、その時々において何かを選び出すものとしてある。

このように、ブライドルの関心自体がまさしくクラウドのごとく本書全体を覆い尽くしている。それは、ギリシャのイピロスでひたすらに石油を採掘する人工知能に始まり、パズルを解けないテナガザル、繰り返し落下させられるオジギソウ、47,000本のアメリカヤマナラシの木々、マルセル・デュシャンの「大ガラス」、第二次大戦中イギリス軍のレーダーに映り込む実体のない天使たち、信じられない解像度を持った衛星写真、異形の言語で書かれたプログラミング、イルカ大使館、神託機械、地球表面の半分を占める自然保護区、金属を収穫可能な畑などである。ここからわかるとおり、本書はブライドルの主張を丹念に体系化していくものではない。本書中で「歴史的に、科学の進歩は自然界の分類のための還元主義的な枠組み(中略)で測られてきた。(中略)わたしたちはこのイメージに沿って、0と1による二進法という計算方法にいたるまで、科学技術を組み立ててきた。それにもかかわらず、そうした抽象化のより完全な遂行を繰りかえし、生命の構造そのものにより深く分け入ろうとすればするほど、区分はより曖昧になり、瓦解してしまう」(148頁)と述べるように、ブライドルは概念的な切断によって単一の知に収斂していくこと自体から逃れようとしている。本書がある種、とりとめのない事例集のようにも見えるのはそのためであろう。こうした主張の提示の仕方は一見、緩慢で説得力に乏しいようにも感じられる。しかし危うさを承知でなぞらえるならそれは、電気信号の交換による脳神経系的な「理解」のモデルから、ホルモンをはじめとする内分泌系的な「気分」のモデルへの転換に近いように思える。非人間的なるものたちの声を留めた無数の事例たちは、エコーとなって響き渡る。それは音として、意味としての理解を求めるものではない。それは、入り組んだリズムとして私たちへ浸潤し、その身体と情動を捉える。本書を読むことそのものが、ブライドルが述べるような、関係性に向けて個をひらいていくためのレッスンとして機能しているのだ。

★──Grand, S., and Wiedmer, M. (2010) “Design Fiction: A Method Toolbox for Design Research in a Complex World”, in Durling, D., Bousbaci, R., Chen, L, Gauthier, P., Poldma, T., Roworth-Stokes, S. and Stolterman, E (eds.), Design and Complexity – DRS International Conference 2010, 7-9 July, Montreal, Canada. https://dl.designresearchsociety.org/drs-conference-papers/drs2010/researchpapers/47

執筆日:2024/10/31(木)