会期:2024/10/04〜2024/10/14
会場:アトリエ春風舎[東京都]
公式サイト:https://engekioffton.studio.site/


クレオン:分かりあえるはずだよ。同じ人間なんだから。
姉:私は、あなたとは違う。
クレオン:同じって、あなたが言ったのよ。

あなたと私は同じ人間である。あなたと私は違う人間である。2016年の初演以来の改訂再演となったお布団の傑作にして代表作『アンティゴネアノニマス‐サブスタンス/浄化する帝国』(原案:ベルトルト・ブレヒト「アンティゴネ」、作・演出:得地弘基/以下、『サブスタンス』)はそれぞれに正しいこの二つの真理をめぐる物語である、とひとまずは言うことができるだろう。

冒頭、「これまでのあらすじ」として「アンティゴネ」の物語の前段にあたる「オイディプス」のあらすじが、続いて「アンティゴネ」のあらすじが語られる。それらが終わるとすぐさま二人の姉妹(姉:新田佑梨、妹:緒沢麻友[Aキャスト]/立蔵葉子[Bキャスト])のもとにひとりの兵士(瀧腰教寛)がやってくる場面がはじまるのだが、これは作中でも触れられるように、ブレヒトが「アンティゴネ」の改作にあたって付け加えた「序景」をもとにしたものである。もともとの「序景」で描かれていたのはドイツ人姉妹のもとをナチスの兵士が訪れる1945年の春のベルリンの風景だ。だが、『サブスタンス』のナレーター(大関愛)は「ここは、1945年4月のベルリンではありません」と言う。神話の時代の国でもドイツの劇場でも古代ギリシャの野外劇場でもなく「だから、これは『別の話』」なのだと。舞台は「仮に、遥か未来」の「3024年」に置かれ、「争いあう二つの国の名」はアルゴスとテーバイとされる(それはオリジナルの「アンティゴネ」の舞台となった二つの国の名でもある)。そこから物語ははじまる。

[撮影:大橋絵莉花]

アルゴス。戦場となったどこかの街。戦闘は前日の夜に突如としてはじまった。シェルターへと逃げ込んでいた姉妹が外へ出てみると、隣家が燃えているのが見える。自分たちの家は焼け残った。家の外からは喚き声が聞こえてくるが、聞かなかったことにする。やがて姉妹は、徴兵され戦地へと赴いたはずの兄の服や持ち物がいつの間にか家の中に置かれていたことに気づく。兄が帰ってきたのだろうか? 戦場から逃げ出して? そのとき、再び家の外から聞こえてくる喚き声。恐る恐る扉を開けた姉妹が目にしたのは無惨な姿となって吊るされた兄のものらしき遺体だった。そこにやってきたアルゴスの兵士に遺体となった逃亡兵との関係を問われ、姉妹は選択を迫られる。正直に答えるべきか、それとも──。

アルゴスとテーバイ。家の内外。姉妹とその兄。兵士と逃亡兵。そして姉と妹。「同じ人間」であるはずの人々を分かちゆく無数の線。これはある時代、ある場所に固有の出来事ではない。それはいつ、どこで起きてもおかしくない。古代ギリシャから1945年のベルリンへ、そして3024年の未来へと置き換えられる舞台はそのことを端的に示している。『サブスタンス』はさらに、そこにある無数の可能性を、そこで引かれる線の恣意性を示すかのように、同じ場面の異なるバージョンを提示していく。テーバイ兵が現われアルゴス兵を殺してしまう可能性(しかし姉妹は助からないだろう)。アルゴス兵が姉妹を殺してしまう可能性。テーバイでそれが起きる可能性。あるいはすでに隣家の姉妹に同じ出来事が起きていた可能性。姉妹が家から出なかった可能性。兄が兵士を返り討ちにする可能性。そしてまた別の兵士が姉妹を殺す可能性。

[撮影:大橋絵莉花]

あなたと私は/テーバイの民とアルゴスの民は/逃亡兵と兵士は同じ人間である。だから、もとよりそこに線が引かれるべき理由などないはずだ。しかし、劇場でこれらの惨劇を目撃する観客もまた、舞台と客席との、あるいはフィクションと現実との間に一線を引いている。「助けてと、言っても助けてくれないことは分かっていました。姉妹であるわたしたちは存在していません。現実に兵士に殺されようとしている『わたし』としては。存在していないので、助けて! とこうやって叫ぶこともできるし、存在していないので、あなたたちは助けないことができます。むろん存在していたとしても、あなたたちは助けないことができます。ですが、存在していない、というのはどういうことなのでしょうか」。私がそこに線を引く根拠は何か。

[撮影:大橋絵莉花]

一方、「あなたと私は同じ人間である」というきわめて倫理的と思える立場の表明の背後には固有性の消去という罠が、地獄への門が口を広げている。繰り返される「誰だ」という問いに対する答えはこうだ。「誰でもいいのでは?」。アノニマスな、名前をもたない人々の群れ。やがてテーバイの王クレオンは生命を侵食する「呪い」に対抗するため、生と死との間に引かれた一線をも消去し、「まっさらで、清潔な歴史の上で、みんなが平和に暮らせる世界」を打ち立てようとするだろう。

だが、そんなユートピア=ディストピアは本当に可能なのだろうか? 『サブスタンス』は排除されたオイディプスの呪いが回帰することを示唆する場面で幕を閉じる。思えばこの舞台は、観客が目の前で目撃することになる悲劇のその前段となる歴史を提示することからはじまっていたのだった。線はすでに無数に引かれてしまった。そんな世界で、あなたと私が違う人間であることを引き受けながら、それでも、あなたと私が同じ人間であることを受け入れること。それはどうしたら可能だろうか。

[撮影:大橋絵莉花]

永瀬泰生によるポリゴンめいた衣装は生身の俳優が演じる登場人物にあからさまな非現実の雰囲気を纏わせ、櫻内憧海の音響・照明は舞台上に立ち上がる世界にゲームのそれのような「虚構らしさ」を付与し、それらは観客に自らの現実と舞台上の虚構との間に一線を引かせるのに大きな役割を果たしていた。俳優と合わせて二人にも改めて拍手を送りたい。

3月にはお布団の新作として『マクベス(仮)』が予定されている。

鑑賞日:2024/10/09(水)