会期:2024/11/1~2025/11/22
会場:CASHI[東京都]
公式サイト:http://cashi.jp/lang/ja/exhibition/3142.html
浅草橋のCASHIで、百頭たけしと本多周による「幽界通信」が開催された。ギャラリーには百頭の写真10点と布にプリントされた1点、本多の絵画4点が出品されていた。
百頭たけしの写真にはたくさんのものが写っている。人によって配置されたり集積されたりした物品が、風なり湿気なりによって互いに馴染み合った状態がしばしば撮影されている。たとえばこの写真。中心の御神体のようなものにまず目が行くが、地面に落ちた小枝や枯れ草の一つひとつが強い光源によって捉えられ、つぶさに見える。
このような場所に実際に行くと、初めは物珍しさからいくらか写真を撮るものの、しばらくするとたくさんの情報を捉えることに疲れ、もう写真は撮らないでよいような気持ちになる。そのときに見ることを諦めた一つひとつが、百頭たけしの写真には写っている。そして人の目が諦めるものを捉えることが写真の得意とするところだったと思い起こされ、写真の機能を伝える写真論的写真としての強度があるために、この画面に惹かれるのだと気づく。物珍しいものが写りながら、被写体の魅力に拮抗する写真の要素が彼の写真には充満している。
場所に対して、いちいち見なくていいと判断をくだすことと、カメラにそれらを捉える力があることはまったく別のことなのだが、日常において見ることと撮ることは重なり合っている。多摩川にあざらしが現われたら、自然とスマホのカメラを向けてしまう。そこでは、見る価値があるものを見ようとし、再び見るため、あるいは他の人にも見てもらうためにカメラを向けるという、見ることと撮ることのすり替えが起こっている。しかし、百頭があらかじめGoogleマップで撮影場所を決めてからカメラを持って現地を訪れるという方法を取っていたように★、見ることと撮ることを切り分けることで撮影行為の抽出は可能となる。彼が撮影する煩雑な場所は、人によって持ち込まれたもの、風によって転がったものといった人為と自然が入り乱れた状況の具現化でもあり、撮る行為の前景化によって、ものともの、ものと人との関係性が広くフレーミングされている。
1990年代後半から2010年代にかけて、インターネットユーザーは行くことができない場所を画像によって共有してきた。動画のアップロードが容易になった2020年代にかけては映像を通じて、またGoogleストリートビューにおいて写真の複合空間をマウスで探索するといった方法で、未知の場所を知る手段は発展を遂げてきた。現在ほどには参照可能な写真の数が少なかった2000年代は、有志によって示された廃墟写真やB級スポットと呼ばれる「遠い」場所がインターネットを介して見られていた時期である。そうした写真は不法侵入の証拠写真という、今まさに法を犯している犯罪記録そのものであったり、奇特な人物が一人で訪れたルポルタージュであったりするという理由で、たいていの場合無人の風景写真だった。
それらには個々の魅力があると同時に、その場所に訪れた興奮を伝える体験記録としての視点が反映された一人称の雰囲気がある。一方で百頭の写真には、被写体に対する撮り手のテンションに左右されない均質性が感じられる。
構図に反応している点も、被写体偏重ではない写真らしさが感じられる理由だろう。たとえばパンと死んだ魚がグリッド状になって水に浮かぶ様子は、モチーフが魅力的なために寄って撮ってもそれなりの画になると思われる。しかし、引いたフレーミングによってベージュのブロックがいくつも並び、そのことによる画面構成の美しさに反応しているように見える。
たくさんのものを写す、美しいと感じられた構図で撮るという普遍的な方法による百頭の写真が稀有に感じられるのは、それが見る誘惑の多い場所で実行されているためでもあるだろう。彼のスタイルは、ルイス・ブニュエルが『砂漠のシモン』で描いた登塔者・シメオンを彷彿させる。6年にわたって荒野で悪魔の誘惑を断ち続けた求道者はディスコに連れ出され、刺激の多い場所で禁欲を迫られる。禁欲性は「百頭」という名前の由来ともなった、彼がたびたび言及する仏教の精神性にも通じる。
百頭たけしの写真[筆者撮影]
本展は本多周の絵画と、百頭の写真を組み合わせた二人展である。本多の作品はモチーフの配置によって空間を感じさせるものが多く選ばれている。百頭の写真と比較すると、モチーフそのものは巨大だが、複数のものとものとの関係性によって空間を描写するという方法が百頭の写真と同じであるために、両者の作品が調和して感じられる。たとえば、重なり合う葉、の奥にある狸の角膜、耳、その奥の葉、満月と、手前と奥を構成するレイヤーの重なりが丁寧に設計され、距離と空間が感じられる。化粧台の作品では、鏡を用いた画面外の空間描写が試されていた。枯れた葉の様子や畳の目地といった細やかな描写によっても、絵画空間の情報を受け取ることができる。
自然、人工に限らず光を強く取り入れているのも百頭の写真の特徴だが、本多の絵画もまた明るさと暗さが同居する画面によって、光の印象を強く感じる。夜にもかかわらず明るい狸は照明を受けているようで、その世界観に魅了される。本展は「幽界」という世界の区切り方を通じて、写真や絵画における時空間を顕現させる試みに立ち会うような機会だった。
鑑賞日:2024/11/8(金)
★──2023年の個展「と-れん」の展覧会紹介に、Googleマップを用いた撮影方法が示されている。
「百頭の制作プロセスは、グーグルマップの航空写真モードで主に関東の郊外などを眺め、気になる地点をズームアップ、ストリートビュー画像などから期待する場所が見つかればピンを打ち、その後現地を訪れカメラで切り取っていく」
https://token-artcenter.com/archive/26_hyakutou