翻訳:牧尾晴喜
発行日:2024/11/20
発行所:ビー・エヌ・エヌ
公式サイト:https://bnn.co.jp/products/9784802512473

もしあなたがデザインに関心をもっていたり、何らかの立場で関わっているならば、シルビオ・ルロッソによる著作『デザインにできないこと』で展開される議論は、耳の痛い話ばかりだろう。デザイナー、アーティストであり、ポルトガルのルソフォナ大学で教鞭も執る著者は同書において★1、デザインを取り巻く美辞麗句を取り払い、その観念化にも距離感を表明し、デザインの「自律性」に再考を迫っている。

ここ数十年のコンピューターやアプリケーション、デジタルファブリケーションの普及は、モダニティとともに歩みを進めてきたデザインの技法を一般化させ、メディアや社会の変化は、デザイナーの職能に変容をもたらした。いまでは「誰もがデザイナー」「すべてのものがデザイン」という合い言葉のもとに、デザインはあらゆる問題を解決するメソッドとして社会のすみずみまで浸透している。著者が「デザイン・パニズム」(汎デザイン主義)と呼び批判するのは、そうした状況そのものである。デザインには大きな期待が寄せられつつも、ツールの普及と拡大した解釈は、これまで積み重ねられてきたデザインの専門知の価値を相対化してしまった。同書の内容は主に海外のデザイン言説を検証したものではあるが、こうした現状は日本もある程度同様であり★2、だからこそ原書の刊行からおよそ1年半という早いタイミングで翻訳された意義は大きい。

同書はまず現代のデザイナーたちを「『中間層』に位置する存在であり、自分たちが置かれている文化的、経済的状況を考慮せずに自らの立場を完全に理解することはできない」★3ものとして定位し、そのことによって生じるフラストレーションについて触れていく。そして、いくらデザインの力を主張しようとも、意思決定の場では疎外されがちなデザイナーの幻滅や失望が、このSNS社会にあってはミームとなって溢れかえっていることを指摘する。これらの表象は全編にわたって引用されており、ここからは、同書のモチベーションがスターデザイナーの作品を取り上げることではなく、市井のデザイナーたちが置かれた「状況」の記述にあることが明らかになるだろう。

しかし同書は、このような現状に対する皮肉ばかりではない。アントニオ・グラムシなど人文科学系の理論を要所で差しはさみながら、著者は議論を展開していく。特に第3章「統合と自律の複雑な関係」は、アルトゥーロ・エスコバルの提唱するコミュニティの自律=自治を促進するものとしてのデザインや、J・ダコタ・ブラウが主張する人々の意識を高める批評的自律性のあるデザイン、そしてスペキュラティブ・デザインなどが俎上に上げられ、21世紀以降のデザイン・スタディーズの限界が指摘されており、読みどころのひとつとなっている。また、続く章では企業とデザイナーの関わりについてページが割かれており、ここからは切っても切れない両者の関係が浮かび上がるだろう。


(後編へ)※2024年12月19日(木)公開予定


★1──シルビオ・ルロッソのプロフィールや代表的なプロジェクト、および『デザインにできないこと』の執筆経緯に関して、日本語で読めるものとしては次の記事に紹介がある。なお、同記事は、書籍の内容の詳細な解題でもあることも付言しておく。「挑発のデザイン論─デザインが今やらなければならないこと|久保田晃弘(レビュー:『デザインにできないこと』)」(「BNN – note」)
https://note.com/bnn_mag/n/n77c67eea408b
★2──日本においてもデジタルツールはグローバルな状況と大きなタイムラグなく普及しているし、2000年代後半には佐藤可士和の仕事への取り組みが『佐藤可士和の超整理術』(日本経済新聞社、2007)としてまとめられ、ビジネス書として注目を集めた。またデザイン・スタディーズ周辺のキーワードであるスペキュラティブ・デザインやクリティカル・デザインについても、展示や翻訳などによってすでに一定の認知を得ていると言えるだろう。
★3──シルビオ・ルロッソ『デザインにできないこと』(牧尾晴喜訳、ビー・エヌ・エヌ、2024)p.37


執筆日:2024/11/24(日)