全国各地の美術館・博物館を渡り歩き、そこで出会うミュージアムグッズたちへの感動を広く伝えるミュージアムグッズ愛好家・大澤夏美さん。博物館経営論の視点からもミュージアムグッズを捉え直す彼女が、日々新たな商品や話題が生まれるミュージアムグッズの現場の周辺でどのような思考や問いを携えて活動しているのかを定期的に綴る「遊歩録」、 今回は白老の「ウポポイ」や和倉温泉への旅などを通して、異なる文化に触れること、そして触れる自分たち自身の多面性についての思索を綴っていただいています。(artscape編集部)

照らされてしまったじゃがいも

「先生、俺ね、“人間”って多面体だと思うんですよ」

筆者は平日の昼間、非常勤講師として専門学校の「先生」と呼ばれる仕事をしている。イラストレーター、e-sportsのプロプレイヤー、ゲームのデザイナーやプランナーを目指す学生たちが切磋琢磨しているなか、時折、こんな考えたこともないような剛速球の質問や言葉が学生から私に投げかけられることがある。この日はゲームのプランナー職を目指す学生からの球だった。

彼によると、人間の「人格」は剥いたゆで卵のようなつるりとした連続性をもつようなものではない、とのことだ。むしろ、面取りをしたじゃがいものように複数の面をもつ多面体をしており、それぞれの面にその人の性格や価値観、行動が反映されているという。他者が注目する面や光を当てる点はその人の「強み」ともいえるのだろう。もちろん一方では陰になる面もあり、「短所」「弱み」と呼ばれる部分になる。

面白いことに、自分が多面体としていくつの面をもつのかは、自身では把握できないのだという。自分に見えていない面はいくつもあり、他人からの光を集めることによって自覚できることもあれば、自分も他人も認識できない面もある。心理学で「ジョハリの窓」と呼ばれる概念と似ているのかもしれない。そして他者との関係性のなかで輝く面や陰になる面は変化し、自分も誰かの人格の一側面を照らしている。互いを照らし合うことで、人間はじゃがいもからプリズムになるのだ。


「マンガ活用まちづくり研究事業2024 SAPPORO MANGA PARK」は多様なプログラムで賑わっていた[筆者撮影]

ちょうどその話が出たタイミングで私が学生たちに勧めていた展覧会が、白い恋人パーク 別館コレクションハウスで開催されていた「マンガ活用まちづくり研究事業2024 SAPPORO MANGA PARK」(会期:2024年10月12日〜12月8日)である。マンガ『ブルーピリオド』を通じて美術鑑賞のヒントの紹介やデッサン体験を楽しめる「ブルーピリオド展in札幌」、北海道や札幌にゆかりのあるマンガ家の作品を紹介する展示やライブラリー、北海道のクリエイターによるワークショップが実施された。

特に『ブルーピリオド』は学生たちに人気である。美術の道を志す若者たちの群像劇であるため、登場人物同士のコミュニケーションはまさにプリズム。葛藤も輝きであり、作品全体を照らす青春の光の波がつねにさざめいている。私が接する学生たちと専攻は異なれど、モノづくりに魅了された若者たちの行く道を照らす作品であることに間違いない。

かくなる私も、学生たちのプリズムの光に照らされてしまったうちのひとり。本稿はこの数カ月、日本各地を訪ね歩くなかで、ミュージアムグッズと多面体について考えさせられた日々の記録である。

「驚異」「怪異」とみなすこと

2024年11月16日、筆者は北海道白老町のウポポイ(民族共生象徴空間)へ向かった。国立アイヌ民族博物館において、「ミュージアムグッズから博物館の魅力発信を考える」をテーマとした講演を行なったのである。ミュージアムにおけるミュージアムグッズやショップの役割についてレクチャーしたところ、参加した約40名の関係者が熱心に耳を傾けてくれた。

翌日は、同館で開催されていた第9回特別展「驚異と怪異─想像界の生きものたち」(会期:2024年9月14日〜11月17日)を鑑賞した。人魚、天狗、河童など、人間が想像した世界各地の生き物たちを通じて、人間の想像力とその背景にある環境との関係性が探求されている。これは、2019年秋に国立民族学博物館で開催された特別展の巡回展であるが、北海道ならではの資料や取り組みが紹介されていた。例えば、国の重要文化財である縄文時代晩期の動物形土製品(愛称:「ビビちゃん」)は、北海道美々貝塚から出土したものであり、その形からどの向きで展示するのが正しいのか一見わからない。オットセイやアザラシなどの海獣類が泳いでいる姿を表わしていると考えられており、まさに北海道の会場で展示するのにふさわしい資料と言えるだろう。ほかにも、子どもを驚かせるために用いられる道具であり、アイヌ文化の資料である「耳長お化け《キサㇻリ》」は、マンガ『ゴールデンカムイ』でも登場する。人の声や音も使って怖がらせるのだが、会場で流れていたその初収録の音声の恐ろしさが印象的であった。

「第II部 想像界の変相」の「驚異の部屋の奥へ」では、大航海時代以降の驚異の部屋の成立が紹介されている。さらに、1720年に新井白石によって作成された『蝦夷志』をはじめとした、調査対象としての蝦夷地にまつわる資料も展示されていた。これらの資料は、北海道が会場であることの意義を明確に示している。同時に、ほかの文化や環境を一方的に「驚異」「怪異」とみなすことの危険性を読み取ることができるのだ。

印象に残ったのは、「創る(現代のクリエイターたちが創る、いるかもしれないクリーチャー)」の「アイヌの想像界」の章である。山丸ケニ氏が描いたイラスト「ウエクㇽ」「キムンアイヌと『白老』」は、アイヌの伝統的な考え方と現代の創作活動が融合したものであり、多くの問いを投げかけてくる。アイヌの文化に絵を描くという行為はもともと存在せず、写実的に描かれたものは魂をもつと信じられてきた。展示では、山丸氏のスケッチも紹介されており、「絵で残されていない対象をどこまで描くか/描かないか」という問題に対して真摯に向き合っている姿勢が見て取れる。

私が日々接するミュージアムグッズも、文化の表象の一部である。グッズの開発者は、資料の描き方について細部にまで注意を払う必要がある。以前の記事では、動物園や水族館のミュージアムグッズにおいて、生き物の学術的な正確性と親しみやすさのバランスについて考察した。今回は、イメージの固定化と親しみやすさの兼ね合いを考慮する必要があると再認識させられた。

山丸ケニ氏のイラスト「ウエクㇽ」「キムンアイヌと『白老』」[筆者撮影]

山丸ケニ氏のスケッチブック[筆者撮影]

プリズムを見逃さないために

2024年11月21日は石川県七尾市にある和倉温泉へ足を運んだ。和倉温泉は塩分を含む泉質であることから「海の温泉」とも呼ばれる。開湯1200年が経つとされ、北陸を代表する温泉地として全国にその名を馳せている。2024年1月1日に発生した能登半島地震は和倉温泉にも大きな被害をもたらし、一部の旅館では営業を再開しているが、現在もこの地域では復旧作業が続いている。

今回の訪問の目的は、七尾市和倉温泉お祭り会館でのグッズにまつわるレクチャーであった。七尾市和倉温泉お祭り会館とは、七尾市を代表する4つの祭りの山車などを展示し紹介する施設。「青柏祭」「能登島向田の火祭」「石崎奉燈祭」「お熊甲祭」の山車や道具などを実際に間近で見て、それぞれの祭りの歴史や文化、背景などを学ぶことができる。能登半島地震の影響により現在も休館中である。今回は再来年度以降の営業再開に向けた、グッズの検討会議の場でのレクチャーであった。

筆者がミュージアムグッズに関連するレクチャーを実施する際は、なるべくそのミュージアムや施設と異なるジャンルの事例を持参するようにしている。ひと口にミュージアムといっても、「美術館同士はよく関係者間の交流があるけど、動物園の事情はわからない」「自然科学系のミュージアムは好きだけど、歴史系はあんまり行かない」など、スタッフも来館者もなかなか横のつながりがない、他ジャンルにあまり足を運ばないという傾向を感じている。ミュージアムであればどのジャンルにも足を運ぶ筆者はその強みを生かし、ミュージアムグッズも「ほかとの違い」から学ぶことがあるのだと伝え続けてきた。

その一方で筆者は、七尾市和倉温泉お祭り会館の展示を見て、「私たちはこうも違う環境で育ってきたのか」と「ほかとの違い」に圧倒されてしまった。幼い頃から身に染み付いた祭りへの愛、花形の役職への憧れ。祭りが終われば次の年の祭りに向けて生きており、人生のサイクルが祭り中心。そんな地域の皆さんがコロナ禍や震災で直面した「祭りができない」苦しみ。筆者にはあまりにも馴染みがなく、わからないことだらけだ。

筆者が暮らす札幌中心部の主要なお祭りは、さっぽろ雪まつりやYOSAKOIソーラン祭りなど観光客向けのものが多いと感じている。そんな筆者が普段使う「祭り」「伝統」「誇り」という言葉は、同じだけの熱量や意味合いをもってこの地域の皆さんの胸に響くだろうか。皆さんにとっての「ほんまもん」として受け止めてもらうことはできるのだろうか。先述の国立アイヌ民族博物館での「驚異と怪異」展を見た際は、ほかの文化を安易に「驚異」「怪異」と捉えることへの疑問を覚えたのに。この旅で、自分の育った環境とあまりにも違う環境や文化などへ、恐れにも近い気持ちを抱いてしまったことも事実なのだ。

これまでに発売されていた和倉温泉お祭り会館のグッズ[筆者撮影]

実物サイズ人物のパネルと比べても、「青柏祭」の山車がいかに大きいのかがわかる[筆者撮影]

旅を終えてからも、この気持ちをどんなふうに整理しようかと考えていた。結局のところ、たとえ私たちに一人ひとりに育った環境の違いがあったにせよ、その違いを受け止めるだけの度量のあるコンテンツをつくることが重要なのだろう。それぞれの受け止め方で構わない。違いすらも内包してしまうような。いわゆる「普遍性」とは誰にでも通ずる共通認識というより、それぞれの心の中で形を変えて居場所をつくることができる性質のことを指すのかもしれない。

そして自分と異なる考え方や文化を「怪異」にせず、そのままの「違い」として受け止めることが大事なのだろう。冒頭の学生の「多面体」の考え方を借りれば、異なる文化を背景にもつ人間であっても、それぞれに複数の違う面をもっているのだ。そんな私たちが互いに照らし合えば、共鳴しプリズムのように輝くこともきっとできる。

地域が異なれば、適するミュージアムの運営方法も違う。ジャンルによっても違う。そうなれば、そのミュージアムにフィットするグッズもきっと違う。どんなミュージアムショップでも成功するようなメソッドなんてないのだ。この先もそれぞれの文化に圧倒されながら、地道に事例を積み上げることを継続していくしかない。その過程で輝く一瞬のプリズムを見逃さないように。


第9回特別展示「驚異と怪異―想像界の生きものたち」
会期:2024年9月14日(土)〜11月17日(日)
会場:国立アイヌ民族博物館
公式サイト:https://nam.go.jp/exhibition/floor2/special/kyoui2024/


マンガ活用まちづくり研究事業2024 SAPPORO MANGA PARK
会期:会期:2024年10月12日(木)〜12月8日(日)
会場:白い恋人パーク 別館コレクションハウス
公式サイト:https://hom.co.jp/sapporo-manga-park/