翻訳:水田博子、南菜緒子、南晃

発行所:人文書院
発行日:2023/11/30

2000年代後半より耳目を集めはじめた「ニュー・マテリアリズム」の金字塔が、昨年末に日本語で刊行された。本書(原著2007年)は、カリフォルニア大学サンタクルーズ校教授であるカレン・バラッド(1956-)の主著であり、その思想的なスケールの大きさにかけては屈指の一冊といってよいが、日本語での紹介は近年までほぼ皆無であった。

本書の著者バラッドは、ニューヨーク州立大学で博士号を取得した理論物理学者であり、その後は科学論、フェミニズム、ポスト構造主義にまたがる数多くの論文を執筆している。評者が知るかぎり、本書『宇宙の途上で出会う』の基本的な構想は1990年代後半にはすでに胚胎されていたが、本書の出現によってバラッドの「エージェンシャル・リアリズム」は一躍世に知られるところとなった。

本書で提起される「エージェンシャル・リアリズム」の大まかなイメージは、おおよそ次のようなものである。すなわちこの世界において、「対象(object)」はあらかじめ個物として存在するのではなく、ある特殊な「内部作用(intra-action)」を通じて現象から生成されている。この内部作用はさまざまな「エージェンシー」の「もつれ(entanglement)」に起因するが、そのエージェンシーもまた実体的な何かではなく、それらはわれわれが日常的に言うところの「関係性」に相当するものであるという。そのため、バラッドはみずからのエージェンシャル・リアリズムを時に「関係論的存在論(relational ontology)」と言いかえることもある(416頁)。

ちなみに、理論物理学者としてのバラッドのおもな研究対象は、ニールス・ボーア(1885-1962)の哲学−物理学(philosophy-physics)であった(この「哲学−物理学」という表現は彼女のものである)。そのため、バラッドのエージェンシャル・リアリズムは、ボーアの量子物理学を継承しつつ、そこにいまだ抜き難く残存する人間主義を払拭したものである、という言いかたも可能である(本書第三章を参照のこと)。

もとより大部の著書であり、なおかつ膨大な専門用語が登場するため、読者によっては何か目眩ましをされているような印象を受けるかもしれない。しかしもっとも端的に言えば、本書におけるバラッドの世界像は〈知ること〉と〈存在すること〉の相互不可分性として把握できるのではないかと思われる。つまり、わたしたちが何かを「知る」ということは、「あらかじめ存在する何か」についての知識を得ることではなく、それ自体が世界を差異的に生成させる実践であるということだ。彼女の言葉によれば、「知ることと存在することの実践は、分離可能なものではなく、相互に包含しあっている。私たちは世界の外に立つことで知識を得るのではなく、世界の一部であるからこそ知るのである」(224-225頁)。

ふつう、わたしたちは〈世界がいかなる仕方で存在するか〉という問題と、〈わたしたちは世界をいかなる仕方で認識するか〉という問題は別々の問いだと考える(前者は存在論、後者は認識論と呼ばれる)。しかしバラッドに言わせるなら、「認識論を存在論から切り離すことは、人間と非人間、主体と対象、精神と身体、物質と言説の間に本来的な差異があると仮定する形而上学の残響である」(225頁)。裏返して言えば、エージェンシャル・リアリズムは、人間と非人間、主体と対象、精神と身体、物質と言説のあいだに本来的な差異をみとめない。そして、これらのあいだに本来的な差異を認めないということは、存在の問いと認識の問いを同一平面上で扱うことのできる〈存在−認識論〉を必要とする。それがいかなる条件のもとで可能になるかは措くとしても、本書はその最初の礎たろうとする、きわめて刺激的な試みである。

★──次の二つの論文を参照のこと。Karen Barad, “Meeting the Universe Halfway: Realism and Social Constructivism without Contradiction,” in Lynn Hankinson Nelson and Jack Nelson (eds.), Feminism, Science, and the Philosophy of Science, Dordrecht Boston: Kluwer Academic Publishers, 1996, pp. 161-194; “Agential Realism: Feminist Interventions in Understanding Scientific Practices,” in Mario Biagioli (ed.), The Science Studies Reader, New York: Routledge, 1999, pp. 1-11.

執筆日:2024/12/10(火)