会期:2024/10/04〜2024/10/06
会場:Espalanade Annexe Studio[シンガポール]
コンセプト・創作・ドラマツルギー・パフォーマンス:アイサ・ホクソン、ヴェヌリ・ペレラ
公式サイト:https://www.esplanade.com/whats-on/festivals-and-series/series/dans-focus/events/magic-maids
邪悪な魔女か、従順なメイドか。Eisa Jocson(アイサ・ホクソン) and Venuri Perera(ヴェヌリ・ペレラ)『Magic Maids』は女性をめぐる正反対の、しかしミソジニーを蝶番とした双子のような二つのステレオタイプを箒を媒介に結びつけ、ほかなる可能性へと変容のエネルギーを解き放つ、そんな作品だった。それは同時に抑圧され虐げられてきた同胞への連帯と追悼を示すものでもあっただろう。
本作はシンガポールの国立劇場Esplanadeのダンスプログラムda:ns focusの一環である国際ダンスプラットフォームCAN – Connect Asia Nowにラインナップされたもの。今年のCANでは儀式、抵抗、そして変態の身体化(embodiment)をテーマに、本作と山海塾『TOTEM 真空と高み』、そしてジョシュア・セラフィン『PEARLS』の3本が上演された。
ヴェヌラ・ペレラはスリランカの首都コロンボ出身の振付家/パフォーマンス・アーティスト/キュレーター/教育者。私は残念ながら彼女の作品は未見なのだが、プロフィールによれば暴力的ナショナリズムや家父長制、移民、植民地時代の遺したもの、階級などに関わる作品を発表してきているらしい。
一方、フィリピンのマニラを拠点に活動する振付家/ダンサー/ヴィジュアル・アーティストであるアイサ・ホクソンはこれまで、主にフィリピンのサービス/エンターテイメント産業における労働者に焦点をあて、ジェンダーと感情労働、移民などの関わりを探究するパフォーマンス作品を発表してきた。そのいくつかは日本でも上演されている。TPAM2015でタン・フクエン ディレクションとして上演された『Death of the Pole Dancer』『Macho Dancer』はそれぞれポールダンスとマッチョダンス(フィリピンのゲイバーでゲイ男性[と女性]を主な観客として披露されるダンス)をベースにした作品。コロナ禍のTPAM2021で上演された『Manil Zoo(ワーク・イン・パンデミック)』は隔離と監禁に人間と動物が共有するものを見出しその状態と向き合う作品だった。
Photo by Bernie Ng, courtesy of Esplanade – Theatres on the Bay.
アイサ・ホクソンが2017年にYokohama Dance Collectionで上演した『HOST』が日本のホステスクラブで働くジャパゆきさんと呼ばれるフィリピン人労働者に関するリサーチから立ち上げられた作品だったように、本作のモチーフにメイドが選ばれたことにはシンガポール社会のあり方が深く関わっている。シンガポールでは5世帯に1世帯が住み込みの外国人メイドを雇っているとも言われており、多くのフィリピン人/スリランカ人がメイドとして働いているのだ。そんなシンガポール社会では「メイドに金を盗まれた」「男を連れ込んでいた」「子供が虐待された」という話がまことしやかに流布する一方、雇用主によるメイドの虐待もしばしば問題となっており、過去には殺人に至ったケースもある。シンガポールにおいて外国人メイドはまさに魔女化されているのであり、その意味で魔女とメイドのイメージの結合は決して現実と遊離した創造的空想などではない、むしろどこまでも現実に即した表象なのだ。
Photo by Bernie Ng, courtesy of Esplanade – Theatres on the Bay.
では舞台においてメイド/魔女のイメージはどのように表われ、どのように変容させられていったのだろうか。パフォーマンスは一見したところユーモラスなシーンではじまる。箒にまたがった、というより箒の柄を股に挟んだアイサとヴェヌリが、柄が落ちないように太腿をキュッと締めた状態のまま、ちょこちょこと舞台上を歩き回るのだ。彼女たちが時折向きを変えながら動き回るのに合わせて尻尾のように垂れた箒の穂が地面を掃いていく。彼女たちの無表情もあいまって、その動きはロボット掃除機のそれのように見えてくる。だが、そのように見る観客の視線は、彼女たちを感情のない非人間的なロボットのように見做す雇用主のそれと重なるものだろう。
Photo by Bernie Ng, courtesy of Esplanade – Theatres on the Bay.
Photo by Bernie Ng, courtesy of Esplanade – Theatres on the Bay.
しかし、彼女たちのステップは徐々に自信に満ちた大胆なものに、そしてモデルウォークのようなそれへ変容していく。同時に表情も活き活きとした、ときに観客に媚びるかのようでさえある蠱惑的なものへと移り変わっていくのだが、股間に屹立し続ける異物としての箒の柄が示すように、それもまた、ヘテロ男性の欲望を反映したイメージに過ぎないことは明らかだ。だから、彼女たちはさらなる変容を遂げることで男たちを嘲笑うかのように内に秘めたエネルギーを解放していく。両の手に持った箒を昆虫の脚のように蠢かせ、あるいは鳥の翼のように羽ばたかせる彼女たちの姿はいつしか、欲望の対象とするにはあまりに力強い異形へと転じているのだった。
Photo by Bernie Ng, courtesy of Esplanade – Theatres on the Bay.
パフォーマンスの終盤では、かつて罪に問われたメイド/魔女の名前とその「罪状」がひとりずつ告げられ、その都度に一本の箒が吊るされていくことになる。魔女裁判の再現は同時に、そうして「処刑」された一人ひとりへの追悼の儀式でもある。だが、観客たる我々には、中立な追悼者の位置に我が身を置くことは許されていない。パフォーマンスの中盤には、彼女たちが観客に向けて「Do you have Filipino?」「Do you have Sri Lankan?」などと延々と問いかけ続ける場面があった。私が観た回では大半の観客が問いかけに対し無言で応じていたのだが、問いを投げかける彼女たちもまた、シンガポールにおいてある種のサービス/エンターテイメント産業に従事する外国人労働者であることを忘れてはならない。言うまでもなく、問われているのは顧客たる観客や劇場と彼女たちとの関係でもあるのだから。
Photo by Bernie Ng, courtesy of Esplanade – Theatres on the Bay.
鑑賞日:2024/10/04(金)