会期:2024/10/23〜2024/11/03
会場:ときわ座[東京都]
作・演出:松森モヘー
出演:歌川恵子、キキ花香、瀬安勇志、鳥島明、西出結、松森モヘー
公式サイト:https://maad-demons.com/works/かみ/
2022年に劇団としての活動を終えた中野坂上デーモンズが松森モヘーのソロユニットとして再始動した。「12年目の再スタートのつもりでこれまでの作品とは全く違った戯曲に挑戦」するという言葉の通り、本作はこれまでの「令和のアンダーグラウンド」というキャッチフレーズを体現するかのような作風から一転、リアリズムをベースとした一幕の会話劇となった。さいたま芸術劇場主催の「岩松了劇作塾」に通いながら執筆したというだけあって岩松の影響が濃厚に漂う本作は同時に、「劇団として心身共に疲弊し」活動中止を選択した松森が「自身の行き場の無い現状と向き合」った成果でもあるのだという。
舞台は都内にある築60年ほどの古民家。「繁華街の車も人も多い本通りから少し入った所」にあるという3階建ての家のその設定は、実のところ公演会場となった高田馬場のイベントスペース・ときわ座(2024年12月でクローズ)のそれをそのままなぞったものだ。会場には民家の設えがそのまま残っており、舞台(?)上手にはいかにも昭和なちゃぶ台が置かれた居間が、下手には台所がある。舞台手前を横切る廊下の上手側はトイレに、下手側は2階への階段に通じているらしい。観客は廊下のさらに手前の土間のような空間に設置された客席から民家の内部を覗き見るような具合でドラマに立ち会うことになる。
[撮影:星ヒナコ]
主な登場人物は千尋(西出結)・亮太(瀬安勇志)の姉弟とその母・智子(歌川恵子)、智子の弟・健一(鳥島明)、そして健一の彼女だという大前(キキ花香)の5人。姉弟は叔父である健一から母の実家でもあるその家を借りて住んでいるのだが、健一はそこをアートスペースとして大前に使わせたいと思っているらしい。健一は費用の提供などさまざまな条件を提示し、姉弟に引越しを促すが──。
[撮影:星ヒナコ]
親子三人の口論ではじまる冒頭から強烈に立ち上がるのは家族間のコミュニケーション不全だ。己が「正義」を疑わず攻撃的に怒鳴り散らす母・智子に対し姉・千尋は黙り込むか逃げ出すかで会話が成立しない。二人と比べると「常識人」のように見える弟・亮太もまた、両者の間に入ろうとはするものの、何かを言いかけては言葉を飲み込むばかりだ。健一は健一でいわゆる「空気の読めない」タイプの人間のようで、ピントのズレた発言でしばしばほかの人間を苛立たせることになる。
これらは総じて人との適切な距離の取れなさに関わる問題であるだろう。母は子らへの、姉は弟への距離が(物理的なそれも含めて)近く、智子と健一の姉弟もまた近い。実家で老母の介護に従事し続けてきたという健一はそれもあってか女性との付き合いに慣れていないようで、大前にはしばしばあからさまに鬱陶しがられている。それどころか、大前が健一と付き合っているというのは健一の一方的な思い込みである可能性すら示唆される始末だ。この距離の失調はやがて悲劇へと至ることになるだろう。
[撮影:星ヒナコ]
距離の近さの一方でそれぞれの価値観には大きな隔たりがあり、ゆえにより一層、摩擦もすれ違いも大きなものとならざるを得ない。例えば、智子と健一はハロウィンの仮装をして道を歩いていた見知らぬ人間(松森モへー)に頼まれ、気軽にトイレを貸し出してしまうのだが、亮太はそんな無防備なふるまいが理解できない。一方、そんな亮太もデモの参加者だという男(同じく松森)には積極的にトイレを貸し出してしまう。「デモの人の方が怖い」という健一と「何も考えてない人の方が、害がある」という亮太。両者の言い分は平行線を辿るしかない。
[撮影:星ヒナコ]
[撮影:星ヒナコ]
結局、デモの参加者だという男がトイレットペーパーを盗んだ(かもしれない)というオチがつくことで、結果として亮太の判断は誤りであった(ようだ)ということが示されるのだが、これは亮太のみならず多くの観客にも冷や水を浴びせるものだ。観客らは「常識人」らしい亮太の言い分にもっともらしさを感じ、そうでなくとも私を含めた演劇の観客には亮太と意見を同じくする人間が多いように思われるからだ。だがもちろん、常識人らしいふるまいもデモに参加しているという事実も(あるいはハロウィンの仮装をして街に繰り出しているという事実も)、その人間が実際に信頼のおける人間があるかどうかとは何の関係もない。
そしてもちろん、もっとも大きな価値観の相違は芸術をめぐるそれだ。ギグワーカーとして働きながらラップで売れることを目指す亮太と働かずに絵を描き続ける千尋。「バイトして……働いて……それで音楽続けてることとかほんとはずっと……馬鹿にしてたくせに……!」という弟の言葉も「働けないの……どうしても……だってそれがこっち側に生きてるあたしからすると……絵を描くってことだから」という姉の言葉も、あるいはそんな姉に大前がぶつける「自分の力で……前に進む人のこと……馬鹿にして……自分でチャンス逃してるだけやのに」という言葉も、芸術に携わるそれぞれの切実さから発せられたものであることは間違いない。だが一方で松森は、芸術にほとんど価値を置かない人間の存在も忘れてはいない。大前にいいところを見せることしか考えていない健一が、千尋に言われるがままにティッシュに書いたうんこの絵を3万円で買い取ってしまう場面は痛烈だ。
[撮影:星ヒナコ]
[撮影:星ヒナコ]
さて、本作を通して劇作家として新たな側面を見せた松森モヘーだが、今後は中野坂上デーモンズで「緻密に重ねてゆく会話劇」を目指す一方、それとは対極の実験的な創作を「モヘ組」の名義で進めていくらしい。「モヘーの半生を振り返る、自伝的オルタナティブ回顧録」となるモへ組の新作『にんじゃすらいむ』は千歳烏山のPaperback Studioにて12月19日(木)まで上演中。
鑑賞日:2024/10/04(金)