12月1日、東京では二つの大きなブックフェアが開催されていました。ひとつは東京ビッグサイトでの「文学フリマ東京39」、もうひとつは東京都現代美術館での「TOKYO ART BOOK FAIR 2024」です。青山新氏のレビューによれば、同日開催となったこの二つのイベントは、それぞれに異なる「場」の性格を持っているとのことです。文学フリマは祝祭的な交流の場として発展を遂げ──じっさいに訪れた実感にも沿う評です──、一方のTOKYO ART BOOK FAIRは、「印刷を通じたアクティビティが持つアート性を包括する場」──わたしはこちらには参加しませんでしたが例年の雰囲気から想像できます──として機能しているようです。こうした対比を入口として、近頃の文化活動における「対話の場」のあり方について考えさせられました。
青山氏の指摘で興味深いのは、特に文学フリマについて、来場者数がコロナ禍以前の約3倍に増加しているという事実を、単なる規模の拡大としてではなく、「祝祭性の純化」と捉えている点です。本を介した交流それ自体が目的化しているという観察は、アート・出版における「場」の新しい意味を示唆しているように思えます。
この「対話」への希求は、プロダクトデザインや建築の分野でも見られるような気がします。じつは先の二つの催事が開催されていたのと同じ週には、「DESIGNTIDE TOKYO」も実施されていました。12年ぶりに復活した同イベントを訪れてみると、こちらもなかなかの盛況ぶり。共同ファウンダーである武田悠太氏に取材したインタビュー記事が『dezeen』に掲載されています。ここで武田氏は物理的な場での作品展示への希求について語っています。日本の経済状況の変化とともに若手デザイナーが作品を発表する機会が徐々に失われたことを受けて、「過去12年間で、デザイナーたちが物理的な場で作品を見せたいという需要があることが分かった」といいます。
注目すべきは、この展覧会が単なる場の提供に留まらず、デザイン界の構造的な課題にも向き合おうとしている点です。当初は応募者の多くが男性だったため、主催者は女性デザイナーの参加を促すよう努めたといいます。とはいえ、女性デザイナーをさらに増やすにはまだ道のりが長いと武田氏は認識しているとのことでした。物理的な「場」の復活と同時に、より多様な表現を可能にする環境づくりが模索されているのです。
一方、より批評的な対話の場も生まれています。以前artscapeでグラフィックデザイナーの平山みな美氏が紹介してくださった「FUTURESS」の活動は、その代表例と言えるでしょう。「FUTURESS」は「〈デザイン・フェミニズム・政治〉のためのオンラインプラットフォーム」というタグラインを掲げる活動です。ここに掲載されたエッセイが精選のうえ日本語に翻訳され、刊行されたのも11月中のことでした。『デザインはみんなのもの』という書籍がそれです。ここにはフェミニズムや脱植民地化の視点からデザインを問い直す議論や、ソーシャルメディア上での暴力を不可視化する表象の分析など、極めて興味深いエッセイが並んでいます。
さらに展開してみると、国際的な文化交流の文脈でも対話の場が模索されていると言えそうです。原ちけい氏がレポートしてくださった、中国・廊坊市で開催中の「Ennova Art Biennale」の事例も見逃せません。半官半民の施設で開催されるこのビエンナーレは、24カ国・82組のアーティストが参加する国際的な展覧会ですが、興味深いのは、その空間構成が「アートフェア的」と表現されている点です。堅固なキュレーションによる区分けよりも、むしろ作品同士の偶発的な出会いや多様な作家たちの混淆性を重視した結果でしょうか。中国視察の紀行文という趣きも手伝って、いろいろと想像を刺激される記事でした。
ときに祝祭的であり、ときに批評的であり、ときに偶発的でもあるような対話の場。そのような三つのモードについて考えさせられた11-12月となりました。(o)
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