グエン・ザー・チー《ベトナムの風景》
1940年、板・漆、159×119cm、ナショナル・ギャラリー・シンガポール蔵
Image courtesy of National Heritage Board, Singapore
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輪島塗の復興と漆絵の発見
強い寒波が日本海側の各地に大雪をもたらした。雪が容赦なく、人々に屋根の雪降ろしを強いている。2月7日新潟市と石川県七尾市では、雪の量が急激に増えたことで「顕著な大雪に関する気象情報」が発表されたものの、奥能登地域では道路に設置された融雪装置が昨年(2024)の能登半島地震で、ほとんど使えないそうだ。気温が上がれば雪溶けで雪崩の心配もある。豪雨やライフラインの損傷で能登半島の復興はまだ進んでおらず、自然災害先進国として防災庁の設置が待たれている。
輪島市では、伝統工芸の輪島塗などの作り手のうち、震災前の6割が、生産事業を再開したという春の芽生えのようなニュースもある。金沢市の国立工芸館 には漆聖(しっせい)と呼ばれる人間国宝の蒔絵師・松田権六(1896-1986)の工房が移築・復元されていることも心強い。現存する最古の輪島塗は、輪島市にある重蔵(じゅうぞう)神社に保存されている室町時代の《朱塗扉(しゅぬりとびら)》(1524)と言われている。日本を代表する漆器・輪島塗は、堅牢な塗りと優美さが特徴で、漆の模様に金粉をつける蒔絵(まきえ)、模様を鑿(のみ)で彫り、その溝に金粉や金箔を押し込む沈金(ちんきん)、鏡のように艶を出す呂色(ろいろ)などの技法が豊富にある。
日本では浮世絵版画の墨の部分に膠(にかわ)を混ぜて光沢をもたせる筆彩色の技法を漆絵(うるしえ)と呼ぶ。ベトナムにも漆絵と呼ばれる伝統絵画があった。東南アジア美術研究の第一人者である後小路(うしろしょうじ)雅弘氏(以下、後小路氏)に、グエン・ザー・チーの漆絵《ベトナムの風景》(ナショナル・ギャラリー・シンガポール蔵)を教えていただいた。どこか日本的なベトナムの自然風景。竹やヤシの木だろうか、植物も雲も金色なのに不自然なく鑑賞できる。山はベトナム北部にあるベトナム最高峰の山ファンシーパン(3,143m)か、ハノイの最高峰ハムロン山(462m)か。ホーチミン市にはグエン・ザー・チーと名前が付いた通りがある。
ベトナムの漆絵とはどのようなものなのか。「ベトナム近代絵画展」(2005)を監修した後小路氏に漆絵《ベトナムの風景》について話を伺った。後小路氏の私設図書室「とかげ文庫」を福岡行きの始発便で訪ねた。
後小路雅弘氏
映画監督から学芸員へ
博多の街中に位置する「とかげ文庫」は、ビルの外階段を5階まで上っていく。冷たい風が吹くと放り出されそうになり足がすくむ。「とかげ文庫」の世界はそこからすでに始まっている。オリーブ色をした味のある形のやかんにお湯を沸かし、後小路氏が珈琲を淹れてくれた。やかんと同系色のカップ&ソーサー。取っ手のないカップ、おいしい珈琲だった。後小路氏が江戸時代に煎茶を広めた風流人、売茶翁(1675-1763)のように思えた。
後小路氏は、1954年福岡県北九州市に生まれた。国鉄職員の父と美術が好きだった母、兄と弟の5人家族。兄弟3人で1本のバナナを分けて食べたという。東京オリンピック前の昭和の貧しい時代には、バナナは高級品で大人になったら丸ごと1本買おうと思ったそうだ。小学生の頃は本を読むのが好きだったという。太平記や源平盛衰記など、歴史物語を夢中になって読んでいたが、中学から高校時代には映画少年となって、映画監督を夢見ていた。学校の先生と公務員だけにはなりたくないと思い、九州大学の文学部へ入学し、映画監督が比較的多く選択している美学・美術史へと進んだ。
そこでは仏教美術が専門の平田寬(ゆたか)先生が教鞭を執られていた。まず平田先生に「どういう勉強をしたいのか」と問われ、後小路氏は迷わず「映画の勉強をしたい」と答えた。映画研究部だった後小路氏は、映画については自分が一番もの知りだと思えていた。しかし、平田先生と映画の話をするといつもコテンパンにやっつけられた。後小路氏は、平田先生を尊敬し、弟子になることを決意した。実習の授業でお寺へ行き、仏像や絵画の調査をし、帰りにお酒を飲みながらそこで見たものをテーマに議論するのが楽しかった。そしてときどき参加する学芸員になった先輩たちを見て、学芸員になろうと思ったそうだ。新しいことをしたいと思い、当時美術史としては扱われていなかったシャガールについて卒業論文を書き、1978年九州大学文学部哲学科美学・美術史専攻を卒業した。
世界唯一のアジア美術館
後小路氏は大学院の受験に失敗し、福岡市美術館の準備室へ就職した。1979年に福岡市立美術館が開館すると、学芸員として「開館1周年記念特別展 アジア現代美術展」を担当した。そこからアジア各国(パキスタン、インド、スリランカ、ネパール、バングラデシュ、ブータン、ミャンマー、タイ、マレーシア、シンガポール、ラオス、カンボジア、ベトナム、インドネシア、ブルネイ、フィリピン、モンゴル、中国、台湾、韓国)との濃密で長い付き合いが始まった。
1997年には、東南アジア★1の近代美術を概観する「東南アジア──近代美術の誕生」展を企画し開催した。太平洋戦争期に欧米勢力を排除し、日本を盟主としてアジアの支配を正当化するために、日本が掲げた大東亜共栄圏というスローガンの下、仏印(ふついん)進駐★2でインドシナを占領するなど、アジア固有の問題や歴史的な背景があり、東南アジアの近代美術には多様性と共通性が見られたという。
福岡市美術館を母体とし、アジア美術展を合計4回開催してきたその蓄積を継承するかたちで、「アジアの近現代美術作品を収集・展示する」世界唯一の美術館、新美術館創設の構想が立ち上がり、後小路氏はその準備室へと異動する。そして、1999年に「福岡アジア美術館」が開館。開館記念展は「第1回福岡アジア美術トリエンナーレ1999(第5回アジア美術展)」だった。
学芸課長を務めていた後小路氏は、「アジア美術館を作って燃え尽きた」と語る。2002年48歳のとき後進の育成をしようと考え、九州大学大学院人文科学研究院教授となった。2020年大学を定年退職後は、アジア近現代美術に関する私設図書室「とかげ文庫」を博多に開設し、2021年から故郷の北九州市にある北九州市立美術館の館長を務めている。
誰もが気になる「とかげ文庫」とは、アジア美術研究のためのリサーチ・ライブラリーであるという。とかげの命名は、後小路氏が1988年に福岡市美術館で企画開催したアジア現代作家シリーズの第1回展「アジア現代作家シリーズⅠ ロベルト・フェレオ展」で展示したフィリピン作家のレリーフ絵画《スペインの暗い側面の祭壇》に描かれているとかげから採用したそうだ。神の言葉を人間に伝える愛らしいとかげ。初心に帰る意味を含めて、とかげを拠点名にしたという。
★1──東南アジア(ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、東ティモール[2002年にインドネシアから独立])は戦後の呼称であり、当時の日本人はこの地域を、太平洋諸島も含め、南方あるいは南洋と呼んでいた。
東南アジア地図
[By Cacahuate, amendments by Globe-trotter and Texugo-Own work based on the blank world map, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22746383]
★2──仏印は、ベトナム、ラオス、カンボジアを指すインドシナのこと。仏印進駐とは、太平洋戦争直前に日本軍がフランス領インドシナへ進軍し、とどまっていること。1940年の北部仏印進駐と1941年の南部仏印進駐に分けられる。
「あっ、やられた」
ベトナムでは1857年にグエン朝(1802-1945。フエを都としたベトナム最後の王朝)がキリスト教を禁止し、フランス人とスペイン人宣教師を処刑した。翌年、カトリック宣教師団の保護を名目にして、フランスは、スペインとともにベトナム中部のダナンへ遠征軍を派遣する。1887年フランスはベトナムを植民地とし、フランス領インドシナ連邦(ベトナム、ラオス、カンボジア)を完成させる。
現在のベトナム社会主義共和国は、インドシナ半島東部に位置している。南シナ海に面した北は中国、西はラオスとカンボジアに接し、国土は南北に長い。国土面積は約33万平方キロメートルで日本の9割ほど、人口は約1億30万人(2023年、越統計総局)の多民族国家である。
後小路氏とグエン・ザー・チー作品との出会いは、1996年に後小路氏がベトナムへ初めて行ったときだった。「ラフなタッチで描かれていた代表的な作品にはよい作品がなく、ものすごく高価という印象で、アジア美術館コレクションのために作品を購入することができなかった」という。後小路氏が、その後東南アジアの近代美術を収蔵するシンガポールの美術館、ナショナル・ギャラリー・シンガポールの開館準備中に美術館のコレクションを見る機会があり、この《ベトナムの風景》を初めて見て、「あっ、やられたと思った。美しく繊細。金色が上手に使われており、目から鱗が落ちる思いがした」と後小路氏は語った。
ベトナム漆絵の父
グエン・ザー・チーは、1908年ベトナムの首都ハノイの近郊の町ハドンに生まれた。ハノイにあるフランス人画家ヴィクトール・タルデューが初代校長を務める1925年設立のインドシナ美術学校へ1931年に入学し、フランス人画家ジョセフ・アンガンベルティらの植民地教育の体制下で、漆絵を創作していった。後小路氏は「漆絵は、絹絵と同様に作られた伝統で、伝統というのは近代に作り出さられるもの。もともと実用的な漆絵の工芸はあったが、それを鑑賞用の絵画として確立しようとしたのはフランス人だった。漆絵は西洋の人々のために作られた西洋向けの輸出品だった。ベトナムの芸術文化における近代は、植民地宗主国フランスの文化を受容する、あるいは受容させられるかたちで始まる」と述べた。
チーは、漆絵のほか、詩的な挿絵や諷刺漫画、写実的な素描、民芸調の木版画を制作するなど、ハノイの文学知識人とつながりをもって、多才ぶりを発揮した。ベトナム近代美術の特徴は、ひとりの画家がひとつの技法を専門に取り組むのではなく、油彩画・絹絵・漆絵と複数のジャンルにまたがって制作することが一般的で、モチーフは女性像を描いた作品が多い。
1935年、チーはハノイで開催された安南芸術産業振興協会SADEAI(職能的な芸術家組織)主催の公募コンクール美術展に出品すると高い評価を得て、地元のフランス人コレクターがチーの後援者となった。1938年にはフランス領インドシナ総督のジョセフ・ジュール・ブレビエから宮殿の装飾を依頼されるなど、国内外で名を知られるようになる。チーが描く絵の主題は、風景や少女、抽象的コンポジションなどで、色彩は燦然と輝きながらも静かな落ち着きを感じさせる。
1943年にハノイで開催された「サロン・ユニーク」展でも好評を博した。チーは、第二次世界大戦後は香港へ長く旅をし、1954年ベトナム北部ハノイから南部のホーチミン市へ移住して、1993年6月20日にこの地で亡くなる。享年85歳。ベトナム絵画界の四天王(チーのほかグエン・トゥオン・ラン、ト・ゴク・ヴァン、チャン・ヴァン・カン)のひとりに数えられる。2012年にホーチミン賞を受賞。漆絵を工芸技法から鑑賞するための絵画芸術へと昇華させた先駆者として、「ベトナム漆絵の父」といまもなお讃えられている。
ベトナムの風景の見方
①タイトル
ベトナムの風景(べとなむのふうけい)。英題:Landscape of Vietnam
②モチーフ
竹やヤシ、バナナなどの植物、家、天秤棒を担ぐ人、山、雲、空。
③制作年
1940年。グエン・ザー・チー32歳。
④画材
板・漆(黒漆、朱漆)。漆は耐久性と防水性に優れた表面を作り、虫や湿気による損傷を防ぎ、中国や日本など、さまざまなアジアの国で古くから装飾に使われてきた。ベトナムの漆は、日本・中国・朝鮮半島の主成分ウルシオールと異なり、ラッコールであり、熱には弱いが透明感に富む。
⑤サイズ
縦159×横119cm。4:3の縦長サイズ。
⑥構図
斜め上から俯瞰した近景と中景が画面の大半を占め、正面を向いた遠景を加えることにより遠近感を出し、さらに縦構図によって風景の奥行感を強調している。
⑦色彩
茶、赤、金、黒、茶褐色、えんじ、銀、灰色。漆の層によって生み出される透明感や光沢の効果は、物体としての絵具を世俗な領域から神聖な領域へと高めている。色には天然顔料が使われたと思われる。
⑧技法
ベースとなる木地の表面をサンドペーパーなどで平らに整え、木の板全面に、ほかの色を塗る前に刷毛で黒の漆を何層も塗り重ねる。各層の塗料を乾燥させた後、こすって平らにする。必要な図柄をステンシルのように型紙に切り抜き、それを漆地にあてて上から鉄(黒)や辰砂(赤)、金箔(金)などの天然顔料を刷り込む。さらに数層の漆を色面の上に塗り付け、漆が乾燥したら表面をサンドペーパーなどで研磨して滑らかにし、再び漆を塗ることを繰り返す。入り用な部分には金粉・銀粉を散らす。天然の材料を用い、自然の風景を黒・赤・金の三色に置き換える色彩感覚によって、近景は繊細に、遠景は大胆に描いている。
⑨サイン
画面左下に金色で「NGGTRI」と署名。
⑩鑑賞のポイント
雲が棚引く山を背景に、ベトナムの民家の庭先が描かれている[図1] 。竹やバナナ、高木のヤシの葉がサワサワと風にそよぐ[図2] 。緑豊かな自然の中に佇む家。天秤棒を担ぐ二人がこの風土で生活しており、人々の温もりが感じられる。黒、赤、金の色彩の調和が美しいだけでなく、実物の前に立つ鑑賞者は、漆特有の揺れる光を感じ、二次元のなかに光と影、静と動の空間の変化を体験することだろう。日常的な風景でありながら神々しさを伝えている。ベトナム漆絵草創期の優品である。
図1 雲がたなびく神秘的な山(《ベトナムの風景》部分)
図2 風にそよぐ竹とバナナ(《ベトナムの風景》部分)
一体となる光と風景
後小路氏は「ベトナムを植民地としていたフランスは、ナチスドイツに占領され傀儡政権が成立していたため、ベトナムへ進駐していた日本とはいわば同盟国の関係だった。日本軍は1940年にベトナムへ進駐して、1941年から45年までフランスと日本でベトナムを二重支配していた。それで日本は、日本の現代美術の素晴らしさをベトナムの人々に見せつけたいという思いで、当時の錚々たる画家たちと美術交流展「仏印巡回現代日本画展覧会」(国際文化振興会主催)を1941年に開催している。ハノイで展覧会をやっているときに、藤田嗣治(1886-1968)がベトナムへ派遣された。その展覧会の影響をこの《ベトナムの風景》(1940)は受けていると思う。作品の制作年と展覧会の開催年が合わないが、《ベトナムの風景》は縦長で、いかにも日本画を思わせるような作品なので、グエン・ザー・チーがそれ以前に日本画を見ていた可能性はある」と述べた。
また、《ベトナムの風景》の見どころは、「一番の魅力は光ですね。光の表現が素晴らしい。夕焼け空の光が黄金色になり、バナナと竹林のある農村の風景に溶け込んでいくような感じ。光と風景とが一体になっていく。それも非常に繊細に、竹林の葉がそよそよと風に揺らいでいるのが見える気がするし、実際にこの絵の前に立つと自分の視線の動きによって、この金色がさまざまに光る。その表情を変えていくところが、この漆絵の見どころであり、油絵ではできないベトナム漆絵のもっともいいところ。ジャンルとしてまだ出来上がっていない時期の漆絵で、最初の頃だからこそもっている純粋な魅力がある。初期の漆絵が到達した最上の表現のひとつだと思う」と後小路氏は語った。
後小路雅弘(うしろしょうじ・まさひろ)
北九州市立美術館館長、九州大学名誉教授。1954年福岡県北九州市生まれ。1978年九州大学文学部哲学科美学・美術史専攻卒業。同年福岡市美術館準備室へ就職、1979年福岡市美術館学芸員、1999年福岡アジア美術館学芸課長、2002年九州大学大学院人文科学研究院教授、2020年定年退職。同年アジア近現代美術に関する私設図書室「とかげ文庫」開設。2021年より現職。森美術館理事、民族芸術学会理事、都城市立美術館顧問。専門:アジア近現代美術。主な賞歴:1998年 第1回美術館連絡協議会図録奨励賞(図録『東南アジア──近代美術の誕生』)。所属学会:美術史学会、美学会、九州藝術学会、民族芸術学会。主な編著書:『シャガール』(編、日本経済新聞社、1993)、『アジアの美術:福岡アジア美術館のコレクションとその活動』(共著、美術出版社、1999)、『美術の日本近現代史──制度・言説・造型』(共著、東京美術、2014)。主な展覧会企画担当:「第4回アジア美術展」(福岡市美術館、1994)、「東南アジア──近代美術の誕生」展(福岡市美術館、1997)、「開館記念展 第1回福岡アジア美術トリエンナーレ」(福岡アジア美術館、1999)、「ベトナム近代絵画展」(福岡アジア美術館、2005)など。
グエン・ザー・チー(Nguyen Gia Tri)
ベトナムの画家。1908~93年 。首都ハノイ市の近郊ハドンに生まれる。1931~36年インドシナ美術学校で美術を学び、漆絵を確立。写実的な素描や諷刺漫画、木版による白黒挿絵の本や雑誌を制作するなど、多才ぶりを示す。1935年ハノイで開かれた公募コンクール美術展で評価を得、フランス人コレクターが後援者となる。1938年インドシナのブレビエ総督から宮殿の装飾を依頼され、国内外に名が知られる。絵の主題は、風景、少女、抽象的コンポジションなどで、1943年ハノイで開催された「サロン・ユニーク」展でも好評を博す。1954年ベトナム北部ハノイから南部のホーチミン市へ移住、1993年死去。享年85歳。ベトナム絵画界の四天王のひとりに数えられ、ベトナム漆絵の父として、現在もなお讃えられる。代表作:《ベトナムの風景》《妖精たち》《蓮池のそばで》《春の庭と少女たち》《タイ寺》《庭の衝立》《北への郷愁》《ハイビスカスの少女》《夕方、金色に輝く太陽》《春の庭~南、中心、北》。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:ベトナムの風景。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:グエン・ザー・チー《ベトナムの風景》1940年、板・漆、縦159×横119cm、ナショナル・ギャラリー・シンガポール蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:ナショナル・ギャラリー・シンガポール、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式73.9MB、300dpi、8bit、RGB。資源識別子:2000-05908(cropped)(Jpeg形式73.9MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:ナショナル・ギャラリー・シンガポール。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:ナショナル・ギャラリー・シンガポール、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
《ベトナムの風景》の画像は、ナショナル・ギャラリー・シンガポール(NGS)へメールで依頼した。後日、NGSからメールが届き、作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、73.9MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。掲載料無料、無期限。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。画像使用に関するガイドラインに「画像の色調、明るさ、コントラストなどの調整は行なわないでください」とあり、美術館から提供されたそのままの画像を使用した(Jpeg形式73.9MB、300dpi、8bit、RGB)。作品画像については、文字を乗せたり、トリミングの規制はいままであったが、色調などの調整を行なわないようにという指針は初めてのことだった。美術館が作品画像の色を重視し、見え方までを管理している先進事例だと思われる。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
参考文献
・図録『東南アジア──近代美術の誕生』(福岡市美術館+広島県立美術館+静岡県立美術館+東京都歴史文化財団+読売新聞社+美術館連絡協議会、1997.5.9)
・図録『ベトナム近代絵画展』(産経新聞社、2005)
・チャン・ルーン著、塚田純子訳「アジアの現代美術シーン──亀裂を飛び越えよ」(『第3回福岡アジア美術トリエンナーレ2005』、福岡アジア美術館、2005、p.186)
・edited by Yeo Wei Wei, Realism in Asia volume one(The National Art Gallery、2010)
・美術フォーラム21刊行会編集部編『美術フォーラム21』第21号(醍醐書房、2010.5)
・Fuyubi Nakamura, Morgan Perkins and Olivier Krischer, Asia through Art and Anthropology: cultural translation across borders(Bloomsbury、2013)
・後小路雅弘「東南アジアおよび南洋諸島の美術」『美術の日本近現代史──制度・言説・造型』(東京美術、2014、pp.390-401)
・Sara Siew Rayne Ngoi, Between declarations and dreams: art of Southeast Asia since the 19th century(National Gallery Singapore、2015)
・後小路雅弘「アジア美術の見方──福岡アジア美術館のコレクションから」(『アジアコレクション100 福岡アジア美術館所蔵品選』、福岡市文化芸術振興財団、2015、pp.4-7)
・Ann Proctor, Awesome art Vietnam: 10 works from the land of the clever turtle that everyone should know(National Gallery Singapore、2021)
・二村淳子『ベトナム近代美術史──フランス支配下の半世紀』(原書房、2021)
・Webサイト:後小路雅弘「昭和一八年の日本旅行:ベトナム人画家ルオン・スアン・ニーの日記から」(『九州大学附属図書館』「哲學年報」69巻、九州大学大学院人文科学研究院、pp.225-252、2010.3)2025.2.5閲覧(https://doi.org/10.15017/16925)
・Webサイト:後小路雅弘「日本軍政と東南アジアの美術」(『九州大学附属図書館』「哲學年報」72巻,九州大学大学院人文科学研究院、pp.49-72、2013.3)2025.2.5閲覧(https://doi.org/10.15017/26271)
・Webサイト:桒原ふみ「ベトナム近代美術研究発表」(『Asian Arts Air FUKUOKA』2019)2025.2.5閲覧(https://asian-arts-air-fukuoka.net/gate09_kuwahara/)
・Webサイト:後小路雅弘「〈書評〉二村淳子『ベトナム近代美術史──フランス支配下の半世紀』原書房、2021、p.399/101」(『京都大学学術情報リポジトリ 紅』「東南アジア研究」京都大学東南アジア地域研究研究所、60(1)、pp.94-97、2022.7)2025.2.5閲覧(http://hdl.handle.net/2433/275892)
・Webサイト:『アジア近代美術研究会』)2025.2.5閲覧(http://blog.livedoor.jp/asian_art_studies/)
・Webサイト:「アジア近代美術研究会会報:しるぱ」(『九州大学附属図書館』)2025.2.5閲覧(http://hdl.handle.net/2324/2329446)
・Webサイト:「Landscape of Vietnam Nguyen Gia Tri」(『Google Arts & Culture』)2025.2.5閲覧(https://artsandculture.google.com/asset/landscape-of-vietnam-nguyen-gia-tri/0gF9rBxMdPm3RQ?hl=en)
・Webサイト:「Vietnamese Lacquer Painting:Between Materiality and History」(『National Gallery Singapore』)2025.2.5閲覧(https://www.nationalgallery.sg/sg/en/learn-about-art/magazine/vietnamese-lacquer-painting-between-materiality-and-history.html)
・Webサイト:「Must-See Artworks Artwork:Landscape of Vietnam」(『National Gallery Singapore』)2025.2.5閲覧(https://www.nationalgallery.sg/sg/en/visit/tours/self-guided-tours/must-see-artworks.item.html/landscape-of-vietnam)
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2025年2月