会期:2025/1/18~2025/1/27

会場:東京都豊島区南池袋4-22-10[東京都]
公式サイト:https://olive088861.studio.site/

前編より)

ここで田中が名乗る「監督」という肩書きに触れておこう。田中と布施はTBSラジオ「LOOM」におけるトークのなかで、この特徴的な肩書きについて語っている。いわく、ケアを語源とするキュレーションという語は、コンセプトや制作方法において暴力性を排除しがたい本展において不適当であると判断され、それに変わる語として「監督」が導入された、というわけだ。ここには紋切り型の独裁的な監督像が(半ば自虐的に)重ね合わされていることに加え、壊された壁を通じて異質な風景が接続される様を映画のカットになぞらえる意識もあったという。またここでは語られていないが、監督を意味する“director”がその語源において「まっすぐ進む/導く」という「道」そのものに関わる言葉であることも無関係ではないだろう。しかし先に述べたように、鑑賞者それぞれが道とそれに伴う時間体験をつくり出していく本展において、それぞれのカットを編集するのは鑑賞者本人であり、一般的な意味での監督の役割は田中と鑑賞者それぞれに分有されていると言える。田中自身はこうした性質について「オープンワールドのチュートリアルみたいな空間を『150年』では起こしたかった。(中略)トロコンしなくてもゲームは楽しめるし、取り返しのつかない要素だってある。」と述べている。つまりは無数の鑑賞者=監督たちの歩みdirectionを推進させる場として、本展は位置づけられているわけだ。ここから田中と布施は、それぞれの鑑賞者の間に必然的に生まれる体験の差異を相互に交換し合うところまでを楽しんでほしいと述べる。これはまさに、一人の身体では味わい尽くせないものとしての「150年」をモンタージュ的に立ち上げる行為である。

こうした議論から私が個人的に思い出すのは、目[mé]が2019年に千葉市美術館で行なった展覧会「非常にはっきりとわからない」、特にその図録に星野太が寄せたテキスト「それは私が見たことなのか」である。同展は細部までそっくりにつくられた二つのフロアを行き来しながら見比べる体験をつくり出すものだったが、星野は目[mé]の作品が持つ「『完全な』鑑賞の不可能性」を挙げ、そこから作品を「この目で『しかと見た』」ことと「見逃した」ことという二項対立を崩していく。星野は以下のように述べる。「見るという経験には、時間的にも、空間的にも、大きな制約がつきまとう。そしてそれは、私たち一人ひとりが有限な生を享受していることの何よりの証しである」──これは「150年」展へも敷衍できる見立てだろう。しかしここで指摘しておかなければならないのは、目[mé]の作品、特に「非常にはっきりとわからない」展が実際につくり出したものとは、鑑賞者に対して底の抜けた謎解きを提示し際限のない読みを生成させ続けることだったのではないか、ということだ。当時のSNSでは展示のネタバレは慎重に避けられ、皆がめいめいに自分だけが知る秘密をほのめかして回っていた。いわば星野のテキストは目[mé]の作品についての読解というよりも、それによって「見逃した」こと──あるいは「この目で『しかと見た』」こと──へのオブセッションに取り憑かれた人々に対する、ケアの言葉として映る。では「見逃した」ことをなんの気負いもなくひとつの鑑賞体験としてシェアできる状態とはなんなのだろうか。

「見逃した」ことの集積として展示を捉えるというアプローチは、先に述べた否定神学的な建築構成としての迷宮によく似ている。ピーパーは同書の導入で、ギリシャ神話に登場するクレタ島の大迷宮・ラビリントスについて述べている。半人半獣の怪物・ミノタウロスが徘徊するそれは史上もっとも有名な迷宮といっていいだろうが、現実のクレタ島からこの実在を示唆するような遺構は発見されていない。ピーパーはそこで、さまざまな人々が行き交う当時のクレタ島に栄えた大都市が、大陸の人々にとって迷宮──そしてそれは同時に怪物的な存在でもあっただろう──として映ったのではないかと分析する。こうした迷宮と都市を紐づける考え方は古くから存在しており、池袋の街の只中に結ばれた本展もまさに、都市という迷宮の自己相似形をなすものとして捉えることが可能だ。しかし、私たちはクレタの都市文明にはじめて遭遇した古代ギリシア人ではない。生まれる以前から──もしかしたら150年よりも長く──都市に住み着いている私たちに、迷宮を探索するテセウスたることは不可能なのだ。いわば私たちは、ミノタウロスとして迷宮と向き合うことを運命付けられている。テセウスは迷宮を踏破するという目的を持つが、ミノタウロスにとっては迷宮とは棲家であり、目的そのものである。ゆえに、ミノタウロスの主観において迷宮には謎も中心も存在しない。それは常に、自らとともに動き続ける。だからこそ、ミノタウロスは迷宮の謎を見逃し続ける。ここにおいて、「見逃した」ことと「この目で『しかと見た』」ことは重なりあうだろう。

ミノタウロスとして迷宮を徘徊する鑑賞者たちがそれぞれの体験の差異を交換し合うこと。それはすなわち、SNSを中心とした情報空間へと展示が延長されていることを意味する。かつて東浩紀は『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』において、この情報─空間サイバースペースという比喩を巡る問いを立てた。つまり、通信伝達技術とはある場所と場所のあいだを繋ぐことであり、それは本質的に「空間」という比喩とは相容れないはずのものだ、と。ではその不自然な比喩は何を達成し、何を隠蔽しているのか。東は、ポストモダンの世界──深層シンボル表層イメージの別が崩れ混濁した世界──における情報技術の在り方を示すものとしてサイバースペースは提唱されたが、「空間」という視覚性に依拠した比喩で言い表わされたことによって、ポストモダンを特徴づける非視覚性が覆い隠された、と指摘する。

一方、布施はVR廃墟(VRチャットのためのワールドが、事後的ななんらかの理由によってアップデートに対応できなくなり、当初意図されていたかたちでの正常な実行が不可能になって荒廃した状態)にまつわる同人アンソロジー『電脳荒廃 -StandAlone Ruins-』に寄せたテキスト「廃墟によるサイバースペース、時をみだして」において、VR廃墟が比喩としてのサイバースペースをアクチュアルなものに転換させる可能性について語っている。東の論を読み込みつつ布施の主張を解釈するならば、次のようになるだろう。(ポストモダン以後の世界における技術─社会的状況の不完全な比喩としての)サイバースペースが蔓延した現代において、VRワールドはその上にリテラルな「空間」として立ち上げられた。VR廃墟とはそうした、初めから不完全な空間の中でさらにもう一度機能不全を起こしたもの、二重否定形の存在として位置付けられる。言い換えればそれは、サイバースペースにとっての「不気味なもの」なのだ。だからこそVR廃墟は、不完全なまま肥大化した現在のサイバースペースに穴を穿ち、今ふたたび壊乱を招く可能性を帯びている──。

想像してみよう。本展において鑑賞者それぞれが収めた写真を集めれば、フォトグラメトリとして会場を情報空間に再構築することは容易に可能だ。展示が終わり、現実の会場が取り壊されても、このヴァーチャルな会場は残り続ける。そこでは展示を訪れた者、訪れなかった者、それぞれが行き交うこともあるだろう。やがて、ヴァーチャルな会場からも人は遠のき、制作者・管理者もそのメンテナンスを怠るようになっていく。そのとき、会場はどのような姿をしているだろうか。マッピングされた画像ファイルが剥げ落ちて、不定形のヴォリュームだけが残っているだろうか。それとも、空間の中である瞬間身動きが取れなくなり、永遠にそこに囚われてしまうのだろうか。そんな状況下においてなお「展示を訪れている」者たちがいるとして、その体験はいかなるものでありうるのか。

鑑賞日:2025/1/23(木)