会期:2025/02/13~2025/06/08
会場:森美術館[東京都]
公式サイト:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamscreen021/index.html

映画監督・アーティストのガブリエル・アブランテスは、歴史や政治のコンテクストをユーモラスに再構築し、映像表現を通じてポストコロニアル、ジェンダー、権力構造などの問題を批評的に問い直している。このたび森美術館の「MAMスクリーン」で開催された短編作品の上映では、寓話や伝承を巧みに取り入れながら、既存の社会通念の矛盾や制度のあり方に光を当てる彼の試みが紹介された。

『石娘の奇妙な冒険』(2019)は、ルーブル美術館に収蔵された彫刻作品が美術館を抜け出し、都市を彷徨う寓話的な物語である。観賞者からの人気が薄く、いわば退屈な日々を送っていた彫刻作品が、出来心で美術館の外へ抜け出した。結果、市街で行なわれていた抗議デモに迷い込み、現実の政治と暴力に直面する──。そんな趣きのある劇中では、頭身の一部が消失した《サモトラケのニケ》やドラクロワの代表作《民衆を導く自由の女神》で描かれたバスティーユ襲撃を解説するツアーガイドが、市街デモでマクロン政権に対する市民デモに参加する姿が描かれ、富の集積に対する抗議活動の歴史的な連続性が示される。

アブランテスがこうした筋立てにおいて下敷きにしているのは、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『もみの木』である。フランス革命から現代の黄色いベスト運動に至る市民抗議や社会運動の歴史を重層的に描き、美術と政治の関係性を探求しているのだ。美術館という制度的な枠組みを批判しつつ、作品が単なる観賞対象を超え、社会と批判的に関わりうる可能性を提示している。作家はここで、静的なメディアである彫刻に動的な時制を与えている、とも言えるだろう。その果てにデモから逃げ遅れる彫刻をヴァンダライズする本作の物語は、権威の危うさを浮き彫りにする。そうでありながら、エジプト中央国時代の「カバの置物」との恋愛というメロドラマ的な要素を絡めることで、ユーモラスにこれらの問題を描き出すことにも成功している。

タイトルにその語を冠する『人工的なユーモア』(2016)では、アンディと名付けられた自律型ロボットと先住民の少女との恋愛を軸に、技術と人間の関係性が再考される。魂が宿った非人間的存在との交流を通じ、村を逃亡する少女の姿は、既存の制度からの逸脱を示唆するだろう。ここではロボットは“誤った”理性を獲得しているのだが、それは他者に好意的な感情を抱くたびにエンジニアに再調整され、異なるペルソナを与えられるといったありようである。社会との相互関係を絶えず制作者がデータとして吸い上げる、そんな実験体としての日常を送るなかで、ロボットに偶然与えられた毒のあるキャラクター性が垣間見られることにもなる。まるでアメリカのコメディアン、アンディ・カウフマンのようなスタンドアップコメディで大成するロボットの姿を少女が厭い、初めて失恋を経験するメロドラマ的展開となっている。こうしたユーモラスな展開を通じて、西洋中心主義的なテクノロジーが歴史的な開発によって植民地支配をしてきた影響について、批評的な問いが投げかけられているのである。

理論的には、アブランテスはしばしばウィトゲンシュタインの『哲学探究』を参照しながら、ジョークやユーモアによってしか描けない現実の社会問題に眼差しを向けている。ここで2010年にハイチを襲った大地震の直後に制作された『鳥』(2012)について語るなら、欧米から訪れた若手の演出家、ガブリエル・アブランテスその人が現地に住む人々とともに古代ギリシャの喜劇作家アリストパネスの戯曲『鳥』を再演する様子が描かれている作品である。紀元前五世紀に描かれた原作は、統率性のない支配に嫌気がさした主人公が、24羽の鳥と協力して理想の王国を築き上げる物語である。通説においては古代ギリシャの政治批判を基にした作品であるこの原作を、アブランテスは西洋中心的な視点から植民地における反乱の物語として脚色する。こうした脚本に地元の演者たちは苛立ちを見せ、代わりに魔術と悲劇が交錯する旅物語として独自に原作を解釈し始める。異なる文明を未開の物語として扱ってきた西洋的な文化解釈への皮肉が込められたポストコロニアル的な批判性が見られる。

アブランテスの一連の作品群は、西洋中心的な文化圏が築き上げてきた権威性や略奪の歴史を暴きつつ、制度や規範などの抑圧的な構造や暴力を巧妙に解体する。寓話やユーモアを用いて、西洋社会の特権を歴史的なコンテクストから逸脱させ、現代社会におけるポリティクスと接触させる作品のナラティブは、文明の枠組みを相対化する表象のあり方を示していると言える。

鑑賞日:2025/03/02(日)

★──“Wittgenstein said the most profound problems could only be discussed in the form of jokes. That logic didn’t have the power to resolve these questions. Truth be told, humour can be liberating, but it can also be a prison. There is an old story that says irony is a bird that has come to love its cage. And even though it sings in protest of its cage, it likes living within it.”
https://contemporanea.pt/en/editions/04-05-06-2020/gabriel-abrantes-melancolia-programada