展覧会ポスター
会期:2025/01/16~2025/03/23
会場:TOTOギャラリー・間 [東京都]
公式サイト:https://jp.toto.com/gallerma/ex250116/index.htm
(前編より)
このように吉村はこれまでの活動において常に作家性を括弧にくくり、そこにジョイントされる社会、法、資本といった外部要因に目を向けてきた。こうしたキャリアの文脈を踏まえると、今回の展覧会「マンガアーキテクチャ」はその視点を反転させ、内部から建築を批評する機会になっていたと言える。なぜならばこの度吉村から依頼された描き手たちは、(例外はあるものの)ほとんどの作品で建築物を「住むもの」ないし「滞在するもの」として取り扱うことでストーリーを展開しているからである。コルシカ「Nowhere Man」では休息の場として、宇曽川正和「泡になるまで」では他者と時間を共有する親密な空間として、メグマイルランド「アコとマックス」では空想のプレイグラウンドとして建築が描かれている。つまりここで展開されていることを一般化するならば、これらのマンガにおいて建築は、ユーザーの視点から描かれているのだ。
そしてこうした観点を表象するメディアとして、吉村が今回選び取ったのが漫画だったことは、一定の妥当性が認められるだろう。なぜなら先にも引用した『生きられた家』において多木は、「映画は時間的に(いわば線型に)展開する表現であるが、それについていきながら、私たちは映画にも次第に『空間的』な非線型的テキストが生成することを感じ取っている★4」と述べ、映画に限らず時間芸術において建築や都市が描かれる際には、「抽象化された空間」が生じると指摘しているからだ。会場に展示され、展覧会図録にも収録された漫画においてユーザー=キャラクターたちはコマによって区分されることで、建築=空間のなかを生きはじめるのである。
もちろんこうした空間経験としての建築のみならず、德永葵「たまてばこ」では可動産としての建築の可能性や、三池画丈「MONSTRO」では無限の増殖性の比喩として解釈できるようなアーキテクチャとして建築が描かれたり、座二郎「VERTIPORT」では都市と建築といったテーマが追求されていたりする。しかしこれらの諸作を通じてここでふと気づかされるのは、竣工後の建築において「建築家は不在」であるというごくごく当たり前の事実である。建ってしまえば、そこに建築家は必要ない。ゆえに「マンガアーキテクチャ」は、そのような建築家以後の空間、時間、そしてその可能性を、フィクションを交えながら思弁的にプレゼンテーションする機会だったのだ。
しかしそれは、同展が空想に依存しすぎていることを意味するわけではないだろう。「建築家の不在」が謳われた展覧会において、「緑の光線」を描いた川勝徳重は、参加作家中ただひとり物語に建築家を主要なキャラクターとして登場させている。同作における建築家は、忘れたい過去でもある土地の記憶を残そうとすることで、近隣住民の反感を買う。その姿は傲慢にも見えるがその一方で、公共政策や資本に翻弄される姿も描かれており、ここでは社会というアーキテクチャに投げ込まれた存在としての建築家が描かれている。
このような同展における吉村の振る舞いは、モダニズム建築以降の問題意識と地続きなものに他ならない。例えばアンリ・ルフェーヴルは、モダニズム的な、画一的な抽象空間を批判した。なぜならそれはエイドリアン・フォーティーが要約するように「心的空間の『生きられた』空間からの分離であり、結果的に、マルクスが考えたように、人間という主体の単に人間の労働からだけではなく、日常生活すべての経験からの疎外★5」を引き起こしかねないイデオロギーだからである。建築家のさじ加減によっては、空間は抽象化し、私たちの生は平板化してしまう危険を孕んでいる。
吉村は展覧会のステイトメントにおいて、オランダの設計事務所MVRDVの作る模型が、「彼らの出身事務所とそっくり」で、しかもその理由は同じ模型の制作業者によるものであると述べ、「建築家の作家性が模型屋によって上書きされている」と指摘している★6。吉村が今回の展示で目指したのは、そのような作家性の上書き──漫画家というフィクションの創作者によって建築を上書きする行為──であると同時に、建築において生きられた空間をいかに担保するのかという問いを、一種のデザイン・フィクションとして提示することだったのである。
★4──多木浩二『生きられた家』岩波書店、2001、81頁
★5──エイドリアン・フォーティー『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』坂牛卓、邉見浩久監訳、鹿島出版会、2006、421頁
★6──吉村靖孝『MANGARCHITECTURE(マンガアーキテクチャ)──建築家の不在』、TOTO出版、2025、158頁
参考資料
・「藤村龍至インタビュー――郊外をアップデートせよ!」『近代体操(特集=いまなぜ空間は退屈か)』近代体操、2022、15-36頁
・マット・マルパス『クリティカル・デザインとはなにか?──問いと物語を構築するためのデザイン理論入門』水野大二郎、太田知也監訳、野見山桜訳、ビー・エヌ・エヌ新社、2019
・「NO164 吉村靖孝 『高低差のある六本木の街を、階段で縦横無尽につないでみる』」『六本木未来会議』https://6mirai.tokyo-midtown.com/interview/164_01/
鑑賞日:2025/03/01(土)