会期:2025/03/08〜2025/03/16
会場:シアター・バビロンの流れのほとりにて[東京都]
公式サイト:https://engekioffton.studio.site/
『XXXX(王国を脅かした悪霊の名前)』(作・演出:得地弘基)はそのタイトルが示すように名前を巡る物語である。これまでも古典の改作を多く上演してきたお布団が今回原作に選んだのはウィリアム・シェイクスピア『マクベス』なのだが、『マクベス』が原作であることは明示されているものの、タイトルからその名前は消去されてしまっている。では、タイトルで伏せ字となっている名前=「王国を脅かした悪霊の名前」は果たして誰のものなのか。『マクベス』を原作に本格ミステリの形式を借りたこの作品において、この問いは次のように言い換えられるだろう。果たして王を殺した真犯人は誰か。『XXXX(王国を脅かした悪霊の名前)』はまず第一に、伏せられた名前が暴かれるまでの物語なのだ。
一方、この物語を通じて新たに名前を獲得する者もいる。マクベス(永瀬安美)と暮らしを共にすることになるマーガレット(大関愛)である。そう、マーガレットは原作『マクベス』のマクベス夫人にあたる人物だ。原作において強烈な存在感を放ちながらマクベスという男の妻としてしか存在することを許されなかったマクベス夫人。しかしこの物語においてマクベスと肩を並べるその者は、マーガレットという固有の名を持って存在している。それどころか物語はまず、マーガレットのそれとして幕を開けるのだ。最初の言葉はこうだ。「女には名前がない」。
[撮影:大橋絵莉花]
マーガレットが固有の名を持つ存在であることは間違いなく重要であり、『XXXX(王国を脅かした悪霊の名前)』がマクベス夫人に名前を与えなかった『マクベス』の物語に批評的なまなざしを向けていることも間違いない。しかし、ここで語られるのは自らの名を取り戻したマクベス夫人の物語ではない。実のところマーガレットはマクベスのパートナー的な存在ではあっても夫人ではないのである。マーガレットはさらにこう続けるだろう。「男には感情がない」「母は女になるために名前を捨て去り、父は男になるために心を捨て去ったのだろうか?」「僕はどちらにも憧れず、どちらにもなりたくなかった」。物語のなかでそう名指されることこそないものの、マーガレットはノンバイナリー的な(=バイナリーな男女二元論にとらわれない)ジェンダー・アイデンティティを持つ人物なのだ。
[撮影:大橋絵莉花]
だが、そんなマーガレットを家族は受け入れない。母は「私はお前を女として生んだ」「何が相応しいかは歴史と自然の役割が定めてくれる」とマーガレットに女としてのふるまいを強制しようとする。やがて生家を放逐されたマーガレットが辿り着くのがマクベスの住む荒野の館だ。マクベスは疑問を呈することもなく(というよりむしろ何が「問題」なのか認識することすらなく)、ありのままのマーガレットを受け入れる。子供の頃、ドレスや化粧に惹かれ、それゆえ父から折檻されたことがあると語るマクベスもまた、男女二元論に基づくジェンダー規範による抑圧を受けてきた人物だと言えるだろう。そうして二人は共に暮らしはじめる。
当日パンフレットで得地は「男と女の差異を強調することで、キャラクターを浮き立たせ」たシェイクスピアの作劇に触れつつ、「そうでない人たちにも物語の中に居てほしいと思い」この作品を書いたのだと記している。「自分が好きになれる人物、自分に近いと思える人物が、あまり他の創作物の中に出て」こないから自分で作ることにしたのだとも。そうして書かれたこの作品は、既存の秩序=物語とそれに抑圧され、あるいはそこで不可視化されてきた人々との相剋のさまを描き出していく。
[撮影:大橋絵莉花]
ある日、狩りをしていて迷ったという一行が一夜の宿を求めて館を訪れる。実はそれは館にあると噂される魔導書を求めてやってきたダンカン王(藤家矢麻刀)とその息子・マルカム(新田佑梨)、そして騎士のバンクォー(畠山峻)とマクダフ(田崎小春)だった。各々の思惑と陰謀、そして予言が交錯するなか夜は更けていき、そして翌朝、王の死体が発見される──。
物語は最終的にマルカムらが自滅するようなかたちで悲劇的な結末を迎え、その過程で抑圧されてきた自らの過去を知ったマクベスは代々継承してきたその名を手放すことになるだろう。王政という血の秩序の崩壊をもたらした事件の結末は、マクベス改めフランには血の呪いからの、自らの名前に刻み込まれた物語からの解放をもたらすものになるのだった。
[撮影:大橋絵莉花]
[撮影:大橋絵莉花]
さて、改めてタイトルに立ち戻ろう。真犯人と呼ぶべきはマクダフだったにせよ、実際に王に手を下したのがマクベスだったことを考えれば、この作品のタイトルは初めから犯人を指し示していたのだと解釈することもできるだろう。それはもはや失われた名前を指し示すものなのだ。あるいは、ダンカン王らの行動が革命派や「外なる神」、異民族、それにマクベスとマーガレットという「得体のしれぬ二人」への恐れに端を発していることを考えれば、「王国を脅かした悪霊」の名として記された「XXXX」は文字通りに受け取るべきかもしれない。つまり「王国を脅かした悪霊」は未知なるものなのだ。人は未知のものを恐れ、恐れるがゆえにそれに取り憑かれてしまう。その恐れは未知なるものの排除へと帰結する一方で、取り憑かれたもの自身をも蝕むことになるだろう。
名づけることは幾重にも両義的だ。名づけられることでようやく可視化される存在があり、しかし可視化されることにはポジティブな面もネガティブな面もある。例えば性的マイノリティで考えてみれば、ノンバイナリーなどと名づけられ分類されることで得られる理解や支援もあれば、それによって集まってしまうヘイトもあるだろう。さらに、そうして名づけられた名前は、ときに存在を縛る檻へも容易に転じてしまう。だから、新たな名前の獲得は決してゴールではない。それでも、物語の最後で眠りに落ちたフランが目覚めたとき、そこには以前より少しだけ生きやすい世界が広がっているはずだ。
[撮影:大橋絵莉花]
得地弘基の演出作品としては8月にサブテレニアンプロデュースで『ハムレットマシーン』(作・ハイナー・ミュラー)の上演が予定されている。古典改作を手がけてきた得地が古典改作の古典とでも呼ぶべき作品をどのように演出するのか。得地の新たな挑戦を楽しみに待ちたい。
鑑賞日:2025/03/15(土)
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