梅雨の到来が間近に迫る光が丘公園[筆者撮影]

ふだん、家事や入浴中など生活時間の合間合間にPodcastを流して聴いていることが多いのですが、ここのところ興味深く聴いている番組のひとつが、アートユニット・エキソニモの赤岩やえさんが2024年12月に始めた「赤岩やえの Radio Not Found」。作品の記録や保存といった「残し方」をめぐるゲストとの対話を届ける同番組、これまでゲストとして登場したのは編集者の伊藤ガビンさん、アーキビストの明貫紘子さん、山口情報芸術センター[YCAM]の渡辺朋也さんなど。

現在第16回まで配信されており(2025年6月1日時点)、最近の回で特に印象的だったのは、赤岩さんがニューヨーク・ブルックリンの共同墓地をひとりで散策しながら話す#013#014「ニューヨークの風『前略、墓場より』」。現地に設置されたソフィ・カルの現在進行系の参加型インスタレーション《Here Lie the Secrets of the Visitors of Green-Wood Cemetery》や、バスキアのお墓などを巡る赤岩さん。春先の強い風の音やザッザッと土を踏む音、すれ違う人とのささやかなやりとりといった環境音や、ぽつぽつこぼれる語りの声から、赤岩さんの横で自分も一緒に墓地を散策しているような、瞑想的な感覚が不思議に響く回でした。かつていた人と、彼/彼女らが残したものと、いまここでそれらにアクセスする自分。

実はartscapeでも過去に、エキソニモのお二人とインターフェイス研究者・水野勝仁さんによる、墓という装置や死の定義の話など、「Radio Not Found」の内容にも大いにつながる内容の座談会が公開されています。約7年前の記事ではあるものの、いま改めて読み返しても大変興味深い記事なので、リスナーの方もこれからの方もぜひ。

赤岩やえ/千房けん輔/水野勝仁
メディアから考えるアートの残し方 第1回 エキソニモインタビュー

(2018年11月15日号)

時間の尺にとらわれない、音声メディアでの「語り」や「対話」の発信が盛り上がりを見せている昨今、個々の番組やエピソードの再生回数が公にされないことがPodcastというメディアの特殊さであり、良さのひとつだなとひとりの雑食リスナーとして日頃噛み締めていたのですが、プラットフォームによってはいつの間にかそれらの数字が表示される仕様に移行し始めているらしく、今後このメディアから引き出される体験はどう変質していくんだろう、と複雑な感情を抱えているここ最近です(自分の生活に深く定着してしまったメディアということもあり、なおさら)。アテンション・エコノミーのネガティブな側面に辟易することばかりのいま、従来のPodcastのような競争の目線にさらされていない(ように見える)領域がまだ確保されていること、そしてそこで起こっていることを、規模の大小によらず主観的に楽しみにしている人が自分以外にも少なからずいること。それらが癒やしや希望のように感じられていたのは、自分自身が発信する側にいるときだけでなく、受け取る側にいるときでも同様で、その根源にあるのは横にいるほかの受け取り手たちへの信頼や連帯感でもあったのかもしれない、ということを今回のことで実感させられます。

ちなみに、artscapeでも横浜美術館学芸員の南島興さんが中心となって、アートとメディアの過去・現在・未来を考える音声番組「ミュージアム外のインターネットラジオ」の配信を今年に入ってから行なっています。こちらの今後の更新も、気長かつ楽しみにお待ちいただけると幸いです。(g)


★──Spotifyではその仕様変更の発表後に利用者からの反発を受け、表示は一定の再生回数以上のエピソードに限定されることになったようです。https://otonal.co.jp/audio-marketing-insights/46896