会期:2025/05/16~2025/05/19
会場:イロリムラ・プチホール[大阪府]
公式サイト:https://usaginoaegi.wixsite.com/home/next

「他者の痛み」、すなわち自分自身の身体に起きていない経験を理解することは可能なのか。「言葉にすること」は、神経伝達物質のように、痛みの経験を伝達できるのか、それとも溝やすれ違いを生むだけなのか。鎮痛薬によって痛みを「なかったこと」にするのは、良いことばかりなのか。消し去られるのは、症状なのか、ここにある身体そのものが抹消されるのか? そこに、ジェンダーという構造的な抑圧の痛みも関わっていたら、「痛みの抹消」は「既存の抑圧的な構造の保持」につながるのではないか? 一見、ワンシチュエーションの静かな日常会話劇である本作を貫くのは、こうした抽象的で倫理的な問いの連鎖である。そこに、「幽霊」というフィクショナルな設定が加わることで、言葉によって「そこにないもの」を立ち上げる営みであり、かつ俳優の肉体が現前する「演劇」についてのメタ的な照射がなされる。

舞台は、ある休日の朝のリビングルーム。スウェットの部屋着を着た女がソファにぐったりと横たわり、「……頭痛が痛い」と絞り出すように発する。ランニングの後のシャワーを浴びたばかりの男は、パートナーの体調を心配するのではなく、「日本語間違っているよ」と言う。「頭が痛い」が正しい日本語なのだと。一見、些細な「言い間違い」をめぐる日常会話だが、この冒頭のやり取りに既にジェンダーの権力関係が埋め込まれている。痛みを訴える女と、「ロジカルな正しさ」を持ち出して議論をすり替え、微妙にマウンティングを匂わす男。

議論の不毛さは、「鎮痛薬の名称」をめぐるやり取りに展開する。「ロキソニンあるよ」と薬を差し出した男は、箱には「ロキソプロフェン」という違う名前が書いてあると女に指摘されるが、ロキソプロフェンはロキソニンのジェネリック医薬品であり、効果は同じであることを納得させるため、薬剤の説明書きを延々と読み上げる。不毛な口論の連鎖に対し、「いつもそうやって私の言ったことを都合よく解釈して、勝手に中身を詰め替えてしまう」と反発する女。「シャンプーじゃあるまいし」と返す男。「もうないよ」という女の一言は、「日常の消耗品の買い物や管理は女に任せきり」という家事のレベルと、「女性の身体はシャンプーのボトルのようなモノであり、その中身は空っぽである」という二重化されたジェンダー観を示唆する。

男に悪気はないが、他者の痛みに鈍感で、「ロジカルな正しさ」で相手を支配しようとする。鎮痛薬を飲む前に何か口に入れようとする女に、男はランニングの途中で買ってきた、パンの耳を揚げたおやつを渡すが、自分ばかりどんどん食べてしまう。揚げたパン耳に夢中の男と、まだぐったりしている女。2人が裸足で過ごすリビングに、靴を履いた男が静かに入ってくる。女だけが闖入者に気づく。自分は「これから死ぬ幽霊」だと語る男は、「あと30分で消えます」と女に告げる。消えるのは、頭痛なのか、幽霊自身にタイムリミットがあるのか、それとも「幽霊というフィクションが存在しなくなる終演までの現実の時間のカウントダウン」がメタレベルで言及されているのか。

しばらくして、男も闖入者の存在に気づく。だが、揚げたパン耳を食べ、体も透けていない彼は、「リアルすぎて、幽霊としてのリアリティがない」と男に突っ込まれる。「これから起こる戦争で死ぬ幽霊です」と幽霊は説明するが、「幽霊は過ぎ去った過去からやってくるものだ」と男は理詰めで納得しない。だが、「過ぎ去った過去」という表現は正しい日本語ではないと女に指摘され、不毛さが増幅していく。

言葉にすることで、どこまで他者とわかり合えるのか、逆に溝や隔たりを広げてしまうのか。言葉にされることで存在が立ち上がるのか、言葉にならなかったものは存在しないのか。日常的なコミュニケーションのレベルとメタ演劇をつなぐのが、「幽霊」というメタファーだ。「幽霊(死者)」とは、自分自身が身体的に経験できない点で究極の他者であり、俳優の肉体が現前する演劇において、究極のフィクションである。そして、「身体をもたない」とされる幽霊は、痛みを身体的な症状に還元する態度の前では、「ないもの」とされる痛みのメタファーでもある。

「痛いって感情?」と繰り返し問う女に対し、男は「痛いのは症状」と返す。「では幻肢痛は?」と問う女は、「まだ存在しないものの痛みは?」とさらに問う。「私は頭痛が痛い。あなたは?」と幽霊に問いかける女は、「正しくないもの」「存在しないもの」として痛みを否定された経験 それ自体の痛みを通して連帯は可能である ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ことを示している。「銃の銃声。崩れる崩落。閉じ込められた閉塞。はじける閃光。悲しい悲鳴。失った喪失」と淡々と答える幽霊。だが男の反応は「日本語間違っているよ」だ。

女のスマートフォンには「また停戦協定、破棄だって」という通知が来るが、その痛みは遠い場所にあり、通知設定や電源を切ればすぐに消えてしまうだろう。同様に、幽霊もいつの間にか「消えた」ことに男は気づく。頭痛もまもなく消えるだろう。だが女は、「ここに頭痛があったという痕跡や空洞は残っている」こと、そして鎮痛薬を飲んで痛みをなかったことにしたくないと言う。ここで、「メメントモリを忘れるな」という本作のタイトルに目を向けたい。「メメントモリ」はラテン語で「死を忘れるな」という意味の警句であり、本作のタイトルは「『死を忘れるな』を忘れるな」という「間違った日本語」だ。このタイトルは、以下のようにパラフレーズされるだろう。死、すなわち他者の身体に起こった痛みを「なかったこと」にするな。「日本語間違っているよ」という「ロジカルな正しさ」の問題にすり替えて、問題の矛先を変えるな。理詰めの指摘によって、相手に対する優位性を保とうとするな。

終盤、男は初めて「頭痛が痛いってどんな感覚?」と女に尋ねる。それは、幽霊が消えて、頭痛も消えてなくなるまでの束の間訪れた、かすかな希望の時間だ。

鑑賞日:2025/05/19(月)