会期:2025/05/17〜2025/05/25
会場:サンモールスタジオ[東京都]
作:ベス・フリントフ
翻訳:小田島則子
演出:寺十吾
公式サイト:https://onnana.com/
抑圧され、消し去られた個人の物語を回復しそれに耳を傾けること。一方で、そこに立ち現われる悲劇を個人の物語へと矮小化せず、私たちの物語として引き受け直すこと。約200年前に実際に起きた殺人事件に基づいて書かれたベス・フリントフの戯曲『マライア・マーティンの物語 The Ballad of MARIA MARTEN』は、殺人事件の被害者として記号化され消費されてきたひとりの女性に生身の人間としての輪郭を与え直すところからはじまる。
幕が開け、登場したマライア(吉田久美)は開口一番「私が死んでもう一年になるけど、まだ誰にも発見されていません」と告げる。その姿は血まみれでボロボロだ。「彼が私にしたことがみんなに知られたら、私の人生の最後の何日かだけが腐った肉みたいにつつき回されて、私の人生はそこに収縮してしまう」から、自分が殺されたときの話はまだしたくないのだと言うマライアが「こうなる前の」「私が本当はどういう人間だったかを話します」と宣言すると、おもむろに現われた数人の女性が彼女の汚れを優しく落とし、きれいな服に着替えさせはじめる。『マライア・マーティンの物語』がどのような作品であるかを端的に示すオープニングだ。

マライアを囲み慈しむ女性たちはマライアの友人と継母だということが後でわかってくるのだが、この段階では俳優が黒子のように作品の進行を司っているようでもある。いや、その解釈もあながち間違いではないのだろう。2018年のイギリスでの初演では6人の女優がすべての役を演じたのだというこの作品は、現代の私たちがマライアの呪いを引き受けそれを解くためのものなのだから。今回の日本初演もまた、On7という新劇5劇団の同世代女優7人のユニットによる上演となった(翻訳:小田島則子、演出:寺十吾)。
貧しい家庭に生まれながらも美しく聡明な少女として育ったマライアは、幼くして母を亡くす不運に見舞われるも、やがて新たな母としてアン(西尾まり)を迎え、幸せな少女時代を過ごす。しかし年月は飛ぶように過ぎ、気づけば彼女たちは大人に、妊娠できる年齢になっていた。ある年、不作で父親が仕事を失い、食うに困った一家を案じたマライアは、彼女に好意を寄せる農場主の息子トマス・コーダー(有川マコト)に食料と引き換えに身を任せてしまう。そして妊娠したマライアは領主の妻レディ・クック(渋谷はるか)の計らいもあり、トマスと結婚することになるのだが、赤ん坊は生まれて間もなく亡くなり、トマスとの結婚も立ち消えになるのだった。失意のマライアは領主の館で偶然出会ったレディ・クックの弟ピーター・マシューズ(有川)に見そめられ、今度こそ幸せを掴むかのように思えたが、レディ・クックらの強い反対に遭い結婚は今度も頓挫してしまう。
そして3年後、マライアは今度はトマスの死をきっかけに呼び戻されたその弟ウィリアムと恋に落ちるのだが──。


女性のみで演じられたイギリス初演版とは異なり、On7版では客演の有川マコトがトマスとピーターを演じている(ウィリアムは戯曲上は役としては登場しない)。この演出は破局の反復を示唆すると同時に、性格やマライアへの態度の違いにかかわらず、マライアを追い詰めた一因が男女の絶対的不均衡にあることを強く視覚化するものだ。その意味で「男は皆同じ」なのだということもできるかもしれない。
最初こそ優しく思えたウィリアムだったが、やがてその本性を現わし、マライアを支配しはじめる。友人や家族とも切り離され、ウィリアムのいうことだけが絶対なのだと刷り込まれたマライアは精神のバランスを崩し、自分自身のことさえ信じられなくなってしまう。DVの典型としての支配とコントロール。ついには自分がウィリアムとの間にもうけた赤ん坊を殺したのだと言い出したマライアは、警察から逃げると言って姿を消し──しかし彼女が殺される場面がそこで演じられることはない。彼女は観客に向かって決然と拒絶する。「それを見せる必要はないと思います。だってもう何度も想像したでしょうから」と。


そうしてマライア自身が言うように彼女の物語は終わるが、それでも残された人々の物語は続く。マライアを探し続けたアンは彼女の遺体を発見し、ウィリアムは裁判にかけられることになる。裁判をめぐっては、その立場の違いからマライアの友人たち(フィービー:小暮智美、ルーシー:渋谷、テリーザ:尾身美詞、セアラ:安藤瞳)の間に対立が生まれもするだろう。しかし彼女たちはやがて、マライアが殺され埋められた納屋にともに火を点けこう宣言する。「あたしたちは二度と黙らない。一緒に立ち上がる。そして、大人しく言う通りにしろと言われたら、焼き払う」。この物語が消費されるための悲劇としてではなく、連帯と変革の契機としてあったことを力強く宣言する幕切れだ。
マライアが殺されたのは1827年のことだが、現在の日本の状況は約200年前のイギリスとはたしてどれほど違うと言えるだろうか。On7という女優のみのメンバーで構成されるユニットが2025年の日本で上演するにふさわしい作品の、熱の入った素晴らしい上演だった。


鑑賞日:2025/05/22(木)