全国各地に拠点を置く学芸員が日々の仕事や見聞を綴る「キュレーターズノート」。中京・愛知エリアを中心としたアートシーンについては、今回より国際芸術祭「あいち」の2022年度のプロジェクト・マネージャー(学芸)を務め、現在は愛知県美術館で学芸員として展覧会企画などに携わる鵜尾佳奈氏に執筆していただきます。初回は、名古屋周辺に現在も連綿と生きるアングラ演劇にまつわるレポートから。(artscape編集部)

名古屋にはアングラがない?

最初のキュレーターズノートなので張り切って、最近名古屋で開催された三つの演劇公演について書いてみたい。いずれも、何らかのかたちでアングラ演劇の系譜に連なる人物・団体による公演で、三つのうち二つは名古屋でしか開催されなかったものだ。

「書いてみたい」と弱気で前置きしたのは、筆者は舞台芸術の専門家ではないからだ。研究対象が1960年代から70年代のアメリカ美術なので、パフォーマンス・アートやダンスは専門の範疇だが、特に観劇の経験は多くない。一方で、筆者は長らく日本の「アングラ」と呼ばれる文化に浴してきた。ここで「アングラ」を定義するには紙幅が足りないので諦めるが、とにかく10代からとりわけ音楽や映画分野のアンダーグラウンド界隈に好んで接していて、例えば映画なら寺山修司、松本俊夫、勅使河原宏などの1960年代の実験映画、音楽ならジャックス、裸のラリーズ、ゆらゆら帝国などのサイケデリック・ロックや、2000年代後半以降の大阪アングラシーンに親しんだ。

神戸で生まれ育った筆者が、広島を経て5年前に名古屋に来て感じたのは、「アングラがない……」ということだった。関西には、HELLUVA LOUNGEや難波ベアーズ、磔磔といったアングラ系バンドのライブを多く開催するライブハウスがあったし、クラシックなアングラ映画をときどき上映してくれるシネ・ヌーヴォや京都みなみ会館(現在は閉館)のようなミニシアターもあった。名古屋でいうと、金山ブラジルコーヒーキネマ・ノイが近いテイストだが、少なくとも現在は、アングラを推しているわけではない(2019年に開業した大須シネマは「UNDERGROUND CINEMA FESTIVAL」を開催するなどアングラを標榜していたが、惜しくも2025年に閉館した)。

しかしどうやら、名古屋の舞台界隈、なかんずく演劇シーンには1960年代から連綿と続くアングラがまだ生きている。このように気づいたのは、数年前、大須商店街での大須大道町人祭で、舞踏カンパニーである大駱駝艦による『金粉ショウ』が開催されているのを見てからだ。1978年、第1回目の大道町人祭の実行委員会委員長は原智彦さんという人で、寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」や舞踏家のギリヤーク尼ヶ崎を招聘したらしいというのも後から知った。そこで今回は、趣味を延長して、2025年4〜7月に名古屋市内で開催されたアングラ演劇の系譜に位置する三つの公演を紹介したい。なお、研究書を数冊読んだのみだが、「アングラ演劇」については概ね異論なく定義できるようで、1960年代後半に新劇に対する違和感や反体制運動の高まりとともに現われた前衛的な志向の劇団や劇作家による小劇場運動を指していう★1

ハラプロジェクト『絵本弁慶記』

ハラプロジェクトは、2005年に原智彦が立ち上げた演劇パフォーマンス集団(立ち上げ時の名前は「ハポン劇場Project」)である。原は1970年、愛知県文化会館(愛知県美術館の前身)でのいわゆる「ゴミ裁判」★2をきっかけに、「ゼロ次元」の活動で知られる岩田信市と出会い、60年代からの反芸術・反体制運動の流れを汲む名古屋アンダーグラウンドの文化圏に身を投じていく。1979年、原は岩田らと「スーパー一座」を結成し、ロックバンドの音楽を使ったド派手な演出でマスコミから「ロック歌舞伎」と呼ばれた★3

本公演が上演された七ツ寺共同スタジオは、名古屋におけるアングラ演劇の聖地というべき小劇場で、1972年にローカル誌『名古屋タイムズ』の記者・二村利之が倉庫を改造して設立したものだ★4。唐十郎の状況劇場と寺山修司の天井桟敷が名古屋での初公演を果たした1969年の3年後の出来事であり、名古屋のアングラ演劇が活況を呈していた時代の設立である。

七ツ寺共同スタジオ[筆者撮影]

このたびの公演『絵本弁慶記』は、スーパー一座の旗揚げ公演の際に大須演劇場で初披露された演目であり、歌舞伎の『御贔屓勧進帳』を底本としつつ、源義経と頼朝の決別、安宅の関から、奥州で藤原秀衡のもとに身を寄せる義経一行を藤原泰衡が急襲するまでを描く。

ハラプロジェクト『絵本弁慶記』舞台写真[撮影:安野亨]

原自身がデザインを手がける美術や衣装は特徴的で、松羽目ではなくレースの端切れや糸を張り巡らせた壁に、義経は市松模様のネクタイを着けて、富樫左衛門は緩衝材の袴を履き、弁慶は袴ではなく格子模様のボリュームある腰布を巻いている。驚くべきは、初演時と変わらず、弁慶は今年79歳になる原が演じていることだ。安宅の関での勧進帳を誦じるシーンは古参の歌舞伎役者かのような凄味があり、関守の縄を振り切る際の荒事は、弁慶の豪傑ぶりが見てとれるダイナミックさだった。

原は確かに1970年代の名古屋のカウンターカルチャーに源流をもつが、今回の『絵本弁慶記』に関しては、確立された伝統芸能としての歌舞伎に対して抵抗しているというより、いかに歌舞伎を庶民の演劇に引き戻すかという課題に取り組んでいるように見えた。実際、『御贔屓勧進帳』は現在歌舞伎の十八番として知られる『勧進帳』よりも古く江戸時代後期から演じられていて、弁慶の人ならざる荒々しい大立ち回りを楽しむのが趣向である。原がスーパー一座で歌舞伎を始めたのは、家の裏が新歌舞伎座だったという岩田の「江戸時代の香りのするもっとパワフルなのをやろう」★5という号令のもとであったという。1980年代には枠に囚われない型破りな歌舞伎を次々と発表した原だったが、現在は歌舞伎の様式を敬って踏襲している。それでいて舞台美術や大袈裟なアクションによって役者が立ち回る臨場感や迫力をブーストさせており、原初的な演劇のパワーが感じられる舞台だった。

ハラプロジェクト『絵本弁慶記』舞台写真[撮影:安野亨]

体現帝国『見えない青髭公の城』

体現帝国」は、2008年に演出家の渡部剛己が旗揚げした劇団で、名古屋を拠点に断続的に活動してきた。主宰者の渡部は、名古屋造形大学在学中から先述の七ツ寺共同スタジオの企画制作に関わり、2012年からの4年間は寺山修司没後に「天井桟敷」の後継として結成された劇団「演劇実験室◎万有引力」にも所属していた。このたびの公演『見えない青髭公の城』は、彼らが今年(2025年)4月に拠点としてオープンした体現帝国館の杮落としとして上演された。体現帝国館は、個人所有の倉庫だった場所を2024年1月から借りて改修した劇場で、同年8月からは本公演のための「連続演劇試演会」を5カ月間毎月1回上演していた。

本公演の底本となっている『青髭』は、初版のグリム童話に収録されたシャルル・ペローの童話で、嫁いで青髭公の屋敷にやってきた娘が、入室を禁止された部屋に好奇心に負けて入ってしまい、先妻たちの死体を見つけてしまうという物語だ。『青ひげ公の城』との題で1979年に寺山修司が戯曲化して天井桟敷が上演しており、これは青髭公の妻役として劇場にやってきた女性が、バックステージを迷い歩いて裏方の人々に次々と出会うが、青髭公は一向に現われないという不条理劇だったようだ。

体現帝国『見えない青髭公の城』舞台写真[撮影:高橋梓]

体現帝国版の狂気の富豪とその新妻をめぐる残酷物語は、館に住む忘れっぽい剥製師の青髭公と、彼が誘拐してきた孤児の少女ユディトによる「ダークメルヘンスッペクタクルショウ」(劇中の登場人物の台詞から引用)となっていた。構成は大きく二つ、暗転のなか仮面の男が登場して、観客が持たされたライトを頼りに屋敷を案内される前半と、観客が客席に座った後、戦争のために外出した青髭公が、ユディトの禁忌を目撃するまでの後半に分かれている。劇場が倉庫であることを利用した演出が白眉で、開演を待つ観客を前にシャッターを緞帳のように開けたり、大団円では天井から大雨を降らせたりと、まさにスペクタクルだ。

体現帝国『見えない青髭公の城』舞台写真[撮影:高橋梓]

登場人物が何度も「台本」の存在に言及するメタフィクションでもあり、剥製という偽物の人間と、誰か別の者を演じる役者、密閉され現実と隔離された空間としての劇場と、非現実的な、しかし現実に起きている戦争といった、虚実の対比が台詞や演出に組み込まれている。とりわけ、「最後に女が死ぬ」という予想された終結をユディトが台本を破ることで覆し(原作で新妻は死なないのだが)、ストロボライトで観客の目をくらませると同時に、舞台後方のシャッターが開いてその先の県道を見せる演出は、狂宴によって日常から観客を断絶する劇場の特殊な閉鎖性を強調していた。

『りすん 2025 edition』

最後は、劇団「少年王者舘」を率いてきた天野天街が脚本・演出を手がけた『りすん』を取り上げる。名古屋市では千種文化会館で上演され、筆者はアフタートークのみ千種で参加して多治見文化ホールで観覧した。天野天街は、1982年に劇団「少年王者舘」を立ち上げ、40年以上名古屋を拠点として作劇と演出を手掛けてきた。『りすん』は、名古屋市出身の小説家である諏訪哲史の同名の小説を天野の脚本・演出で舞台化したもので、初演は2010年、第1回目の「あいちトリエンナーレ」の共催事業として、七ツ寺共同スタジオによるプロデュースで実現した。2023年には13年ぶりに再演され、クリエイションツアーとして三重・愛知・高知を巡った。2010年版では登場人物は4人で、コロスが舞台を取り囲んでおり、クライマックスでは舞台上でコロスも加わった10数名による群舞があったようだが★6、2023年版ではオーディションで選ばれた加藤玲那と菅沼翔也、少年王者舘の宮璃アリという3人の役者での構成となった。しかし2023年版の再演を計画していた2024年7月、かねてより闘病していた天野が逝去した。そのため、俳優として長年天野演出の舞台に出演し、自身も舞台の演出やプロデュースを務める小熊ヒデジが演出を引き継いだ★7

『りすん 2025 edition』舞台写真[撮影:羽鳥直志]

三方を観客に囲まれた舞台の上で繰り広げられるのは、病室で骨髄がんに沈む妹・朝子と、彼女を見舞う血のつながりのない兄・隆志の会話劇である。原作である諏訪の『りすん』は、諏訪が「完全会話体」と呼ぶ、叙述が一切なく、括弧で括られた人物の発話表現でのみ構成されており、兄妹の対話は互いが互いを「お兄ちゃん」「朝子」と呼ぶことで発話者を措定できるようになっている。小説の前半は、妹が4歳まで過ごした中国の話、父が経営していた海辺のホテルの話、その後兄が目撃した廃墟となったホテルの話などが他愛ない調子で続く。しかし中盤、カーテンで区切られた隣のベッドの女性が兄妹たちの会話を録音してそれを書き取り、その女性を見舞いに来る男性がそれを小説にしていること、そしてその小説は妹が難病で死んで兄が残されるという常套的プロットであることに彼らは気づき、その「書かれた」運命から逃れようとする。つまり、小説の生成過程が物語にあらかじめ組み込まれており、登場人物である兄妹がその構造に抗うという、メタフィクション批判の試みだ。

一方の天野は、舞台上で言語が生むフィクションの問題を扱ってきた。これは例えば、舞台上の人物が観客席の頭の上に向かって「空が見える」と言った場合に、たちまちそこに仮想的な空が立ち現われる、あるいは、舞台上の人物に向かって「一郎」と呼びかけた場合に、その人物がたちまち「一郎」になる、この現象である。

舞台版『りすん』は、原作の筋書きや台詞に概ね準拠していて、登場人物たちは病室にいながらつねにここではないどこかの話をしたり、「ポンパ」といった意味を持たない言葉で戯れたりする。これらは舞台において、観客の頭上に洛陽やホテルを立ち上げたり、指示対象のない言葉の氾濫を招いたりする。舞台上での朝子が口にする食べ物や飲み物が本物であるのも、記号を介さずに具体を具体として提示しようとする演出だろう。だが舞台上で思いがけなく発された言葉でも、それはあらかじめすべて「書かれていた」。天野の舞台演出として典型的な、俳優の発する台詞に合わせて録音された同じ音声が重ねられる仕掛けも、この物語の構造を際立たせている。物語構造に気づいてから、舞台にないものをあるかのように登場人物が振る舞い始めるのは、彼らが舞台上の言語ルールに自覚的になるからだろう。

『りすん 2025 edition』舞台写真[撮影:羽鳥直志]

天野の演劇と諏訪の小説に共通点は、失敗すると知りながら、ジャンルの構造から脱却しようと抗う態度にある。諏訪のデビュー作『アサッテの人』が芥川賞を受賞したことを機に実現した対談で、天野は「お互い似通ったある思考の偏り、通底する匂いを感じます」と述べている★8。また、『りすん』文庫版の追記には、二人が芸術が必然的にもつ形式に歯向かったのち敗北する「戦友」と双方を認めて盃を交わしたことが書かれている。演劇のラストシーン、暗転後に朝子は客席にいて、そこから「お兄ちゃん、出られたよ!」と叫ぶ。しかしアングラ演劇にあってはなおさら、客席は舞台の一部でないとは言えない。

七ツ寺共同スタジオの25周年を記念して刊行された書籍のなかで演劇評論家の西堂行人は、「アングラは終わった、小劇場は死滅した」と明言する★9。新劇と既存左翼を敵としたカウンターカルチャーとしてのアングラは当然失効している。アヴァンギャルド含めアングラ界は多分にホモソーシャルだったので、その点でも時代にそぐわなくなった。とはいえ、1960年代から名古屋に息づくアングラ演劇の水脈は、これもまた確かなものだ。いまさら彼らを共通の源流に括るのは無粋かもしれないが、アングラ好きとして再度言わずにはおけない。名古屋にはまだアングラが生きていると。


★1──下記の研究書を参考とした。
西堂行人『日本演劇史の分水嶺』(論創社、2024)
梅山いつき『アングラ演劇論 : 叛乱する言葉、偽りの肉体、運動する躰』(作品社、2012)
岡室美奈子+梅山いつき編『六〇年代演劇再考』(水声社、2012)
★2──「ゴミ裁判」については、下記の論考に詳しい。
石崎尚「美術家たちの集団行動」(『アイチアートクロニクル 1919-2019』、愛知県美術館、2019、pp.166-177)
★3──「原智彦が語る『平凡』の達人:岩田信市」(『REAR』41号、2018.3.30、p.40)
★4──長坂英生編『写真でみる戦後名古屋サブカルチャー史』(風媒社、2023)p.151
★5──「Interview:『この人と…』ハラプロジェクト主宰 原智彦さん」(『なごや文化情報』387号、名古屋市文化振興事業団、2019.6.25、p.8)
★6──二村利之+篠田竜太編『連動する表現活動の軌跡:七ツ寺共同スタジオ40周年記念出版空間の祝杯』(七ツ寺演劇情報センター、1999)p.103、105
★7──2023年版の再演については、下記の記事に詳しい。
https://spice.eplus.jp/articles/339144(2025年7月26日閲覧)
★8──「来るか“名古屋芸術”時代」(『名古屋タイムズ』、名古屋タイムズ社、2008.1.1、p.20)
★9──七ツ寺演劇情報センター編『七ツ寺共同スタジオとその同時代史:七ツ寺共同スタジオ25年周年記念出版』(あるむ、1999)p.68


ハラプロジェクト七ツ寺共同スタジオ公演『絵本弁慶記』
会期:2025年6月18日(水)~22日(日)
会場:七ツ寺共同スタジオ(愛知県名古屋市中区大須2-27-20)
原作:岩田信市
構成・演出:原智彦
公式サイト:http://haraproject.com/archives/info/20250423


体現帝国『見えない青髭公の城』
会期:2025年4~6月(毎週土曜日の夜に上演)、追加公演:7月4日(金)〜7日(月)
会場:体現帝国館(愛知県名古屋市南区内田橋1-6-10)
原作:グリム童話『青髭』より
演出:渡部剛己
公式サイト:https://taigenteikoku.com/mienaiaohigekonoshiro_20250405/


地域公共劇場連携事業『りすん 2025 edition』リ・クリエイションツアー
会期:2025年7月11日(金)〜13日(日)[名古屋公演]/2025年7月26日(土)、27日(日)[多治見公演]
※ほか3都市で上演
会場:名古屋市千種文化小劇場[ちくさ座](愛知県名古屋市千種区千種3-6-10)/多治見市文化会館 バロー文化ホール(岐阜県多治見市十九田町2-8)
原作:諏訪哲史『りすん』(講談社文庫刊)
演出:小熊ヒデジ+天野天街
脚色:天野天街
公式サイト:
https://www.bunka758.or.jp/event/chikusa/details/_1_2.html
https://www.tajimi-bunka.or.jp/bunka/event20250726.html