
発行所:論創社
発行日:2024/03/30
公式サイト:https://ronso.co.jp/book/2377/
今年は戦後80年の節目の年にあたるが、まさにその終戦を境にして始まった悲劇がある。それが、1945年から56年まで続いたシベリア抑留である。第二次世界大戦末期の1945年8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を破棄して満洲および朝鮮半島北部に軍事侵攻する。これにより50万人以上の軍人・民間人が捕虜として抑留され、最長11年にわたり強制労働に従事した。正確な人数は不明だが、この間、極寒のシベリアでの重労働や食糧不足により5万5000人以上が亡くなったとされる。
本書『シベリア抑留下の芸術と人間』は、このシベリア抑留を経験した人々の芸術活動をめぐる圧巻の研究書である。従来、元抑留者の芸術活動といえば、画家・香月泰男(1911-1974)の「シベリア・シリーズ」や、詩人・石原吉郎(1915-1977)の「シベリア・エッセイ」をはじめ、シベリア抑留を生き延びて帰国した人々のそれが広く知られてきた。これに対し、彼らが抑留中にどのような芸術活動に従事していたかということは、ほとんど明らかにされてこなかった。これはある意味で当然のことである。なぜなら、捕虜たちは抑留から帰国にいたるまで、強制労働に従事していた日々の「記録」を保有することを原則的に禁じられていたからである。ただし例外的にそのうちのごく一部が、生存者たちの脳裏に「記憶」されることで忘却を免れた──従来、シベリア抑留者たちの芸術活動は、そのようなわずかな痕跡を通じてのみ知られてきた。
なるほど、詩歌ならばその一部を記憶することもできるだろうし、なかには四國五郎(1924-2014)のように、抑留中の日記を「豆本」にして何とか持ち帰ったケースもある。これに対して、さまざまな芸術・文化活動のうち、とりわけ記録に残りにくいのが音楽と演劇である。本書によれば、旧ソ連の日本人捕虜収容所(ラーゲリ)には少なくとも88の楽劇団があったというが、これは過去に抑留当事者によって語られてきた総数をはるかに上回るものであった。なぜそのような食い違いが生じたのか。従来、ラーゲリにおける芸術・文化活動の実態は、抑留者たちの証言に依拠するものがほとんどだった。本書の著者もまた、文献調査のみならず、抑留経験者へのインタビュー調査を行なっている。だが本書が既存の研究書と大きく異なるのは、執筆の過程で、ソ連の公文書をはじめとする軍事関係の資料を数多く参照していることだ。本書のはじめに記されているように、このような研究は、日本とロシアの二国にまたがって研究調査を続けてきた著者だからこそなしえたことである。
本書の読みどころは何よりも、膨大な史料に根ざした歴史的発見の数々にある。そのうえで言えば、『シベリア抑留下の芸術と人間』と題された本書が問いかけるのは、強制収容所という極限的な状況におかれた人間にとって、芸術活動とはいったい何であったのかということである。むろん、それは「生きる希望」のような美辞麗句にのみ回収されるものではない。さまざまな制約があったとはいえ、数多の日本人捕虜たちが芸術活動に従事することができた背景には、これを管理するソ連軍の思惑も少なからず関与していたはずだからである。本書はそうした俯瞰的な視座を確保しつつも、今日まで奇跡的にその痕跡をとどめてきた芸術活動を可能なかぎり誠実に復元・継承することを試みる。とりわけ、元抑留者が所持していた楽器バソンをめぐる周到な調査(第5章)や、ラッパ付きヴァイオリンの再現プロジェクト(第10章)など、楽器をはじめとする事物の追跡から未聞の事実を明らかにしていく筆致は、ほかの研究書にはない本書ならではの美点である。
執筆日:2025/08/12(火)