
翻訳:松葉祥一、椎名亮輔
発行所:インスクリプト
発行日:2025/06/30
公式サイト:https://inscript.co.jp/b1/900997-79-0
ジャック・ランシエールは、政治と美学をおもなトピックとして、そこに潜在する力学をつまびらかにする。その仕事はすでに日本でも翻訳が多数存在し、昨年はランシエールの美学・芸術思想に関する仕事を、彼の取り上げる思想家たちと比較検討しながらマッピングした鈴木亘『声なきものの声を聴く──ランシエールと解放する美学』(2024、堀之内出版)も出版され、いわゆるフランス現代思想のなかではアクセスのしやすい人物となっている。
1940年生まれのランシエールは、アルセチュール派の政治哲学者としてキャリアを開始し、今世紀に入るまではマルクス主義の論客としての顔がよく知られていた。しかし、その政治的な仕事のみならず『カイエ・ドゥ・シネマ』といった批評誌への映画論の寄稿や、美術をはじめとした広くイメージをめぐる芸術論が英語圏に波及し、2010年を前後するころにはコンスタントに日本でもその仕事が紹介されるようになった。現代アートに関心を持つ読者であれば、二コラ・ブリオー『関係性の美学』(1998/邦訳:辻憲行訳、水声社、2023)に対する批判者の一人としてその名を聞いたこともあるはずだ。
そしてこの度、2004年の著書である『美学における居心地の悪さ』が翻訳された。同書はランシエールの仕事のうち美学・芸術論に分類される著作であるが、政治的な面も含めて著者の特徴がしっかりと刻印された一冊になっている。しばしば晦渋とも評されるランシエールの文体であるが、筆者はそうは思わない。たしかにその思想史を踏まえた論述はリーダブルではないものの、彼の文章には一貫した論理が流れている。
例えば『美学における居心地の悪さ』において、序論の次に収められている「政治としての美学」には、芸術の体系を打ち立てるための定義「三つの体制」について、彫像の鑑賞を例にしながら述べられている。これは他の著作でも繰り返されるランシエールのイメージ(受容)論の根幹を成すものだ。まず最初の「イメージの倫理的体制」とは彫像(イメージ)と芸術を区別しない体制であり、その次に定義されるのが、表現形式への適合度合いが価値判断として下される「芸術の表象的体制」、そして最後が、「芸術の美学的体制」だ。この最後の体制では形式への適合(つまり技術)だけでは芸術は固有性を与えられず、それは「ある特殊な感覚」によって判断がなされるという。そして「芸術の美学的体制」において、共同体ごとに感覚は──分割/共有という両義性を孕みながら──「分有 partage」されていく。そしてこの感覚の(再)分配こそが、政治を生むのである。
(後編へ)
執筆日:2025/07/31(木)