会期:2025/07/07〜2025/07/13
会場:座・高円寺1[東京都]
脚本・演出:堀越涼
音楽監督・作曲:吉田能
公式サイト:https://ayame-no18.com/kinkei02/
1925年3月22日、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)によって日本初のラジオ放送が行なわれた。その後、戦争を挟み1953年2月1日にはテレビの本放送が開始。やがてテレビが一般家庭にとってもなくてはならないものとなっていったことは周知の通りである。日本における放送100年を迎えた今年2025年、あやめ十八番『金鶏』二部作が描き出すのは、テレビジョン放送開始に至るまでの軌跡とそれに携わる人々の情熱だ。すでに第一弾として音楽劇『金鶏 二番花』(脚本・演出・作詞:堀越涼、音楽監督・作曲:吉田能)が7月に上演され、9月20日からは第二弾となる草創記『金鶏 一番花』(脚本・演出:堀越涼、音楽監督:吉田能)の上演を予定。前作の好評もあってか、すでにチケットが少なくなっている回もあるので気になる方は早めのチェックを。ここでは草創記『金鶏 一番花』に向けて音楽劇『金鶏 二番花』を振り返っておこう。
物語は2025年のNHKのスタジオから、草創期からテレビに関わってきた二人の女性が来し方を振り返るかたちで展開していく。日本初のテレビジョン女優と呼ばれた黒柏繭(中野亜美)と元NHKアナウンサー・出雲幹(丸川敬之)の妻・土佐喜代子(金子侑加)。実は喜代子は黒柏が女優を志すきっかけとなった人物でもあって──。
[撮影:富田一也]
本作は主要な登場人物だけでも18人、休憩を挟んで2時間45分の大作であり、そのスケールにふさわしく大河ドラマのごとき仕上がりとなっていた。同期として切磋琢磨しつつ実験放送の現場で悪戦苦闘する出雲と宮義勝(浜端ヨウヘイ)のNHKアナウンサーペアを中心に、彼らとともにテレビジョン本放送の実現を目指す人々の姿とそこに宿る情熱を描いた群像劇は、バリエーションも豊かな楽曲とともにテンポよく展開して観客を飽きさせない。やがて出雲は喜代子との結婚を決め、宮は「放送の民主化」の象徴となるべき新番組『お歌自慢素人音楽会』の司会が決まる。「駆け上がるんだ時代の寵児 目指せテレビの大スター 素敵な商売 アナウンサー 全てこの手で 掴むんだ」。ところが、そう歌い上げたところで宮は喀血。一幕はここで終わる。
二幕で描かれるのは宮のサナトリウムでの日々と、その間も進み続けるテレビ放送の現場の姿だ。宮はそこで最愛の人・大蔵ハナ(内田靖子)と出会い、そして死別することになるだろう。一方、出雲と喜代子は黒柏と出会う。出会いの舞台は、出雲が宮の代打を務め、喜代子と二人で司会を務めることになったラジオ番組『お歌自慢素人音楽会』だ。喜代子に憧れる黒柏は、喜代子の所属するNHK放送劇団にスカウトされるために出場したのだという。だが、彼女が歌い出した曲を聞いて出雲と喜代子は愕然とする。「愛おしいもの」というタイトルのその曲は、かつて出雲と喜代子とを結びつけた曲でもあったからだ。戦地から戻るも、人殺しの声を放送に乗せるわけにはいかないと頑なだった出雲の心を溶かしたものこそ喜代子の歌声だったのだ。さらに後には、その詞がGHQ下の民間情報教育局(CIE)として出雲らを管轄していた南木(鈴木真之介)の手によるものだったことも明らかになる。もともと翻訳家だった南木は、かつての仕事相手と戦わなければならない戦争に心を痛め、その詞を書いたのだという。彼もまた喜代子の歌に救われたひとりだった。人々は文化と芸術を通して運命的に引き寄せられ、復興の明かりをともに灯す同志となっていく。群像劇としての『金鶏 二番花』の面目躍如といえるエピソードだろう。
そう、技術の進歩とともに日本は復興していく。「金鶏」というタイトルは「傾きかけた我が国を、立て直すだけの価値がある」金の卵を生む鶏が日本のどこかに埋められているという「金鶏伝説」にちなんだもので、本作においてはテレビジョンがその「金鶏」になぞらえられている。だから、この作品においてテレビジョン本放送の成功は日本の復興とニアリーイコールのものとしてある。その到達点として置かれているのが『紅白歌謡合戦』の場面だ。
圧巻はクライマックスのメドレーである。結核から回復した宮と出雲とがともに司会を務める『紅白歌謡合戦』。二人にとっての晴れ舞台はしかし、杜撰なタイムスケジュールのせいで進行が押しに押していた。このままでは放送時間に収まらない。と、出雲が打ち出した奇策がメドレーでの演奏であった。だが、そこで聞こえてくるのは『紅白歌謡合戦』の曲ではない。登場人物総出で歌われるのは、ここまで音楽劇『金鶏 二番花』の劇中で歌われてきた楽曲の数々なのだ。音楽劇という趣向はこのためにこそ導入されたものだろう。ミュージカルでいうリプライズのように、あるいは走馬灯のように、テレビジョンの本放送開始と『紅白歌謡合戦』の放映という大団円に至るまでの苦闘と情熱とが再び歌い上げられ、観客もまた登場人物たちとともに来し方を振り返りながら終幕へと向かうのだった。
魅力的な登場人物や筋書きはまだまだ多く、しかし残念ながらここで紹介できたのはそのごく一部に過ぎない。劇団公式サイトからは台本を購入することができるので、ぜひ自身の目で確認してほしい。
[撮影:富田一也]
さて、音楽劇『金鶏 二番花』がエンターテイメントとしてきわめてよくできた、感動的な作品であったことは間違いない。しかしだからこそ、最後にひとつ疑義を呈してこのレビューを終えたい。問いたいのは、この作品における戦争の描き方である。基本的には戦後の復興期を描いたこの作品において、戦時中の出来事はその前史に過ぎないということはできるだろう。だがそれにしても、作中での戦争への言及は、あまりに日本の戦争被害にのみ焦点が当たってはいなかっただろうか。なるほど、出雲は自らの声を人殺しのそれだと責めるが、そこに被害者の姿はない。描かれているのはあくまで日本兵の抱えるトラウマや罪悪感に過ぎない。スマトラの慰安会で上演されたという歌舞伎のエピソードも、苦境にある日本兵を慰めるものとしてのそれでしかないことは言うまでもないだろう。あるいは南木は戦時中の放送を「軍部の手によって、ラヂオは洗脳の手段に成り下がっていた」と振り返り、だからこそ「放送の民主化」をと主張するのだが、ここにも洗脳された日本国民は被害者なのだという構図が透けて見える。穿った見方をすれば、この作品における「戦争」は「復興」を際立たせるための背景でしかないようにさえ思えるのだ。9月の草創記『金鶏 一番花』は「テレビジョンと歌舞伎、文化と戦争についての物語」だという。第二弾となるこの作品では果たして戦争はどのように描かれるのだろうか。
[撮影:富田一也]
読了日:2025/07/12(土)
関連リンク
あやめ十八番 第十八回公演 草創記「金鶏 一番花」:https://ayame-no18.com/kinkei01/