弘前れんが倉庫美術館は、今年開館5周年を迎えた。「キュレーターズノート」執筆の機会をいただいたのは当館にとって初めてということもあり、本稿では、始めに当館の歴史について触れておきたい。そこから、現在開催中の展覧会「ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」について、当館が地域の美術館として目指してきた姿を振り返りつつ、紹介する。
ローカルとグローバルの接続
弘前れんが倉庫美術館の前身となる煉瓦倉庫は、1923年、日本酒の酒造工場として、地元の実業家・福島藤助により建てられた。戦後には、日本で初めて大々的にシードルが生産された場所でもある。シードル工場としての役目を終えた後、活用のあり方が探られるなかで、2000年代、弘前出身の奈良美智の展覧会が開催された。2002年、2005年、2006年に行なわれた展覧会は、弘前市民を中心にしたボランティアの力で運営され、成功を収めた。この三度の奈良展の開催をひとつの大きなきっかけとして「煉瓦倉庫をアートの拠点に」という市民の声が高まり、美術館誕生へとつながった。
2017年からの改修工事にあたっては、建築家の田根剛がコンセプトに「記憶の継承」を掲げ、もとの建物の特徴を可能な限り残すことが重視された。2020年、現代美術館として開館した当館は、地域の産業や文化、それらに尽力した人々の歴史の積み重ねの上に存在している。
「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」(2006)開催時の煉瓦倉庫外観 [画像提供:NPO harappa]
当館では年2回の企画展に加えて、リサーチ・プログラム「弘前エクスチェンジ」を開催し、国内外の作家を紹介している。また、開館に先立つ2019年度から作品の収集活動を進めてきた。当館のコレクションの特徴は、コミッションワークを軸とする点にある。開館準備段階から多くの作家が弘前や青森県内でのリサーチや滞在制作を行なってきた。
これまでの展覧会には、弘前やこの煉瓦倉庫にゆかりの作家が複数参加している。一方で、割合としては、普段は国内外で活動し、当館での展覧会を機会にこの地を初めて訪れたという作家が多くを占める。普段はグローバルに活躍する、外からやってきた作家たちが、弘前の風土や文化に出会うことによる、新たなエネルギーの誕生を重視しているからだ。すでに「グローカル」という言葉は存在するが、当館ではまさに、地方の美術館として市民にもなじみのゆかり作家の作品を紹介する役割を担いつつ、外からこの土地を訪れた作家たちの視点も積極的に取り入れることを意識してきた。その背景には、展覧会を見て美術館を後にしたときに、市民にとって馴染みの街の風景が違って見えてくるような体験につながれば、という思いがある。
「ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」
2025年4月から開催している展覧会「ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」もまた、異なる場所と時間の接続と新たな視点の誘発を試みる展覧会である。食べ物とそれを取り込む身体や、人間と動物が重なりあうような神話的なイメージを描き出す川内理香子の絵画や刺繍、外来種を含む動植物が生息する水槽をつないで循環させることで、生き物が影響し合うあらたなシステムを作り出す渡辺志桜里のインスタレーション《サンルーム》(2017- 継続中)、SIDE COREによる、スケーターたちが東京の地下空間を滑走する《rode work ver. under city》(2023-2025)と、青森の竜飛岬で、失われた風景をたどる《looking for flying dragon》(2021)の二つの映像作品など、作家たちの実践は、人間とそのほかの動植物、保護される生物と排除される生物、都市と地方といった、一見対立する要素の境界線を飛び越えて、揺らがせる。
「開館5周年記念展 ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」(弘前れんが倉庫美術館、2025)展示風景 [Photo: Keizo Kioku]
加えて本展では、開館以来初めての試みとして、現代の作家たちの作品と、こぎん刺しや土器といった地域の歴史文化にまつわる資料もともに紹介している。本稿では、うち、こぎん資料について触れたい。
繊細で美しい幾何学模様で知られるこぎん刺しは、青森県津軽地方の農村の女性の間で受け継がれてきた刺し子(重ねた布を手で細かく刺し縫いにする技法)である。江戸時代、綿花が育たなかった寒冷地の津軽潘では木綿の着物の着用が制限されていた。代わりとなった麻の布は目が粗いために冷たい風を通しやすく、防寒や補強のために麻布の織り目を糸で刺し埋めたことが、こぎん刺しの始まりとされる。津軽の農村の女性たちは、長い冬の期間、家の中にこもってこぎん刺しに勤しんだ。約40種類ある小さな「基礎模様」が組み合わされ、より複雑で大きな「連続模様」が生み出される。こぎん刺しは、生活に必要な技術であると同時に、当時の女性たちにとってのささやかな楽しみであり、自分を表現する手段でもあった。
今回は特に、弘前市内の博物館や個人の展示館で大切に保管されてきたこぎんを展示している。江戸から明治期にかけて津軽地方で作られたこぎんは、収集地により、「西こぎん」「東こぎん」「三縞こぎん」の大きく三つの模様のパターンに分類される。他方で、そこには分類や規則に収まりきらない創造性が示されている。
本展で紹介している、こぎんの着物の身頃(胸や肩、背にあたる部分)を例に挙げてみよう。このこぎんは、旧岩木町(現弘前市)で生まれ育ったこぎん収集家、石田昭子氏(1928-2021)が、昭和30年代に収集したものであり、収集地から判断すると「西こぎん」に分類される。しかし、西こぎんの特徴としてよく知られる、肩の縞模様(重いものを背負うときの補強の役割を果たしていた)や、模様を切り替える際の区切り線などは見られない。その代わりに、ひとつの模様から次の模様へと自然に切り替わり、模様の展開も緻密で多様である。収集地ごとに分類される際には気が付きにくい、できる限りたくさんの模様を刺し込みたい、という刺し手の声が聞こえてくるようだ。
「開館5周年記念展 ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」(弘前れんが倉庫美術館、2025)展示風景。壁面左:「西こぎん(身頃)」(ゆめみるこぎん館蔵、江戸〜明治時代頃)。壁面右:「西こぎん(着物)」(佐藤陽子こぎん展示館蔵、江戸〜明治時代頃)。西こぎんの典型的なパターンを見てとれる。 [Photo: Keizo Kioku]
こぎんの展示空間を抜けると、目に飛び込んでくるのが川内理香子の作品だ。川内は、食への関心を起点に、自らがコントロールできない「他者」への意識から、身体に影響を及ぼす食べ物や、体内で動き続ける臓器などのイメージを作品に取り入れる。さらに、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースの著書『神話論理』における、人間の文化の始まりには食や身体が関係しているとする思想との出会いから、その作品には神話のような世界観が立ち現れている。本展では、ドローイングとペインティングに加えて、川内が2024年から新たに取り組む刺繍の作品群を紹介している。
大型刺繍《CACTUS》(2025)は、本展のために制作された新作である。画面には、異なる質感と色合いの糸と布が使用され、人体や臓器、熱帯の動植物、砂漠の地形が現れている。人間の頭部とサボテン、臓器から伸びる血管と木の枝など、形態が共通するモチーフが重なり合うように配されることで、異なるイメージ同士が思いがけず結びつき、物語性を強く感じさせる。本作では、川内が布地のセレクトや色の組み合わせを決め、手がけた下絵をもとに、パタンナーが線を刺繍するという協働が行なわれている。川内は、こうした制作過程について、複数人の刺し手が円になり作業するうちに、自然とのたわいのない会話が生まれ、相手との即興的なやりとりのなかで話が膨らんでいくような光景が、神話が生まれる瞬間を連想させるものであったと振り返っている。画面の変化に立ち会うなかで、その状況に呼応するように、当初の下絵にはなかったイメージを付け足しながら、重層的に仕上げていったという。★
「開館5周年記念展 ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」(弘前れんが倉庫美術館、2025)展示風景 [Photo: Keizo Kioku]
川内理香子《CACTUS》(2025) [Photo: Keizo Kioku]
ここで再びこぎん刺しに目を向けてみよう。そこでは、奇数目で糸を拾う厳密なルールにもとづき、組み合わされる模様には一定のパターンがあるものの、既述の身頃の例のように、全体像をいかに構築するかは縫い手に委ねられている。こうした、時に偶然性や即興性を内包する、柔軟な創造のあり様を拠り所としてみたとき、遠く生まれた時代と場所を隔てた川内作品とこぎん刺しが、連なりを持って見えてくる。
半径1mの世界から
「ニュー・ユートピア」展では、開館以来のコレクションも改めて紹介している。改修中の記録から生まれた畠山直哉の《吉野町煉瓦倉庫》(2017-2018)や藤井光の《建築 2020年》(2020)、作家が弘前の街で出会った人々の肖像が描かれたナウィン・ラワンチャイクン《いのっちへの手紙》(2020)を始め、建物や土地の歴史と密接に結びつく作品が多く含まれている。そのうちのひとつ、小林エリカによる《旅の終わりは恋するものの巡り逢い》(2021)は、2021年度の展覧会「りんご前線—Hirosaki Encounters」で発表された。作者の祖父がかつて弘前陸軍第八師団の軍医であり、父が弘前で生まれた(祖父と同じく医師となった父は、のちに小説『シャーロック・ホームズ』シリーズの翻訳家となった)という家族の歴史から生まれた作品である。祖父と父、そしてシャーロック・ホームズの生みの親である作家コナン・ドイルの、戦争に否応なしに巻き込まれながらそれぞれの時代を生きた3人をめぐるインスタレーションである。
小林エリカ《旅の終わりは恋するものの巡り逢い》(2021)「開館5周年記念展 ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」(弘前れんが倉庫美術館、2025)展示風景 [Photo: Keizo Kioku]
「自分の半径1mの世界を掘り下げていくことで大きな世界に出会う」——本作の初展示中、小林をゲストに迎えた読書会での作家の言葉が、筆者の心に強く印象に残っている。ここにも、家族の存在のように、自分だけがよく知っている(と思っている)ローカルな視点を突き詰めることが、不特性多数の人々と共有しうる、より普遍的でグローバルな問いにつながる豊かさが示されている。筆者にとってこの言葉は、この地域や美術館にどう向き合えば良いのか立ち止まるとき、外からやってきた自分がこの土地で暮らすなかで抱えた問いや感覚を捕まえることに帰ることを、思い出させてくれるものでもある。
今生きる場所で、私たちが自分自身や社会に対して抱えるぐるぐるとした小さな思考が、時間や場所を越えて、誰かの感じていた/いることとつながる感覚が生まれるところ。開館からもう、でもまだ5年、この美術館がそんな場所になっていけるようにと、心を新たにしている。
★──「ニュー・ユートピア」展オープニングトーク(2025年4月5日)での作家の言葉より。トーク全編の記録は当館のYoutubeチャンネルで公開している。