会期:2025/09/02
会場:Gallery SUGATA[京都府]
公式サイト:https://www.fukuihirotaka.com/ysn

創業1720年の京都の着物メーカー問屋「矢代仁(やしろに)」が取り組むプロジェクト「YSN(ゆっくり しっかり のこす)2025」の一環として、演出家の福井裕孝がワークショップ参加者とともに取り組んだ演劇の上演。同プロジェクトでは、さまざまな分野の専門家と協働し、着物と「着ること」について考える4つのケーススタディを実施している。テクニカルディレクターを中心とする技術者集団が着物の着用時の「シワ」をモーションキャプチャーで分析する第1回、「正しい着付」について着付教室や社会学者と考える第2回、「着物を着るときの音」をグラフィックデザイナーが録音して可視化する第3回。第4回では、家族から受け継いで箪笥にしまい込んだ着物をどうしたらよいのかわからない、愛着や責任を感じるので簡単に処分できないなど、着物にまつわる「もやもや」に向き合い、着物との関係を整えるためのワークショップを5人の参加者と実施した。具体的には、所有する着物を持ち寄って着物にまつわる記憶を語り、具体的な出来事を再現してもらう。福井はこれまで、日常的な「もの」、それを使用する人間の行為、それらが占める空間との関係性を生態観察し、「演劇」として再編する上演を行なってきた。

今回の上演では、ワークショップ参加者のうち、4人が出演。1人ずつ登場し、持ち寄った着物などを前に、ものにまつわる記憶を福井が聞いていくインタビュー形式の前半と、奥の空間に移動して「出来事の再現」を行なう上演の後半で構成される。

本作は、出演者それぞれの語りの内容の奥深さとともに、「眺める」ものから「日常的に使う」ものへと次第に「着物との距離」が近くなりつつ、最後に「演劇」に自己回帰する構成が秀逸だった。また、着物にまつわるファミリーヒストリーの語りとともに、台湾からの引き揚げ、茨木県の農村の開拓、日本人の洋装化の始まりなど、日本の近現代史という壮大な射程が引き出されてくる点も興味深い。


[撮影:山口梓沙]

1人目の出演者(つくだはるか)は、戦後に台湾から引き揚げた祖母から譲り受けた着物を持参。祖母のイメージと反する鮮やかな色の着物に驚くと同時に、裕福だったという台湾時代の名残や大切に保管されてきたことがわかる。仕事で京都に拠点を持ったことを契機に、着物をあつらえるようになったつくだは、「自分が着るかも」という視線で祖母の着物を見直すようになったが、祖母が小柄だったため難しく、「上演」では、吊るされた着物を観客とともにただ眺める時間が流れた。


[撮影:山口梓沙]

京都の西陣に住む2人目の出演者(はしもとさゆり)は、西陣という土地柄、解体される近所の呉服屋から何着も譲り受けた着物を持参した。はしもとは、着物を仕立て直したブラウスで登場。「靴下の繕い屋」として活動し、日本人と靴下の歴史を調べたことを語った。兵士が軍靴の下に履くために靴下を初めて着用し、勤め人や女学生に広まったこと。昔は繊維が弱くて破れやすく、妻や母が家で繕っていたこと。かつて日本人にとって洋服は「外で頑張るための服」であり、和服は家でくつろぐためのものだったように、「日常のものとして着物を着たい」とはしもとは語る。「上演」では、たとう紙に包まれた着物が、一着ずつ広げられた。


[撮影:山口梓沙]

はしもとの思いを引き継ぐように、3人目の出演者(黒沼雄太)は、開拓民として茨城県に移住した祖父の遺品と、自分との関わりについて語る。大工仕事もできた祖父は、DIY精神で家も庭も自分でつくったこと。農地開墾への貢献が表彰され、黄綬褒章を受章したこと。新しく開拓された村には祭りがないため、周辺地域の祭り囃子をリミックスしてつくったこと。その祭りで祖父が着ていた浴衣と帯(と思われる布)を譲り受けた黒沼は、夏祭りで浴衣を着用し、帯はゲーム機を包む風呂敷として使用している。黒沼は、「仕事できちんと自分のものをつくっているか」と問いかけてくる祖父の遺品を、日常生活で使いながら身近に置いているという。「上演」では、浴衣と帯に加え、大工道具、実用書、黄綬褒章受章の記念品などが、黒沼の自宅での普段の配置場所を再現するように置かれたなかで、日常動作がマイムで再現され、帯に包んだゲーム機をリュックに入れて黒沼が立ち去る。


[撮影:山口梓沙]


[撮影:山口梓沙]

一方、4人目の出演者(伊藤千鶴)の前には、何もものがない。着物を持っていないという伊藤は、俳優である自分と着物の関わりについて語り始める。俳優養成所の卒業公演で、一家の女主人の老婆を演じたときの苦労。ソーントン・ワイルダーの戯曲『ロングクリスマスディナー』を日本に置き換えた『長いお正月』(翻案:長岡輝子)では、北海道へ開拓移民として渡った一家の大河ドラマが、「正月の定点観測」という手法で描かれる。一家の女主人の代替わりの象徴となるのが、紋付きの黒い羽織だ。「羽織を床に落として去る」という仕草で姑の死が暗示され、それを拾って着る嫁が世代交代を示す。着慣れない着物や老婆の演技の難しさに加え、羽織の落とし方を演出家に何度もダメ出しされたと伊藤は語る。「上演」では、羽織は登場せず、普段着の白いカーディガンをはおった伊藤が、カーディガンを脱ぐ、床に落として去る、拾って再びはおる動作を何度も繰り返した。反復のなかにわずかな差異があり、無造作に捨てたように見えるときや、未練を残しながら手を放すように見えるときもある。


[撮影:山口梓沙]

飾って眺めるものだった「着物の遠さ」が、たとう紙を開けて絞りや刺繍の凝った手仕事に触れるものへと縮まり、風呂敷として生活のなかにあるものへ。「着物との距離」が近くなっていく構成とともに、3人目の黒沼から4人目の伊藤への流れにより、「ものとしての着物を引き継ぐことで、内面や精神的なものも引き継いでいる」ことが焦点化された。また、伊藤が演じた戯曲と重なるように、個人の目線のファミリーヒストリーの断片を通して、日本の近現代史も視野に入ってくる。その意味で着物とは、「語り」を引き出すための媒体でもある。たとう紙から開けられる着物とは「記憶の開示」であり、それをしまう「箪笥」は記憶の貯蔵庫やアーカイブの象徴でもある。

一方、大切に引き継ぎたいものと同時に、「次世代に残したくないものや価値観」もあるだろう。「着物」はそうした両義性の象徴でもある。あるいは、「ものを通して何かを受け継ぐ」ことは、家族や血縁の外側でも、どう成立するのか。そうした思索が広がる上演だった。

なお、本作は、写真やテキストなどのアーカイブを公開する展示として、「YSN ゆっくり・しっかり・のこす 着物を考えるための調べもの 『うごく かさなる “きもの”になる』編」が10月1日〜12日にGallery SUGATAで予定されている。

関連レビュー

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鑑賞日:2025/09/02(火)