所在地:千葉県松戸市本町15-4 ハマトモビル
公式サイト:https://www.paradiseair.info/
※イベント時以外は一般公開されていません。最新情報は公式サイト、SNSをご参照ください。

ある日の一室の様子。短期・長期にかかわらず、アーティストごとに異なる様子のアトリエがあらわれる[筆者撮影]

なぜ移動は称揚されるのだろうか。

移動と階級』(伊藤将人著、講談社現代新書、2025)で著者は、「成功者は移動量が多い」といった言説や主張がどのような構造的問題と関わっているか、移動の権利がほかのさまざまな権利とどのように影響を与え合うのかといった論点を提示する。制度的な問題が個人の能力の問題として語られてしまうという、多くの問題にも通ずる論点を、移動という誰しも覚えのある行為を通じて端的に示しているのが本書の特徴だろう。

移動の問題はその時間的長短や空間的大小にかかわらず、また移動しないことやできないことも含めて、あまりに多くの問題に接続している。そして、大文字の社会の制度や慣習に囚われないかのように思われるアートの世界もまた、この問題と無縁ではない。

アーティストのキャリアにおいても、移動の多さやさまざまな土地を訪れることが推奨される向きはあるだろう。いろいろな助成に応募して、いろいろなアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)に応募したらいいよ、若いうちにいろいろな場所を訪れた方がいいよ。そういったことを言われたことはないだろうか? だが、移動できない人がいる。さまざまな理由が思い浮かぶ。病気や障害、特性による長距離交通や人混みへ向かうことの可否。経済的に出費が可能か。支援の必要な家族や友人、身近な人がいて遠方へ行くことができない状況にある、など。アートには社会の制度や規範を問うことがつねについてまわる。それにもかかわらず、知らず知らずのうちに価値観がそれらに引き寄せられていくこともある。

いま移動の価値観について言い直すならば、(あなたが)いろいろな場所を訪れた方がよい、のではなく、いろいろな場所を訪れたいと思ったときに訪れられる(ことを可能とする社会である)方がよいと言うべきだろう。

移動するにせよ、しないにせよ、それが本人の自己決定だと思える社会になっているかがつねに問われているのだ。

自分の身体を運んで異なる風土の場所へ行くこと、この体験をほかの何かに換えることは難しい。現地でしか感じられないことが多いというのは事実そうである。だが、だからこそ、風景画にせよ、写真にせよ、文学にせよ、あるメディウムは、私たち個人に固有の経験を異なるかたちであらわそうとした痕跡だと言える。つくることには、いま現在の私ではない誰か★1に向けて何かを伝えようとすることが伴う。何かを経験することと同じくらい、経験した何かを伝えようとする行為が重大であると、作家も鑑賞者も知っているはずだ。旅の話を旅人から聞くことは、私自身が旅をすることに劣ることではない。

だから、AIRの持つ価値のひとつは、ここにいなかった人たちが集まり語り合えるという点にあるだろう。ここでいう価値とは、街の人から見た価値でもあるし、訪れるアーティストにとってのそれでもある。

人が移動することで何が起きているのか。そしてそれは、移動する当人のみならず、移動しない人や移動できない人──つまりここでは、移動してきた人と出会う側にとってはどういう意味を持つのか?★2

千葉県松戸市に位置するPARADISE AIR(パラダイスエア)を例に挙げてみる。

PARADISE AIRは2013年より活動するAIR施設である。運営は一般社団法人PAIRで、同法人に関わるアーティストやアートマネージャー、建築家など、異なる専門性を持つフリーランスが集まって運営している。AIR事業の柱は3週間滞在の「ショートステイ・プログラム」と、3カ月滞在の「ロングステイ・プログラム」である。このほか、過去の滞在者を再受け入れする「ルックバック」や、国外のAIR施設や文化事業団体とのエクスチェンジを行なう「パラダイス・ノット」などがある。「ショートステイ」では滞在場所として一室が提供され、滞在期間中にオープンスタジオなどを行なうことができる。こうして一年を通じて、毎月異なるアーティストたちが訪れては去っていく。一方、「ロングステイ」は隔年開催で数組が選出される。滞在場所だけでなく、渡航費や制作費の補助があり、応募倍率は数百倍を超える人気プログラムである。滞在序盤のトーク、終盤の滞在報告会と、地域にもひらかれたイベント開催が必須となっている。どのプログラムも運営を担う面々がコーディネーターとして適宜サポートを行なっているが、発表内容は「作品」の完成を求めるものではない。ここではアーティストたちが、松戸で過ごした時間をあくまで人生の一部として連続したものとして取り扱えるようになっている。この経験がおのずと特別なものになるとわかりつつ、切り出すことを求めないようPARADISE AIRでは注意が払われている。

後編へ)


★1──あらゆる制作が、リレーショナルアートのようにあれと言うつもりは一切ない。ただ、自己完結的であっても、過去の/未来の私も「誰か」に含まれる。いま現在の私は、いま現在の私だけを相手どって作っているわけではないと思うがどうだろう。
★2──信州アーツカウンシルのゼネラルコーディネーター野村政之は、2021年より「アーティストの冬眠」を実施している。これは信州各所の宿泊施設や文化施設と連携して、遠方からのアーティスト滞在を受け入れるもの。これまで自身が移動して遠方のアーティストに会いに行っていたのを、逆に来てもらうかたちにしたものである。シンプルな転換ではあるが、アーティストにとっても街にとっても出会える人が増えていく。AIRもまた、場所に紐づいたものというより、人の移動だと考えると見方が変わる。


滞在日:2023/05~
※筆者は同施設にスタジオを構えている