
会期:2025/09/06~2025/11/03
会場:渋谷区立松濤美術館[東京都]
公式サイト:https://shoto-museum.jp/exhibitions/209inoue/
これほど強烈な作品を生み出す書家は、おそらくあとにも先にもいないだろう。高度な技術や道具を特に必要とせず、最も庶民的な題材である文字を大胆に、自由に、精魂込めて書き上げた井上有一。その作品はまさにプリミティブアートの形容がふさわしい。人間のサイズをはるかに超えた「花」「死」「貧」「母」などの作品を前にして、思わず立ちすくんでしまった。没後40年を記念した本展では、そんな井上の力強い作品の数々を紹介しつつ、さらに1970~1980年代、グラフィックデザインにたびたび起用された現象に焦点を当てている。

井上有一《花》1957年 墨・紙 個人蔵[© UNAC TOKYO]

井上有一《貧》1972年 墨・紙 京都国立近代美術館蔵[© UNAC TOKYO]
そもそも、井上の力強さはどこから湧き上がっていたのか。それは戦争体験と貧しさに尽きる。いずれも当時、多くの日本人が体験していた出来事であろうが、彼はやや稀有な例である。1945年3月10日の東京大空襲に見舞われた際、勤務先の小学校で米軍の爆撃を受け、一時仮死状態となった。その後、奇跡的に息を吹き返したという壮絶な体験をしたのである。個人の創造性が強く問われる芸術分野では、何を見聞きし、触れ、心に留めて、それをいかに自分のなかで醸成していくかが重要になる。その点で一度、死を見た井上から生み出される言葉やエネルギーほど強いものはないだろう。

展示風景 渋谷区立松濤美術館
高度経済成長期を経た1970~1980年代、福田繁雄や井上嗣也、田中一光、浅葉克己ら名だたるグラフィックデザイナーが井上の作品に目を付け、広告媒体に積極的に取り入れていったという動きは、確かにわからなくもない。この時代は周囲に戦争体験者が大勢いて、世の中が平和で豊かになる一方、先の大戦とまだ地続きでもあった。そのため何度も立ち止まり、反面教師的に過去を振り返る心持ちがあったように思う。なおかつ、戦後に成熟期を迎えたグラフィックデザインがどんどん洗練されていき、ある意味、退屈になっていたのかもしれない。そこでデザイナーらは良くも悪くも見る者の目を強く引き付けて離さない井上の作品を、ノイズにもなりかねないことを覚悟の上で、フックとして利用したのではないか。かつてプリミティブアートが生み出され、求められる時代があった。しかし、それはもう遠い時代になっているのかもしれない。

展示風景 渋谷区立松濤美術館
鑑賞日:2025/10/02(木)